【バスケットボール 田臥勇太選手】
いよいよ開幕する日本最高峰のプロバスケットボールリーグ・Bリーグ。その看板であり、長年、日本のバスケ人気を牽引してきたのが、栃木ブレックスの司令塔でポイントガードの田臥選手です。田臥選手は現在35歳。秋田の能代工業高校で1年生からレギュラーとなり、卒業するまで3年連続でインターハイ・国体・ウィンターカップの高校バスケ3大タイトルをすべて制覇。史上初の9冠を達成し、名実ともに高校バスケ界で頂点を極めました。卒業後は、バスケット王国・アメリカへ。田臥選手がまず選んだのは、NBAに数多くの選手を送り込むNCAA、アメリカ・カレッジバスケットボールへの挑戦でした。しかし2年間は語学の勉強とケガの影響でほとんどプレーができないまま終わり、ようやく試合にも出られるようになった3年目も指導者に恵まれず、田臥選手は一時、帰国の道を選びます。
2002年、社会人の強豪・トヨタ自動車に入団すると、全試合に出場し、チームの準優勝に貢献。新人王も受賞する活躍をみせ、健在ぶりをアピール。オールスターにもファン投票1位で選出される人気ぶりでした。それでも、やはりアメリカへの夢は捨て切れなかった田臥選手。トヨタ自動車を1年で退団し、再び単身アメリカへ。若手選手たちがプレーするNBAサマーリーグへの参加や独立リーグでのプレーを経て、04年にNBAのフェニックス・サンズと契約。開幕メンバーにも登録され、日本人初のNBAプレーヤーとなったのです。チーム事情もあってわずか4試合のプレーでしたが、NBA公式戦で得点とアシストも記録。日本のバスケットボールの歴史において、大きな一歩を記しました。08年からは日本に戻って、栃木ブレックスの前身であるリンク栃木ブレックスに入団。NBA挑戦のため長らく辞退していた日本代表でもプレーするようになり、現在も活躍を続けています。
【バスケットボール 折茂武彦選手】
近年、40歳を越えてなお、第一線で活躍する選手が増えているスポーツ界。間もなく開幕するプロバスケットボール・Bリーグにも、そんな“レジェンド”が存在します。レバンガ北海道のシューティングガード・折茂選手です。折茂選手は1970年生まれの46歳。正確なシュートを武器に、常にスター街道を歩み続け、93年にトヨタ自動車に入社。当時、二部落ちの危機にあったチームを優勝争いの常連に変貌させました。日本代表でも長らく活躍し、2002年には代表キャプテンにも就任。06年、日本で開催された世界選手権では36歳にして4年ぶりに代表復帰。最年長でありながらチーム得点王となり、健在ぶりをアピールしました。
その後、新たに設立されたプロチーム・レラカムイ北海道に移籍。ところがレラカムイ北海道は、資金難による運営会社の撤退などによって、チーム消滅の危機に立たされます。そこでキャプテンを務める折茂選手が株式会社北海道バスケットボールクラブを設立し、チームの継承を表明。11年には折茂選手が異例の選手兼任オーナーとなり、新チーム・レバンガ北海道として再スタートを切りました。折茂選手は言います。「辞める覚悟なんて、とっくにできている。俺は、現役でいたいんじゃない。チームの戦力でいたい」
【体操 白井健三選手】
リオデジャネイロオリンピック・体操男子団体で、床と跳馬で高得点を叩き出し、金メダルに大きく貢献したのが白井選手です。更に種目別の跳馬でも銅メダルを獲得。オリンピックの時はチーム最年少の19歳でしたが、大会終了直後に20歳の誕生日を迎えました。4年後、東京オリンピックへの期待が高まっています。
若くして世界のトップに上り詰めた白井選手ですが、団体での金メダルから約1週間後に行われた個人種目別競技では、本命とされていた床でまさかのミスを連発。惜しくもあと一歩、メダルに手が届きませんでした。しかし、ここでネガティブにならないのが白井選手のいいところ。翌日の跳馬では新技を成功させ、見事銅メダルを獲得しました。
【7人制ラグビー 桑水流裕策選手】
リオオリンピックで男子日本代表が、強豪ニュージーランド相手に大金星を挙げて話題を呼んだ7人制ラグビー。そのキャプテンを務めるのが、“ミスター・セブンズ”こと、桑水流選手です。中学生の時に既に身長が180㎝を超えていたという長身が売り物で、高校時代にはまず15人制ラグビーを始めました。しかし目立った実績は残せず、福岡大学に進んだのも教員免許を取るため。ところがそこで、運命の出逢いがありました。福岡大ラグビー部を指導していた高井明彦コーチは当時、7人制ラグビー日本代表の指揮官でもあったのです。空中戦の優劣が大きく勝敗を左右する7人制ラグビー。高井コーチは「このジャンプ力は、セブンズでこそ花開く」と確信。2005年、大学でレギュラーでもなかった桑水流選手を、いきなり7人制日本代表に招集したのです。すると、初出場の国際大会、スリランカ・セブンズで全試合に出場し、続く翌年のアジア大会でも金メダル獲得に貢献。桑水流選手は以来11年にわたって代表を務め、キャプテンに就任。“ミスター・セブンズ”と呼ばれ、代表に欠かせない選手になっていました。
迎えたオリンピック本番。1次リーグで優勝候補・ニュージーランドと対戦した日本は、後半に14対12と勝ち越し、去年の9月に15人制日本代表がワールドカップで南アフリカを破ったのに続く歴史的快挙を成し遂げました。リオでは4位に終わり、惜しくもあと一歩メダルに届きませんでしたが、世界大会での入賞は日本ラグビー史上初の快挙です。
【サッカー 浅野拓磨選手】
1月のオリンピック・アジア最終予選では決勝戦で2ゴールを決め、リオでも2得点を挙げる活躍を見せた、手倉森ジャパンのストライカー・浅野選手。そのずば抜けたスピードと、鋭い牙のような攻撃スタイルから“ジャガー”のニックネームを持っています。浅野選手の最大の魅力は、50mを5.9秒で駆け抜ける俊足と、どんな試合でも決して諦めずにゴールを攻め続ける闘争心です。
高校を卒業後の2013年、サンフレッチェ広島に入団した浅野選手。今年7月にはイングランド・プレミアリーグの名門・アーセナルへの移籍が決まりましたが、労働ビザが下りず、ドイツ・ブンデスリーガ2部のシュトゥットガルトへ期限付きで移籍することになりました。A代表にも招集され、2年後のロシア・ワールドカップに向け、さらなる飛躍が期待されています。
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!