スポーツ伝説

12月27日~31日の放送内容

【プロ野球 高津臣吾監督】

 昨年、一昨年と2年連続で最下位だった東京ヤクルトスワローズ。再起を誓った今シーズンも、開幕3連敗。その重い空気を振り払ったのは、「休ませながら戦う」という選手の体調管理を徹底した高津采配にありました。象徴的だったのは、2年目の奥川恭伸投手の起用法です。4月にプロ初勝利を飾り、出番がどんどん増えるかと思いきや、高津監督は中10日前後あける登板間隔を徹底。体を休めながらシーズン中に成長を遂げた奥川投手は、結果的にチーム勝ち頭となる9勝の活躍を見せたのです。また、他の先発投手も基本的に中6日以上。リリーフ陣は基本3連投までと制限をかけることで、投手陣はシーズンを通して安定したパフォーマンスを発揮。2年連続4点台後半だったチーム防御率は、3点台に改善されました。
 投打ともに噛み合いはじめ、優勝争いを演じていた9月7日。首位を走る阪神との試合前に、高津監督は選手たちに向かって「絶対、大丈夫」とゲキを飛ばします。高津監督のこの言葉で魔法にかかったように、ヤクルトはその日、村上選手のホームランなどで阪神を12対0の大差で破りました。この試合をきっかけに勢いに乗ったチームは、なんとこの月13試合負けなしの球団新記録を達成。10月26日、横浜スタジアムのDeNA戦で、6年ぶり8度目のリーグ優勝を達成したのです。チーム一丸となったヤクルトは、クライマックスシリーズを突破。オリックスとの日本シリーズも大熱戦の末に4勝2敗で制し、20年ぶり6度目の日本一に輝きました。


  
【プロ野球 中嶋聡監督】

 オリックス・バファローズの中嶋監督は29年間の現役生活でオリックス以外に西武・横浜・日本ハムと渡り歩き、その経験を武器に指導者となり、今年チームを栄冠へと導きました。2018年のオフ、古巣のオリックス・バファローズから力を貸してほしいと復帰のオファーを受けた際に用意されたポストは、一軍バッテリーコーチか二軍監督でしたが、中嶋監督は即座に「若手選手を育成したい」と二軍監督を選択。昨年8月に一軍監督代行に就任するまで、ファームの指揮をとりました。今年大活躍した高卒2年目コンビ・宮城大弥投手と紅林弘太郎選手を抜擢できたのも、二軍で2人の才能を見極めていたからです。宮城投手はチーム2位の13勝。紅林選手はホームラン10本を記録。彼らのように、二軍監督時代に指導した“中嶋チルドレン”たちの活躍もあり、オリックスは11年ぶりに交流戦で優勝し、その後も快進撃を続けたのです。
 躍動したのは若い力だけではありません。昨年8月、一軍監督代行に就任した時に声を掛けたのが、30歳の杉本裕太郎選手です。今年でプロ6年目。潜在能力は評価されながら芽が出ませんでしたが、中嶋監督は杉本選手に四番を任せました。意気に感じた杉本選手。昨年たった2本だったホームランは32本に増え、ホームラン王に輝きました。また、新戦力の力を引き出すため、打順は143試合で130通りと“猫の目打線”を組み、投手陣も一軍・二軍のピッチャーを頻繁に入れ替えました。そのおかげで、今シーズン50試合以上登板したピッチャーは1人だけ。3日連続で登板したピッチャーは1人もなく、選手を休ませながら戦うことができたのです。
  

 
【プロ野球 村上宗隆選手】

 2000年2月2日生まれの村上選手はまだ21歳。その21年の人生の中でも、今年は特別な出来事にあふれた1年でした。ひとつは、9月19日に放った記念すべきプロ通算100号ホームラン。21歳7ヶ月での達成は史上最年少記録です。その1週間後には自身初のシーズン100打点に到達し、またしても最年少記録を塗り替えました。
 また東京オリンピックでは野球日本代表“侍ジャパン”に最年少で選出され、決勝のアメリカ戦で先制アーチを放つなど、日本野球にとって悲願の金メダル獲得にも大きく貢献。数々の偉業を果たした今シーズンの村上選手の原動力となったのは、自身の強靱な肉体と、研究熱心さにありました。メジャーリーグ・大谷翔平選手の打席でのステップの形や、スイング軌道なども熱心に研究した結果、今年は39本を放ち、セ・リーグ最年少タイ記録となる21歳でのホームラン王に輝いたのです。昨年に続いて全試合四番で出場してリーグ優勝の立役者となった村上選手は、オリックスとの日本シリーズでも6試合すべて四番を務め、20年ぶりの日本一に貢献しました。



【メジャーリーグ 大谷翔平選手】
 
 日本人選手初となるメジャーリーグ・ホームラン王の快挙こそ逃したものの、一時はタイトル争いを独走していたロサンゼルス・エンゼルス大谷選手。最終的には46本をマークし、1年目の2018年に記録した自己最多の22本を大きく上回りました。特に前半戦は、驚異的なペースでホームランを量産。7月7日、本拠地・アナハイムでのレッドソックス戦で32号ホームランを放ち、松井秀喜選手の日本人シーズン最多ホームラン記録を更新しました。後半はフォアボール攻めに遭うなどペースを落としましたが、シーズン最終戦に「1番・指名打者」で出場し、先頭打者ホームランを放って、日本人選手では松井秀喜選手以来14年ぶりのシーズン100打点に乗せました。シーズンホームラン46本は、タイトルを分け合ったロイヤルズのペレス選手とブルージェイズのゲレロJr.選手の48本に次ぐリーグ3位。ピッチャーとして9勝を挙げながらこの数字は奇跡的と言うほかなく、満票でア・リーグMVPに選ばれました。
 大谷選手が今年ホームランを量産できた理由は、徹底した肉体強化とフォーム改造にありました。バッターに専念した19年シーズン終盤に左ヒザを手術。20年も右ヒジの故障で指名打者として出場し、打率1割9分、ホームランはわずか7本と不本意なシーズンを送ります。この年のオフシーズン、大谷選手は下半身を重点的に強化。225キロのバーベルを持ち上げるなど、ウエイトトレーニングを重ねて筋肉を増やしました。加えて、打撃フォームをアッパースイングに改良したことで打球に角度をつけ、これに肉体強化で磨きをかけたスイングスピードでボールを強く弾き飛ばしたことがホームラン量産につながったのです。



【メジャーリーグ 大谷翔平投手】 
 
 メジャー4年目にして、最高のシーズンを送ったロサンゼルス・エンゼルス、大谷投手。先発23試合の出場で、9勝2敗、防御率3.18、156奪三振をマーク。ベーブ・ルース以来、103年ぶりの「ふたケタ勝利・ふたケタホームラン」にはあと1勝届きませんでしたが、4年目で初めてシーズン通じてローテーションを守り、チームに貢献しました。大谷投手は、メジャー1年目の2018年に右ひじを痛め、10月にじん帯を再建するトミー・ジョン手術を受け、20年7月、2シーズンぶりにピッチャーとして先発登板します。しかし再び右ヒジの不調を訴え、昨シーズンはわずか2試合だけの登板で終わりました。そんなどん底からのみごとな復活劇。大谷投手が今シーズン、大きな飛躍を遂げることができたのは、ある特訓のお陰でした。
 メジャーのボールは滑りやすく、大谷投手が日本でプレーしていた時のように右ヒジを大きく引き上げる投げ方では、コントロールが乱れてしまいます。その課題を克服するため、テイクバックを小さくして腕の振りをコンパクトに変える、新しいフォームの特訓に取り組みました。重さと色が異なるカラーボールを使って壁当てを行い、ノーステップや内股の状態から投げる練習をシーズン中も繰り返し行ったのです。その結果、制球力が上がって球数が減った上、怪我をしにくいフォームになり、ヒジへの負担も軽減。特訓が身をむずび、無事1年を通じて投げることができました。




来週のスポーツ伝説は……

1/3(月) プロ野球 新庄 剛志監督
1/4(火) プロ野球 山本由伸投手  
1/5(水) 卓球   早田ひな選手
1/6(木) 大相撲  阿炎政虎関
1/7(金) 大相撲  一山本大生関

お楽しみに!!
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