【プロ野球 和田一浩選手・小笠原道大選手】
キャッチャーから外野手に転向して成功した、西武・中日で活躍した和田選手。社会人野球を経て、西武ライオンズに“強打の捕手”として入団した和田選手ですが、プロ1年目の1997年、西武には不動の正捕手・伊東勤選手がいました。ずっと控え捕手扱いで、なかなか出場機会に恵まれなかった和田選手。転機になったのは、プロ6年目の2002年でした。この年から西武の指揮を執った伊原春樹監督の薦めで外野手一本に専念すると、5番・レフトでレギュラーに定着。30歳で初めて規定打席に到達し、打率3割1分9厘・ホームラン33本・81打点の好成績をマークして、リーグ優勝の原動力になりました。FA移籍した中日でも外野手として活躍、リーグ連覇に貢献しています。
キャッチャーからの転向といえば、日本ハム・巨人・中日と3球団を渡り歩き、現在、中日ドラゴンズの二軍監督を務める小笠原選手も忘れてはなりません。社会人時代はキャッチャーでしたが、日本ハムファイターズにはどこでも守れるユーティリティプレーヤーとして入団。プロ1年目から、先発でマスクをかぶったこともありました。2年目は71試合に出場して、規定打席不足ながら打率3割2厘をマーク。その打力を買われ、3年目の1999年、開幕戦から2番・ファーストで起用されると、135試合すべてに出場してホームラン25本を記録。「バントをしない2番打者」として注目を浴びました。2006年には主砲として、チームを東映フライヤーズ時代以来44年ぶりの日本一へと導き、翌07年からは巨人にFA移籍。リーグ3連覇に貢献し、日本球界を代表するスラッガーとなったのです。
【プロ野球 井口資仁選手】
ショートからセカンドへの転向を成功させた選手といえば、今年プロ21年目を迎える千葉ロッテの大ベテラン、井口選手です。1996年、逆指名によりドラフト1位で福岡ダイエーホークスに入団すると、1年目からショートを守り、3年目の99年にはダイエー球団初の日本一にも貢献しました。しかし打率は2割2分4厘と安定性に欠け、打順は開幕当初の3番から、シーズン終盤には9番に。そんな井口選手にとって転機となったのが、プロ4年目を終えた2000年オフの秋季キャンプでした。元オリックス監督で、当時ダイエーにいた森脇浩司内野守備走塁コーチから、セカンドへのコンバートを告げられたのです。実はこの決断には、井口選手のボディバランスの偏りを修正する意図もありました。その読み通り、井口選手は翌01年、初のホームラン30本・97打点をマーク。44盗塁を記録し、初の盗塁王にも輝きました。
井口選手は05年からメジャーリーグ3球団でプレーしましたが、ホワイトソックス時代には、「俺が投げるときは、セカンドは絶対にイグチにしてくれ!」と指名するピッチャーもいたそうです。
【競泳 今井月(るな)選手】
昨年、15歳の若さでリオデジャネイロ・オリンピックに臨んだ、競泳女子200m個人メドレーの今井選手。3年後の東京オリンピックでは日本競泳陣を牽引する存在として、大きな期待を集めています。今井選手の名が一躍全国区となったのは、2013年に12歳で出場した日本選手権でした。今井選手はこの大会の200m平泳ぎで見事3位に入賞。その年の秋に開催された東アジア選手権に、日本選手団の最年少選手として出場を果たしたのです。しかしその後は、周囲に敵なしの状況から記録が伸び悩みます。
個人メドレーを始めたのは、あくまでも気分転換でした。それにもかかわらず、高校入学直後に出場した昨年の日本選手権の200m個人メドレーで2位に入り、オリンピック派遣標準記録も突破。悲願のリオ行きを決めました。初めてのオリンピックでは決勝に残れず、世界最高峰の壁の高さを痛感した今井選手。その悔しさをバネにこれからどんな成長曲線を見せてくれるのか、期待が高まります。
【競泳 渡辺一平選手】
今年1月に行われた競泳の東京都選手権で、渡辺選手は男子200m平泳ぎの世界新記録を叩き出しました。それまでの世界記録を0秒34塗り替え、史上初めて2分6秒台の記録が生まれたのです。
渡辺選手は193㎝の長身と、長い手足を生かした伸びやかな泳ぎが持ち味。昨年のリオデジャネイロ・オリンピックにも出場し、200m平泳ぎの準決勝でオリンピック新記録をマーク。決勝へ進みました。しかしメダルの期待がかかった決勝では、準決勝より大幅にタイムを落として6位。“日本のお家芸”ともいわれた平泳ぎの連続メダル獲得も3大会で途切れてしまいました。「オリンピックの借りは、オリンピックでしか返せない」2020年の東京オリンピックでの雪辱を誓った渡辺選手は、リオから帰国後、すぐに筋力トレーニングに取り組みます。特に意識したのが、下半身の筋力アップ。もちろんそれまでにも筋力トレーニングには取り組んでいましたが、器具を使っての下半身の本格的なトレーニングは競泳人生で初めての試みでした。その成果はわずか半年で形となり、驚異的な世界記録を生んだのです。
【メジャーリーグ ジャッキー・ロビンソン選手】
『ベーブ・ルースは野球を変えた。ジャッキー・ロビンソンは世界を変えた』との言葉もあるロビンソン選手。そのメジャーリーグデビューは1947年4月15日でした。1年目から打率2割9分7厘・12本塁打の活躍でチームをリーグ優勝に導き、この年から制定された新人王の初代受賞者に。2年後の49年には首位打者と盗塁王に輝く活躍でリーグ優勝に貢献し、MVPも受賞。55年には球団初のワールドシリーズ制覇を達成します。しかし56年のシーズンオフにトレード話が持ち上がると「ドジャース以外、考えられない」と現役引退を表明。ドジャース愛を貫きました。
選手としての輝かしい成績もさることながら、有色人種選手のメジャーリーグ参加の道を切り開いたロビンソン選手。引退後の72年、53歳で早すぎる生涯を終えましたが、87年には新人王の名称に「ジャッキー・ロビンソン賞」という呼び方が登場。メジャーデビューからちょうど50年目にあたる97年4月15日には、現役時代の背番号「42」が、全球団共通の永久欠番となりました。こうして、毎年4月15日はメジャーリーグ全選手が背番号「42」のユニフォームで試合をする「ジャッキー・ロビンソンデー」として定着。人種差別について考えるメッセージを今なお発信し続けているのです。
来週のスポーツ伝説は……
4月17日(月) プロ野球 村山実投手
4月18日(火) プロ野球 権藤博投手
4月19日(水) プロ野球 山口高志投手
4月20日(木) プロ野球 ホセ・ロペス選手
4月21日(金) プロ野球 野茂英雄投手
お楽しみに!!