スポーツ伝説

10月3日~7日の放送内容

【プロ野球 東北楽天ゴールデンイーグルス】
 
 毎年、激闘や熱戦が繰り広げられるプロ野球のクライマックスシリーズ。クライマックスシリーズ史上に残るサヨナラ劇、といわれる試合が、2009年のパ・リーグ ファイナルステージ第1戦です。この年にパ・リーグを盛り上げたのは、それまで“万年Bクラス”と言われていた東北楽天ゴールデンイーグルス。04年の球界再編騒動によって新たに誕生した楽天は、参入1年目から毎年、負け越し。創立2年目の06年から指揮を執った名将・野村克也監督をもってしても、チーム改革は難航しました。しかし、野村体制4年目の09年。監督が訴え続けてきた“考える野球”がようやく実を結び、シーズン2位の成績でクライマックスシリーズ進出を果たしたのです。
 迎えたファイナルステージ第1戦、札幌ドームで行われた日本ハム 対 楽天戦。楽天が6対1と大きくリードして迎えた8回裏でしたが、先発の永井怜投手が捕まると、野村監督はこのイニングだけで中継ぎ投手を4人も投入。にもかかわらず、合わせて3点を献上し、6対4と2点差に詰め寄られます。9回表に2点を追加し、再びリードを4点に広げた楽天でしたが、9回裏、マウンドに上がったクローザーの福盛和男投手も大乱調。3連打を浴びて1点を失うと、さらにフォアボールを与え、ワンナウト満塁で打席には5番ターメル・スレッジ選手を迎えます。この場面でスレッジ選手は、ポストシーズンでは史上初の逆転満塁サヨナラホームランを放ち、日本ハムが勝利を収めたのです。この一発で、完全に勢いを失ってしまった楽天は、ファイナルステージ敗退。しかしこの試合があったからこそ、楽天の4年後の日本一が実現したのです。



【プロ野球 稲葉篤紀選手】

 日本シリーズ進出を懸けた、クライマックスシリーズ。敗れたチームは、その時点でシーズンが終了。選手によっては、クライマックスシリーズが現役生活最後の公式戦となる場合もあります。北海道日本ハムファイターズで活躍した稲葉選手もその一人です。稲葉選手は2014年10月5日、レギュラーシーズン最終戦となる本拠地・札幌ドームでの楽天戦で引退セレモニーを行いました。しかし、まだまだ現役生活には続きがあったのです。日本ハムはこの年、シーズンを3位で終え、クライマックスシリーズに進出。稲葉選手も“代打の切り札”として、最後の戦いに臨むことになったのでした。
 迎えたファーストステージで、シーズン2位のオリックスと対戦した日本ハム。1勝1敗で迎えた第3戦は、勝った方がファイナルステージに駒を進める大事な一戦でした。稲葉選手は1点を追う6回表、ワンナウト一・三塁のチャンスに代打で登場。期待に応え、同点に追いつくタイムリーヒットを放ちます。試合は延長10回、4番の中田翔選手に勝ち越しソロホームランが飛び出し、日本ハムのファイナルステージ進出が決定しました。続くファイナルステージで、ソフトバンクが日本シリーズ進出へ王手を掛けた第5戦。日本ハムにとってはもう後がない状況でしたが、0対4と大きくリードされた7回に「代打・稲葉」がコールされます。ここで稲葉選手がセンター前にヒットを放つと、日本ハムは反撃を開始。この回、3点を挙げて1点差に詰め寄ると、8回には中田選手が同点ホームランを放ち、延長戦の末に勝利を収めたのです。「この試合を、稲葉さんのラストゲームにしたくない!」というチームメイトたちの思いが、見事な逆転劇につながりました。
   
   
 
【プロ野球 八木智哉投手】

 現在は、セ・パ両リーグが同時に開催しているクライマックスシリーズ。現在のスタイルになったのは2007年からで、04~06年までは、パ・リーグだけがレギュラーシーズンの上位3チームによるプレーオフを行っていました。このパ単独でのプレーオフが最後に行われた06年、そのラストを飾った試合は、伝説に残る投手戦になりました。06年のパ・リーグプレーオフ第2ステージは、レギュラーシーズン1位の北海道日本ハムファイターズと、第1ステージで西武ライオンズを破った3位の福岡ソフトバンクホークスが、札幌ドームで対戦。現在と違ってこの時は「プレーオフを勝ち抜いたチームがリーグ優勝」というシステムでした。つまり1位の日本ハムはこの時まだ、リーグ優勝を決めていなかったのです。北海道に本拠地を移して3年目、是が非でも移転後初のペナントを手にしようとナインは燃えていました。
 第2ステージは、先に3勝した方が優勝。1位チームにはアドバンテージの1勝が与えられ、初戦を制した日本ハムは久々のリーグ優勝に王手をかけました。迎えた第2戦、優勝が懸かった大一番に、日本ハムのトレイ・ヒルマン監督は、ルーキー左腕・八木投手を先発させました。八木投手はこの年、新人ながらレギュラーシーズンで12勝をマーク。一方、もう後のないソフトバンク・王監督は、この年18勝を挙げたエース・斉藤和巳投手をマウンドに送りました。斉藤投手は、8回まで二塁を踏ませない圧巻のピッチングを披露。しかし対する八木投手もソフトバンク打線を9回まで無得点に抑え、結局、ルーキーながら胴上げ投手となりました。この年日本ハムは、日本シリーズで中日を破り、前身の東映フライヤーズ以来44年ぶりの日本一に輝きましたが、八木投手も第2戦で勝利投手となり貢献。この年のパ・リーグ新人王に輝いています。

    

【プロ野球 里崎智也選手】
 
 今年で10年目を迎えるクライマックスシリーズ。過去9年の戦いで、レギュラーシーズン3位のチームが日本一に輝いたことが一度だけありました。2010年のパ3位・千葉ロッテマリーンズです。この時のロッテの快進撃は“史上最大の下克上”というフレーズと共に大きな話題を集めました。この言葉を最初に使い、チームをもり立てたのがキャッチャーの里崎選手です。里崎選手は06年のワールド・ベースボール・クラシックで、日本代表の正捕手を務め、世界一達成に貢献。大会ベストナインに選ばれるなど、当時のパ・リーグを代表するキャッチャーでした。しかし10年のレギュラーシーズンは、ケガのため8月上旬に戦線離脱。すると首位を走っていたチームも失速し、9月に入ると首位戦線から脱落。優勝どころか、シーズン残り3試合となった時点で、一つでも負けるとBクラスが決まるという絶体絶命の危機を迎えます。しかし、ロッテはここから奇跡的に3連勝。Aクラスを確保し、かろうじてクライマックスシリーズ出場を決めたのです。このタイミングでチームに復帰したのが、里崎選手でした。
 迎えた2位・西武とのクライマックスシリーズ・ファーストステージ第1戦。里崎選手は2試合で、4打数4安打4打点の大活躍。勢いに乗ったロッテは続く1位ソフトバンクとのファイナルステージでも、もう後がない状況からまさかの3連勝。日本シリーズ進出を果たします。続いてセ・リーグ優勝チーム・中日との日本シリーズも4勝2敗1分で制し「3位からの下克上日本一」が完成したのです。まさに、無欲がもたらした栄光でした。
   
 
  
【プロ野球 落合博満監督】

 クライマックスシリーズ(CS)のシステムを巡っては、これまで様々な論議がありました。導入される前、この制度に公然と反対を表明したのが落合監督です。しかし皮肉なことに、セ・リーグで初めてCSを制したのは、その落合監督でした。2003年オフ、中日ドラゴンズの指揮官に就任。07年には、53年ぶりの日本一を達成しました。11年、球団初のリーグ連覇を達成しながら、監督を退任。13年のオフにゼネラルマネージャーとして中日に復帰しましたが、在任8シーズンでチームを4度もリーグ優勝に導いた采配は、今も高く評価されています。しかし日本一に輝いた07年、実は中日は、リーグ優勝を逃していました。レギュラーシーズンを2位で終えた中日でしたが、日本シリーズ出場のチャンスはまだ残されていました。それが、この年から始まった、セ・リーグ初のCSです。
 導入前は、「オレはCSに反対だよ。ペナントレースの価値はどうなる?」と苦言を呈していた落合監督。しかし導入が決まった以上、指揮官としては、勝利を目指すほかありません。この年のファイナルステージは、現在のシステムと違い5回戦制で、先に3勝した方が日本シリーズに出場。1位チームに与えられる特典は、ホームで試合ができることだけで、アドバンテージの1勝はありませんでした。結局、このシステムを利用して53年ぶりの日本一へと突き進んでいった中日。その後、「下位チームに対するハードルが低過ぎる」という議論が起こり、翌年からファイナルステージでは、1位チームにアドバンテージの1勝が与えられ、下位チームが日本シリーズに進出するには4勝が必要になりました。落合監督は勝つことで、結果的にCS制度の問題点を浮かび上がらせたのです。


   
来週のスポーツ伝説は……

  10月10日(月) プロ野球 新庄剛志選手
  10月11日(火) プロ野球 井口資仁選手
  10月12日(水) プロ野球 田口壮選手
  10月13日(木) プロ野球 上原浩治投手
  10月14日(金) プロ野球 松井秀喜選手
            
                       お楽しみに!!
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