【サッカー 小笠原満男選手】
昨シーズンで現役生活に別れを告げた鹿島アントラーズの小笠原選手は、Jリーグの歴史で最も多い17のタイトルを獲得。常勝軍団・鹿島の、まさに象徴ともいえる存在でした。岩手県出身の小笠原選手は“東北のファンタジスタ”と称され、高校卒業後の1998年に鹿島に入団。2006年夏から1年間はイタリア・セリエAでプレーしましたが、それ以外は鹿島一筋。Jリーグでは6度のベストイレブンに輝き、09年には年間MVPも受賞しました。
そんな小笠原選手の最後のタイトルとなったのが、昨年11月のアジアチャンピオンズリーグ優勝。試合後の表彰式では、ゲームキャプテンを務めた昌子源選手が優勝カップを受け取りましたが、「キャプテンはあなたですから」と小笠原選手の元へ。後輩の演出に少しはにかみながらも、高々とカップを掲げました。
【サッカー 中澤佑二選手】
今年1月8日、日本代表のディフェンスラインを束ねてきた中澤選手が引退しました。J1通算593試合出場は歴代3位。2012年9月から6年に渡って199試合連続出場を記録し、13年7月からは178試合連続フル出場。どちらもフィールドプレーヤーではJ1歴代最長記録です。
04年には、日本人ディフェンダーとして初めて年間MVPも受賞。日本代表ではディフェンダー登録の選手では最多となる17ゴールを記録するなど、絶大な存在感を放ってきました。
【サッカー 楢崎正剛選手】
今年1月、突然引退を表明した楢崎選手は、高校を卒業してすぐの1995年に横浜フリューゲルスに入団。経験がものをいうキーパーというポジションにも関わらず1年目からJリーグデビューを果たすと、翌96年と98年にベストイレブンに輝きます。ところが99年1月1日、天皇杯優勝を最後にフリューゲルスが消滅してしまい、名古屋グランパスへ移籍。以降20年、名古屋のゴールマウスを守り続けてきました。
日本代表では、1歳年上の川口能活選手としのぎを削り、正ゴールキーパーの座を争い続けてきた楢崎選手。2002年の日韓ワールドカップでレギュラーの座をつかみ、日本のワールドカップ初勝利と、初の決勝トーナメント進出に貢献しました。10年には、J1リーグで3番目に少ない37失点に抑える見事なセービングを披露。名古屋をリーグ初優勝へと導きました。楢崎選手は、この年の年間MVPにも選出。ゴールキーパーのMVP受賞は現在も、楢崎選手だけが成し遂げた金字塔です。
【MLB 松坂大輔投手】
2008年、東京ドームで行われたメジャーリーグ開幕戦、オークランド・アスレチックス 対 ボストン・レッドソックスでレッドソックスの開幕投手を務めたのは、移籍2年目の松坂投手でした。
西武ライオンズからポスティングシステムを行使してレッドソックスに移籍した松坂投手は、移籍1年目の07年、シーズンを通して先発ローテーションを守り、15勝12敗、201奪三振の成績。メジャー1年目から15勝と200奪三振をマークしたのは、日本人初の快挙でした。さらに、チームはワールドシリーズに進出。松坂投手は第3戦で勝利投手となり、ワールドシリーズ制覇にも貢献しました。その実績を買われての開幕投手抜擢は、日本人ピッチャーでは野茂英雄投手以来2人目の快挙。凱旋勝利こそ逃したものの、この年の松坂投手は日本人投手シーズン最多の18勝を挙げています。
【MLB イチロー選手】
2012年、東京ドームで4年ぶりに行われたメジャーリーグ開幕戦、オークランド・アスレチックス 対 シアトル・マリナーズ。この試合で、イチロー選手はマリナーズの選手として初めての日本凱旋を果たしました。前年に東日本大震災が発生し、すぐに多額の義援金を寄付したイチロー選手。更なる継続的な支援をメジャーリーグ機構や選手会に訴えたところ、この開幕戦が東北復興支援イベントへと発展することになったのです。イチロー選手にとっては、「自分が活躍することで被災地を元気づけたい」という思いも込めての日本凱旋試合となりました。
その凱旋試合で5打数4安打と、被災地の人たちを勇気づけたイチロー選手。この年のシーズン途中にニューヨーク・ヤンキースへ電撃移籍するという出来事もありましたが、その後、再びマリナーズに復帰。夢の「50歳現役」を目指して、新しいシーズンが幕を開けます。
来週のスポーツ伝説は……
3月18日(月) MLB 菊池雄星投手
3月19日(火) サッカー 塩谷司選手
3月20日(水) サッカー 冨安健洋選手
3月21日(木) 高校野球 奥川恭伸投手・山瀬慎之助選手
3月22日(金) 高校野球 富岡西高校
お楽しみに!!