【サッカー アレッサンドロ・ネスタ選手】
ネスタ選手は1990年代後半から2000年代にかけて、イタリアのセリエA・ラツィオでディフェンダーとして活躍しました。94年、17歳でトップチームでデビューを果たすと、抜群の読みの深さで相手からボールを奪い取る一方で泥臭い守備も厭わず、ネスタ選手はラツィオの最終ラインに欠かせない存在となりました。ACミランと対戦した98年のコッパ・イタリア決勝では、守備だけでなく、自らゴールを決め、優勝に貢献。このシーズンのセリエA最優秀若手選手賞を受賞すると、続く1999-2000シーズンは、チームの守備の要として活躍します。ネスタ選手の働きもあって、ラツィオは26年ぶりにセリエAを制覇すると、さらにコッパ・イタリア連覇も達成。国内2冠に輝き、ネスタ選手はチームを黄金期へと導きました。しかしこの頃、ラツィオはチームの財政が悪化。そのあおりを受けて、ネスタ選手は2002年、ACミランに移籍します。
移籍したネスタ選手は、ACミランでも守備のリーダーとなりました。移籍直後の2002-2003シーズン、ACミランは世界最高峰のUEFAチャンピオンズリーグを制し、ヨーロッパ王者に昇りつめます。07年にも、ACミランはUEFAチャンピオンズリーグを制覇。さらにこの年はクラブワールドカップも制しましたが、決勝戦で勝ち越しゴールを決め、チームを世界王者に導いたのはネスタ選手でした。一方、イタリア代表では、ワールドカップに3度出場。06年大会はグループリーグで負傷し、決勝トーナメントでの出場はありませんでしたが、優勝メンバーになりました。15年に現役を引退すると、この年、ヨーロッパサッカー連盟が選ぶ「究極のベストイレブン」に選出され、ネスタ選手は最強のディフェンダーとしてその名を歴史に残しました。
【サッカー クロード・マケレレ選手】
守備的ミッドフィルダーのマケレレ選手は、アフリカの旧ザイールで生まれ、4歳の時にフランスへ移住しました。身長170㎝の小柄な体ながら、圧倒的な運動量でピッチを幅広くカバーし、読みの鋭さとボール奪取の技術で多くのアタッカーを悩ませてきたマケレレ選手。守備範囲の広さを指す“マケレレ・ロール”という言葉ができたほどです。マケレレ選手が名声を高めたのは、2000年夏からプレーしたレアル・マドリード時代です。当時のレアルは、“銀河系軍団”と呼ばれる世界的スター選手の集まりでしたが、どれだけ優秀なアタッカーを並べても、守備の柱となる存在がいなければ機能しません。マケレレ選手が加入した後のレアルは、01年・03年にスペインリーグを制覇。02年にはチャンピオンズリーグ優勝を果たします。攻撃陣の背後で精力的に動いてくれるマケレレ選手の存在は、チームに欠かせないものでした。
03年夏、30歳の時にマケレレ選手はイングランドの強豪、プレミアリーグのチェルシーに移籍。よりスピーディなプレーが求められるプレミアリーグでも、チェルシーのボランチに君臨します。加入したシーズンこそ、リーグ戦では2位でしたが、次のシーズン、チェルシーは当時の歴代最高勝ち点を記録する圧倒的な強さで、クラブ史上初のプレミアリーグ制覇を達成。マケレレ選手はその原動力となったのです。この年、マケレレ選手は国際プロサッカー選手会が選ぶベストイレブンに選出されました。さらに翌年もプレミア連覇に貢献し、クラブの年間最優秀選手に選出されるなど、レアル時代以上の輝きを見せました。
【サッカー イケル・カシージャス選手】
カシージャス選手は、レアル・マドリードとスペイン代表に何度も栄光をもたらした守護神です。ゴールキーパーは経験値がものをいうポジションにもかかわらず、1999年に18歳でプロデビューすると、このシーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、当時史上最年少記録の19歳4日で決勝戦に出場。無失点に抑えてヨーロッパ王者となり、最高のキャリアを歩み始めました。その後はレアル・マドリードでの16シーズンで、チームを5度のリーグ優勝と、3度のチャンピオンズリーグ制覇に導き、一時代を築きました。2015年夏に移籍したポルトガルリーグのポルトでも、チャンピオンズリーグに出場を続け、18年「20シーズン連続・チャンピオンズリーグ出場」という、前人未到の大記録を達成しています。
カシージャス選手は、スペイン代表でも大きな足跡を残しました。2000年から15年間、守護神としてスペインでは歴代2位の167試合に出場。キャプテンも務め、08年・12年のヨーロッパ選手権では連覇を達成。10年のワールドカップ・南アフリカ大会では、決勝トーナメントの4試合を無失点に抑え、スペインを初のワールドカップ制覇に導きました。鉄壁の守りを見せたカシージャス選手は、大会最優秀キーパーに贈られるゴールデングローブ賞を受賞しています。
【サッカー アルフレッド・ディ・ステファノ選手】
世界のサッカー史における重要人物といえば、“王様”と呼ばれたブラジルの英雄・ペレ選手が思い浮かびますが、そのペレ選手が「史上最高の選手だ」と褒め称えたのが、1950年代から60年代に活躍したフォワードのディ・ステファノ選手です。数ある功績のなかでも、現代サッカーに与えた大きな影響といえば、レアル・マドリードを世界的な名門クラブに押し上げたこと。ディ・ステファノ選手はアルゼンチン出身で、21歳にしてアルゼンチンリーグで得点王に輝いた実力を見込まれて、53年にレアルと正式契約を結びます。
その決定力はデビューシーズンから凄まじく、リーグ戦の28試合で、なんと27得点。レアルを21年ぶりのリーグ制覇へと導きました。このデビューシーズンを含め、ディ・ステファノ選手は得点王を5度も獲得し、レアルに在籍した11シーズンで8度のリーグ制覇をもたらすと、リーグ戦通算216得点はのちに“スペインの至宝”と呼ばれるラウル・ゴンサレス選手に抜かれるまでクラブ歴代1位でした。57年・59年には、その年最高の選手に与えられるバロンドールを受賞し、名実ともに世界のサッカー史に大きな足跡を残したディ・ステファノ選手。バロンドールの複数回受賞は、史上初の偉業でした。さらに89年には、歴代最優秀選手として史上唯一のスーパーバロンドールも受賞しています。
【サッカー パベル・ネドベド選手】
無尽蔵のスタミナや、”チェコの大砲”と呼ばれる強烈なシュートを武器に1990年代後半から2000年代前半に活躍した、ミッドフィルダーのネドベド選手。地元クラブでの活躍が認められ、96年にセリエAのラツィオに加入しました。当時のラツィオは中堅クラブを脱するか否かのステージにいましたが、ネドベド選手をはじめ有力選手が次々に加わったことで、強豪クラブに割って入るようになります。2000年には最終節で逆転優勝を飾り、26年ぶりにセリエAを制覇。国内カップ戦も制してシーズン2冠を達成し、ネドベド選手は不動のレギュラーとしてラツィオの黄金期を支えました。
01年夏、ネドベド選手は名門ユベントスへ移籍します。移籍初年度にはさっそく4年ぶりのリーグ制覇に貢献してファンを沸かせます。2年目も公式戦46試合で14ゴール3アシストを記録。故障者が続出していたチームを引っ張り、2年連続リーグ制覇に導きました。さらにヨーロッパチャンピオンズリーグでも、準決勝でレアル・マドリード相手にゴールを決めて撃破。結果は準優勝でしたが、ネドベド選手はこの年のバロンドールを受賞しました。
来週のスポーツ伝説は……
4/5(月) プロ野球 安田猛投手
4/6(火) マラソン 鈴木健吾選手
4/7(水) ジャンプ 小林陵侑選手
4/8(木) テニス 大坂なおみ選手
4/9(金) NFL トム・ブレイディ選手
お楽しみに!!