【サッカー ラモン・ディアス選手】
1993年5月15日に記念すべき開幕戦が行われた日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグ。国立競技場で行われたオープニングマッチは、日本サッカーを支えてきた二大クラブ、ヴェルディ川崎と横浜マリノスとの一戦でした。この歴史的な試合でキックオフを務め、決勝ゴールを決めたのが、横浜マリノスのセンターフォワードにして元アルゼンチン代表のディアス選手です。
ディアス選手は、アルゼンチンが誇る世界クラスのフォワードとして、Jリーグ元年に横浜マリノスに入団。開幕戦での決勝ゴールでサポーターの信頼を勝ち取ると、6月26日のジェフ市原戦、6月30日の浦和レッズ戦で、Jリーグ史上初となる「2試合連続ハットトリック」の快挙を達成します。1年目だけで3度もハットトリックを決め、終わってみれば32試合で28ゴール。Jリーグ初代得点王に輝きました。続く94年シーズンも、37試合で23ゴールと結果を残したディアス選手。どんな場面でも左足だけで状況を打開することから、“黄金の左足”と讃えられました。
【サッカー アルシンド選手】
ブラジルサッカー界の至宝・鹿島アントラーズのジーコ選手、元ワールドカップ得点王の名古屋グランパス・リネカー選手など、世界各国のそうそうたるメンバーが顔を揃えたJリーグ元年の1993年。そんな中、本国で代表歴がないにもかかわらず、その抜群の決定力と独特のキャラクターで人気を集めたのが、鹿島アントラーズのフォワード、アルシンド選手です。チームの黎明期を支えたジーコ選手に誘われて鹿島入りしたアルシンド選手。ブラジル代表歴もなかっただけに、当初の注目度はさほど高くありませんでした。
ところが名古屋とのJリーグ開幕戦、ジーコ選手がハットトリックを決めると、アルシンド選手も負けじと2得点を決め、記念すべき初勝利に貢献。その後、ジーコ選手がケガのため離脱すると、アルシンド選手は攻撃陣のリーダーを務めるようになりました。開幕から1ヶ月後にはハットトリックを達成するなど、ゴールを決めるたびに注目度も上昇。鹿島のファーストステージ優勝に大きく貢献しました。鹿島では93年と94年の2シーズンプレー。リーグ戦71試合に出場して、通算50ゴールを挙げる決定力の高さでアントラーズ功労賞も受賞しています。
【サッカー ピエール・リトバルスキー選手】
Jリーグ発足当初は、ワールドカップで活躍した外国人選手が続々と来日。そんな大物助っ人選手の中でも、ワールドカップにおける実績で最もずば抜けていたのが、Jリーグ元年にジェフユナイテッド市原に入団したリトバルスキー選手です。ドイツ統一前、西ドイツ代表の攻撃のキーマンとして82年スペイン大会、86年メキシコ大会、90年イタリア大会と、通算3度のワールドカップに出場。このうちイタリア大会では優勝、他の2大会も準優勝と正真正銘のビッグネームでした。“リティ”の愛称で親しまれたリトバルスキー選手は、秩序を重んじる日本社会によくなじみ、チームにも溶け込むと、切れ味鋭いドリブルと正確無比なフリーキックを武器にJリーグでも圧倒的な存在感を発揮します。
1995年にいったん引退を表明し市原を退団しますが、96年にベガルタ仙台の前身、ブランメル仙台で現役復帰。2シーズンプレーしました。95年には日本人女性と結婚。日本語も流暢になると、Jリーグで指揮が執れるS級コーチライセンスを外国人として初めて取得。99年には、当時誕生したばかりの横浜FCの初代監督に就任し、見事にクラブをJリーグ昇格へと導きました。
【サッカー シジマール選手】
Jリーグ開幕から今年で25周年。この間を盛り上げてきた外国人選手の数は1900人以上に上ります。その中でもJリーグ史上最強の外国人ゴールキーパーといえば、93年7月に来日し、清水エスパルスの守護神として活躍したシジマール選手です。シジマール選手を獲得したのは、当時の指揮官・レオン監督。レオン監督は現役時代、ブラジル代表のゴールキーパーを務め、ワールドカップに4回出場した経験を持つ伝説の守護神です。ブラジル出身のシジマール選手にとって、レオン監督は憧れの存在であり、二人の間には師弟関係ともいうべきつながりがありました。
レオン監督の期待に応えるべく、シジマール選手は出場2試合目から6試合連続で完封劇を続け、Jリーグ記録となる「731分間 連続無失点」を樹立。長い腕を活かした守備範囲の広さから“クモ男”のニックネームで親しまれました。
【サッカー 井原正巳選手】
横浜F・マリノスや日本代表でも長らくキャプテンとして活躍した、“日本最強ディフェンダー”井原選手。横浜F・マリノスのセンターバックといえば、松田直樹選手や中澤佑二選手など、日本を代表する守備職人を何人も輩出してきましたが、その先駆者となったのが井原選手です。
日本代表での国際Aマッチ出場数は歴代2位の122試合を誇り、Jリーグベストイレブンには、開幕年の93年から5年連続で選出されています。鋭い読みで危険の芽を摘み取る冷静な判断力、そして相手フォワードとの激しい接触を恐れない闘志溢れるプレー。インテリジェンスと激しさを兼ね備えたディフェンダーで、その鉄壁の守備から“アジアの壁”と呼ばれました。過去、日本人のディフェンダーでアジア年間最優秀選手賞を受賞したのも、95年の井原選手だけ。引退して15年以上が経つ今もなお、日本歴代最強のディフェンダーとして語り継がれています。
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!