【プロ野球 筒香嘉智選手】
今年1月、大阪の少年野球チーム・堺ビッグボーイズのスーパーバイザーに、横浜DeNAベイスターズの筒香選手が就任しました。和歌山出身の筒香選手は中学時代、このチームで四番を務め、関西選抜に選ばれるなど活躍。「ここが土台となって、すべてが始まった」とも語っています。
就任式では、「子どもたちが楽しんで野球をするきっかけになってほしい。そうすれば、プレーや発想力が小さくなることはない。失敗を恐れずにチャレンジしてほしい」と挨拶。そう語ったのには、一昨年のシーズン終了後に志願して参加した、海外のウィンターリーグでの経験がありました。アメリカやドミニカ共和国で現地の少年野球チームを訪れた際、子どもたちがミスをしても怒られず、のびのびプレーする姿を目の当たりにし、「こういう環境がスーパースターを育てるのか」と感じたという筒香選手。日本でもそういう指導ができないかと思っていた矢先の古巣からのオファーは、願ってもない話でした。指導を受けた後輩たちの中から将来、筒香二世が現れてくれるかもしれません。
【サッカー 小野伸二選手】
今年4月2日、Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌の小野選手が、清水エスパルス時代の2012年以来、1709日ぶりにJ1出場を果たしました。
オランダ・フェイエノールトでも活躍し、ワールドカップには3度出場。1998年にプロ入りし、史上初となる新人王とベストイレブンのダブル受賞を果たしてから、もう20年。37歳の今、度重なるケガに苦しめられてはいるものの、ひとたびピッチに立てば、その類いまれなるサッカーセンスはまだまだ健在です。
【テニス 杉山愛選手】
現役時代はダブルスで世界ランク1位に輝き、オリンピックにも4度出場。グランドスラムのシングルス連続出場62回の世界記録を樹立するなど、17歳でプロ入りしてから34歳で引退するまで、日本女子テニス界を牽引し続けた杉山選手。その力が世界で認められたのは、1991年のこと。15歳の杉山選手は世界ジュニアランキングで1位となり、日本人選手では男女を通じて初の快挙を達成します。
その後、17歳でプロに転向すると、母・芙沙子さんがスポーツトレーニングやコーチングについて学び、2000年から杉山選手のコーチに就任。様々な角度から杉山選手を支える「チーム愛」を結成し、親子の二人三脚で、世界トッププレーヤーの地位を築き上げていったのです。
【卓球 福原愛選手】
昨年のリオデジャネイロ・オリンピックにも出場。卓球女子団体で、日本に2大会連続のメダルをもたらした立役者・福原選手。小さい頃からメディアで人気の天才卓球少女で、ミスをすると涙ぐんで悔しがる姿から“泣き虫愛ちゃん”のニックネームで国民的アイドルになりました。
そんな卓球少女・愛ちゃんが、初めて卓球をしたのは3歳の時。初めての公式戦は1993年6月、4歳の時で、地元で開催された宮城県小学生卓球大会でみごと優勝。全日本選手権にも出場し、8歳以下の選手が出場するバンビの部でベスト16に進出。さらに翌年の大会で、史上最年少優勝を果たしたのです。以降、全日本選手権の年齢別カテゴリーにおいて、毎年優勝し続けた福原選手。98年には、10歳にしてプロ宣言。卓球の女子プロ第1号になりました。その翌年、小学5年生で全日本選手権の一般女子シングルスに出場した福原選手は、社会人選手を破って一般女子・史上最年少勝利を記録。天才卓球少女が卓球選手として、新たな一歩を踏み出した瞬間でした。
【プロ野球 松井秀喜選手】
日米通算507本塁打。日本ではホームラン王と打点王を3回ずつ獲得し、シーズンMVPも3度受賞。メジャーリーグでも日本人選手で初めてワールドシリーズMVPを獲得した、日本が誇るスラッガー・松井選手。松井選手といえば背番号55も代名詞ですが、これは、18歳で巨人に入団した当時の日本記録だった王貞治選手のシーズン55本塁打を抜いて欲しい、という期待から付けられた背番号でした。結果的に55本を抜くことはできませんでしたが、松井選手が日本球界を代表する左の強打者であることに間違いはありません。
しかし松井選手は、野球を始めた少年時代は右打者でした。『努力できることが才能である』とは、松井選手が少年時代からずっと大切にしてきたお父さんの言葉。高校に入学し、実家を離れて寮生活になってからもこの言葉を部屋に貼り、実際に努力をし続けたことで、松井選手は“ゴジラ松井”になれたのです。
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!