【柔道 井上康生選手】
オリンピックイヤーの2000年、井上選手は2月にフランスで開かれた国際大会で、4試合をオール一本勝ちで優勝。オリンピック代表選考会を兼ねた4月の全日本体重別選手権も3試合をすべて一本勝ちで優勝と、圧倒的な強さで100キロ級の代表をつかみました。
シドニーオリンピック本番、2回戦から登場した井上選手は、初戦を大外刈りでわずか18秒。3回戦は背負い投げを繰り出し16秒。続く準決勝と、全て一本勝ちの圧勝劇。迎えた決勝の相手は、カナダのギル選手でした。2分過ぎ、井上選手得意の内股が決まり、これまた鮮やかな一本勝ち。まさに、文句の付けようがないオール一本での金メダルでした。
【柔道 田村亮子選手】
世界選手権など国際試合では無敵だった“YAWARAちゃん”こと田村選手。ところがオリンピックだけは、なぜか金メダルに縁がありませんでした。1992年、高校2年生の16歳で出場したバルセロナ大会では、開会式直前の練習で背筋を痛め、2日間の休養を余儀なくされます。それでもなんとか気持ちで乗り越え、強行出場。しかし決勝でフランスのノワク選手に敗れ、金メダルにあと一歩のところで涙を飲みました。4年後の96年、「次こそは金」と決意して臨んだアトランタ大会でも、無名の16歳、北朝鮮のケー・スンヒ選手に敗戦。またしても金メダルを逃した悔し涙を流しました。
その後は気持ちを切り替え、世界選手権を97年・99年と制覇。2000年、25歳で3度目のオリンピックとなるシドニー大会を迎えます。「最高でも金、最低でも金」と決意して臨んだ田村選手は、3大会連続で決勝に進出。ロシアのプロレトワ選手相手に鮮やかな一本勝ちをおさめ、ようやく金メダルを掴んだのです。
【レスリング 永田克彦選手】
永田選手はレスリング界で、「無名から這い上がった選手の代表」と呼ばれています。オリンピックに出る選手はほとんどが幼い頃にレスリングを始めていますが、永田選手が始めたのは高校入学後から。レスリングの名門・日本体育大学へと進学し、エリート集団に飛び込みました。そこで待っていたのは、自分より階級が下の選手にも勝てない日々。強くなるために先輩たちの動きをひたすら観察した永田選手は、研究に研究を重ねて1994年、大学3年の時に全日本学生選手権と大学選手権の2冠を達成。。まったく無名の選手が、わずか2年半で大学ナンバーワンの座に上りつめたのです。
大学卒業後、永田選手は警視庁に入庁してレスリングを続ける道を選択。社会人2年目の1997年、全日本選手権69キロ級で悲願の初優勝を飾り、名実ともに日本を代表する選手になりました。その後はオリンピック直前のアジア選手権で国際大会での初タイトルを獲得し、自信を付けてシドニーへ。決勝トーナメントの準決勝に駒を進めた永田選手は、ヨーロッパ選手権2連覇中の強敵相手に予想を覆す大金星を挙げたのです。
【サッカー シドニー五輪日本代表】
歴代のオリンピック・サッカー日本代表の中でも、今なお“史上最強チーム”と呼ばれているのが、2000年シドニーオリンピックの代表メンバーです。イタリア、ASローマの中田英寿選手を筆頭に、国内組から中村俊輔選手・柳沢敦選手・高原直泰選手ら、Jリーグでレギュラーとして活躍していたメンバーが集結。1968年のメキシコ大会以来となるメダル獲得を狙っていました。このチームを率いたのは、A代表と兼任のフィリップ・トルシエ監督。迎えたシドニー本番、若き日本代表たちは監督の期待に応え、2勝1敗の2位で、32年ぶりとなる決勝トーナメントに進出を果たします。
準々決勝で激突したアメリカ戦は、すさまじい死闘となりPK戦までもつれ込みます。日本の4人目、エース・中田選手の狙いすましたキックは左ゴールポストを直撃し、まさかの失敗。キーパーの楢崎正剛選手は試合後に骨折と判明する大ケガを負いつつも、5本中4本も蹴る方向を読み切りましたが、結局すべてのゴールを決められ、“史上最強チーム”のメダル挑戦はあえなく幕を閉じたのです。それでもトルシエ監督のもと、このメンバーが中心となって、2年後の日韓ワールドカップで、日本は決勝トーナメントに進出。シドニーで味わった悔しさは、若き代表たちの成長の糧になりました。
【陸上 マイケル・ジョンソン選手】
背筋をピンと伸ばす独特のピッチ走法を武器に、1990年代、陸上短距離200mと400mで絶対的な強さを誇ったジョンソン選手。200mは瞬発力が重要ですが、400mはスピードを落とさず走りきる筋持久力も欠かせません。そのため400mはそれだけを専門にする選手が多く、200mと掛け持ちする選手は非常に稀なのです。
難しい“二刀流”を、両種目とも世界トップレベルでこなしてみせたジョンソン選手。ただし、オリンピックだけはなぜか運に恵まれませんでした。1988年のソウル大会は、本番直前に疲労骨折。92年のバルセロナ大会では、金メダル確実と言われながら食中毒の影響で準決勝敗退。悲願のオリンピック金メダルへ3度目の挑戦となった、96年のアトランタ大会。黄金のスパイクを履いて出場したジョンソン選手は、オリンピック史上初めて200m・400mの二冠を達成。まさに“黄金の走り”で、偉業を成し遂げたのです。
来週のスポーツ伝説は……
9/21(月) プロ野球 川越誠司選手
9/22(火) プロ野球 アリエル・マルティネス選手
9/23(水) プロ野球 佐野恵太選手
9/24(木) プロ野球 堂林翔太選手
9/25(金) プロ野球 高梨雄平投手
お楽しみに!!