【プロ野球 駒田徳広選手】
巨人・横浜でプレーした駒田選手は、通算2006安打の名球会メンバー。その伝説は、プロ3年目の1983年4月10日の大洋戦から始まりました。試合前、中畑選手が右腕を怪我するというアクシデントが発生。1軍初出場がスタメンという幸運が舞い込みます。そして1回、早くも訪れた満塁のチャンスに、駒田選手は史上初のプロ初打席満塁本塁打を放ちました。
1980年、巨人から原辰徳選手に次ぐドラフト2位指名を受け、投手として入団。しかし1年目の春季キャンプから、内野手への転向を願い出ます。結局この判断は大当たり。1塁手として、史上最多となる10回のゴールデングラブ賞を獲得しました。打者としても、通算13本の満塁ホームランを放つなど、チャンスにはめっぽう強かった駒田選手。1989年の日本シリーズ第7戦では、「巨人はパ・リーグ最下位のロッテより弱い」との発言が報道された加藤哲郎投手から先制ホームランを放ち、俗に言う『怒りの1打』でMVPに。横浜が西武を下して38年ぶりの日本一に輝いた1998年の日本シリーズでも、王手をかけた第6戦で決勝2塁打を放ち、優秀選手賞を獲得しています。
【プロ野球 松中信彦選手】
2004年、阪神のバース選手、ロッテの落合選手以来18年ぶりとなる3冠王を達成。現役の選手としては、唯一の存在です。しかもこのシーズンの前後はいずれも120打点以上。3年連続で120打点突破は、プロ野球史上初の快挙です。しかし昨年は、プロ初となる先発出場なし。全てが代打で、わずか3本の安打を放っただけでした。昨年末の契約更改では、「戦力として認めてもらえた。恩返しをしないといけない」と語った松中選手。今シーズンは引退を掛けて臨んでいます。
社会人時代は、1996年のアトランタオリンピック日本代表に。4番に座り、銀メダル獲得に貢献。決勝のキューバ戦では、4点差を追いつく同点満塁ホームランを放ちました。そしてその年のドラフトで、地元九州のダイエーホークスを逆指名。即戦力として期待されますが、最初の2シーズンは金属製バットと木製バットの違いに苦しみます。しかし1998年にウェスタンリーグ本塁打王となり、その自信が3年目以降の飛躍の原動力となりました。19年目のシーズンを迎えた今年は「ホームランを打ちたい」。このままで現役を終わるつもりはありません。
【男子柔道 神永昭夫VSアントン・ヘーシンク】
1964年の東京オリンピック男子柔道無差別級決勝は、世紀の対決となりました。ここまで日本は、4階級のうち、3階級で金メダルを獲得。日本代表が目標とした4階級制覇の偉業達成は、この1戦に掛かっていたのです。
決勝戦まで、神永選手はオランダのヘーシンク選手よりも2試合多い、5試合を戦ってきました。スタミナには自信がありましたが、オリンピックでは精神面のエネルギーの消耗が激しくなります。それでも勝たねばならないと、8分過ぎに神永選手が先に仕掛けを。それを待っていたヘーシンク選手は、神永選手が懐へ入ってきたところを強引に寝技へ。そのまま1本勝ちを収めます。この時、決着がついた瞬間に、オランダの関係者が畳の上に駆け上がって母国の英雄に抱き着こうとしました。しかしヘーシンク選手はそれを押しとどめ、神永選手への礼を尽くして畳を降りました。この時のヘーシンク選手の行動は、「礼に始まり礼に終わる」という柔道精神を具現化した行為として、現在でも高く評価されています。
【大相撲 鳳谷五郎関】
3月29日から大相撲の春巡業がスタートしました。今年、千葉県では市川市と千葉市の2か所で巡業が行われます。その千葉出身の力士といえば、第24代横綱・鳳関。明治・大正期に絶大な人気を誇った名力士で、白鵬関が時折見せる“掛け投げ”の名手として知られます。掛け投げは、打ち掛けから跳ね上げるように投げを決める決まり手。片足立ちで跳ねることから、ケンケンとも呼ばれます。鳳関は、軽量をカバーするために土俵を目いっぱいに使い、次から次へと技を繰り出すのが特徴。中でも掛け投げは『鳳のケンケン』と呼ばれ、これが飛び出すと観客は拍手喝さいを送りました。
新弟子検査では、「小さい」と言われながらもお情けで力士に合格。「人並みの稽古では強くなれない」と、死に物狂いで精進を重ねました。1915年1月場所、大関での2度目の優勝は、悲願の全勝優勝。相撲協会は鳳関を横綱に推薦しますが、免許を与える家元・吉田司家は「時期尚早」と何色を。しかしファンの後押しで協会は何度も要請を行い、ついに横綱免許が授与されました。土俵入りで使用する太刀は大隈重信に贈られるなど、幅広い人気と期待がうかがえます。1919年5月場所では、横綱が本場所で皆勤負け越しという史上初の不名誉な記録も作りますが、その人気はやはり絶大でした。
【男子マラソン 今井正人選手】
順天堂大時代、元祖・山の神と呼ばれた今井選手が復活しました。今年の東京マラソンで、圧倒的なんスピードを誇ったアフリカ勢に食い下がり、7位とはいうものの、日本人最高の2時間7分39秒。日本歴代6位となる好タイムをマークしたのです。「勝負では悔しかったけど、しっかり走ることができた」と語った今井選手にとって、今回は10度目のフルマラソン。「これでマラソンのスタートラインに立った。これからが本当の勝負です」と話しました。
出身は福島県、現在の南相馬市。東京マラソンでは、地元から千羽鶴が届けられました。日本人有力ランナーが次々に脱落していっても驚異的な粘りを発揮したのは、こんな故郷の後押しがあったからかもしれません。