【プロ野球 万波中正選手】
横浜高校1年生の時点で、身長190㎝、92kg。この恵まれた体格を武器に、万波選手は高校デビューからスラッガーぶりを発揮します。夏の県予選・神奈川大会の3回戦、万波選手が放った公式戦初ホームランは、推定135mの特大アーチでした。高校時代は3年連続で夏の甲子園に出場し、2018年のドラフト4位で北海道日本ハムファイターズに入団した万波選手。ただ一軍定着とはいかず、プロの壁にぶつかります。そんな万波選手を変えたのは、昨年のオフ、日本ハムの指揮官に就任した“ビッグボス”こと新庄剛志監督でした。
今年の春季キャンプではさっそく、ビッグボスから打撃フォームの直接指導を受けました。これまで長身の体を縮めて構えていた万波選手でしたが、背筋を伸ばして構えるスタイルに変更。するとボール球の見極めができるようになり、オープン戦前の対外試合でヒットを連発したのです。ビッグボスからは他にも、ファーストストライクを仕留めるよう指示を受けるなど、さまざまなアドバイスをもらった万波選手。それ以外にもオフの間、自ら考えて取り組んできたフィジカル強化の成果をオープン戦でいかんなく発揮します。まずは3月3日、オープン戦第1号。その後も3試合連発を含めホームラン5本、11打点を記録し、いずれもチーム内ではトップ、12球団でも2位と確かな結果を残したのです。
【プロ野球 松川虎生選手】
千葉ロッテマリーンズのルーキー・松川選手は中学時代、昨年のドラフトで横浜DeNAベイスターズに1位指名された小園健太投手とバッテリーを組み、全国優勝を果たしました。高校進学にあたっては野球強豪校からの誘いも受けた中、松川選手は小園投手を誘って、公立の和歌山市立・和歌山高校へ進学。黄金バッテリーの活躍で強豪校を撃破し、3年生で春のセンバツに出場します。この実績に加えて、松川選手は高校通算ホームラン43本を記録。さらに強肩やキャッチングなど、キャッチャーとしての資質も高く評価され、昨年のドラフト会議で千葉ロッテから1位指名を受けました。 同じ高校のバッテリーが揃って1位指名されるのは、ドラフト史上初めてのことでした。
野球のポジションで、もっとも経験値が求められるのがキャッチャーです。そのため高卒ルーキーは、まず二軍で経験を積み、何年かして一軍でマスクを被るのが普通です。ところが松川選手は、春季キャンプ・オープン戦でも結果を残し、開幕一軍入り。そして3月25日、東北楽天とのシーズン開幕戦、「8番・キャッチャー」で先発出場を果たします。高卒の新人キャッチャーが開幕戦で先発マスクをかぶるのは、プロ野球史上3人目の快挙でした。松川選手は、開幕投手の石川歩投手を7回まで見事にリード。最後までマスクをかぶり、完封リレーで開幕戦白星を掴んだのです。高卒新人の開幕スタメンキャッチャーがチームを勝利に導いたのはなんと67年ぶりの快挙でした。
【プロ野球 高部瑛斗選手】
千葉ロッテマリーンズ・高部選手は、今年でプロ3年目の24歳。2019年のドラフト会議で3位指名された際、通算2000安打の目標と、ヒット1本につき1万円を白血病患者の支援基金に寄付する考えを明かし話題となりました。その目標を掲げた理由は、プロ入りする3年前に、弟の晴斗さんを白血病で亡くしていたからです。そんな弟と交わした約束のひとつが「プロ野球選手になること」でした。50m走・5秒8の俊足、強肩と俊足を生かした高い守備力、さらに大学時代は東都大学2部リーグで通算129安打の最多安打記録を更新したバッティング。走攻守3拍子揃った選手と高い評価を受け、弟との約束を実現させたのです。
プロ入り1年目は、イースタン・リーグ2位の打率3割4分4厘をマークし、リーグの優秀選手賞・新人賞・努力賞を受賞。2年目の昨シーズンは、イースタン・リーグで盗塁王に輝くなど、着実にステップアップを遂げてきました。1年目も2年目も、二軍では華々しい活躍を見せた高部選手ですが、一軍ではなかなか結果が出せず、昨年のオフ、高部選手は技術面、フィジカル面、メンタル面のすべてでレベルアップを目指し、まずは体重を5キロアップさせ今年の春季キャンプに臨みます。すると2月、キャンプ中の対外試合で打率3割8分7厘と打ちまくり、オープン戦での打率3割9分3厘、5盗塁、出塁率4割3分5厘は12球団トップの数字で、オープン戦の首位打者と盗塁王の2冠に輝いたのです。
【大相撲 若隆景渥関】
祖父は、元小結の若葉山関で、父も元幕下の力士。2人の兄も現役力士という、相撲一家に育った若隆景関。今年1月の初場所は東前頭筆頭で9勝6敗の好成績を挙げ、3月の春場所では新関脇に昇進。祖父の最高番付・小結をついに上回りました。春場所は初日から快調に3連勝。4日目、霧馬山関に敗れましたが、そこから8連勝し、12日目を終えて11勝1敗。元大関の高安関と並んで優勝争いを演じていました。実は4日目の3月16日深夜、東日本を中心に大きな地震が発生し、若隆景関の地元・福島市は震度6弱を観測。ふるさとのことを案じた若隆景関は全力で相撲を取ることを誓い、その思いが最高の結果に結び付いたのです。
13日目、若隆景関は大関・御嶽海関に敗れ2敗に後退。しかし14日目に1敗でトップを走る高安関が目の前で敗れると、結びの一番で若隆景関は大関・貴景勝関を寄り切りで下し、12勝2敗で再びトップに並びます。迎えた千秋楽。高安関も若隆景関も破れ、決着は優勝決定戦にもつれ込みました。そして注目の優勝決定戦。若隆景関は土俵際まで押し込まれましたが、粘り腰で耐え、最後は逆転で上手出し投げ。新関脇の優勝は、1936年5月場所の双葉山関以来、実に86年ぶりの快挙で、福島県出身力士の優勝も50年ぶりでした。
【大相撲 霧馬山鐵雄関】
モンゴル出身で、父親は羊を飼育する遊牧民だった霧馬山関。幼い頃から馬に乗り、父親の仕事を手伝ううちに自然と足腰が鍛えられていきました。2014年、知人から日本で力士になるテストに誘われ、興味本位で何となく来日し陸奥部屋でテストを受けます。相撲を取るのはこの時が初めてでしたが、元大関・霧島の陸奥親方にセンスを認められ入門。15年5月の夏場所で初土俵を踏みます。しかし18年7月の名古屋場所、勝てば十両昇進という一番に緊張のあまり敗れ、関取の座を逃しました。これで目が覚めた霧馬山関は19年の春場所で十両昇進を果たすと、20年の初場所で新入幕。11勝を挙げ、敢闘賞を受賞しました。
陸奥部屋では、大きな出逢いがありました。19年9月、井筒親方の死去に伴い、同じモンゴル出身の横綱・鶴竜関が転籍してきたのです。横綱からは稽古場だけでなく、食生活についても助言を受けた霧馬山関。昨年3月の春場所、鶴竜関に「思いきり行け」というアドバイスを受け、苦手にしていた大関・朝乃山関から初白星を上げました。昨年11月の九州場所で初の三役・小結に昇進。ひと場所で陥落しましたが、今年3月の春場所では、優勝した関脇・若隆景関、新大関の御嶽海関を破り10勝を上げ、存在感を示しました。
来週のスポーツ伝説は……
5/9(月) サッカー 伊東純也選手
5/10(火) サッカー 吉田麻也選手
5/11(水) サッカー 守田英正選手
5/12(木) サッカー 前田大然選手
5/13(金) サッカー 谷口彰悟選手
お楽しみに!!