【陸上10000m 安藤友香選手】
トラック競技の選手から、2017年に名古屋ウィメンズマラソンで初のフルマラソンに挑戦した安藤選手。上半身の力を抜き両腕を下げたまま、腕の振りは最小限にする独特の走り方は‟忍者走り”と呼ばれています。このフォームでリオオリンピックの銀メダリストに食らいつき、2位でゴールイン。初マラソンでは日本最高記録となる2時間21分36秒のタイムで、一躍、ニュースター誕生と注目されました。19年からは陸上の名門・ワコールに移籍。しかし東京オリンピック代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップは8位に敗れ、20年3月、最後の選考レースとなった名古屋ウィメンズマラソンに臨みます。雨の中、レース序盤から高速ペースで進む先頭集団についていきますが、30km付近でロングスパートを仕掛けた同僚の一山麻緒選手に引き離され、2位でゴールイン。マラソン代表の座は一山選手に譲りましたが、トラック競技で再びオリンピックを目指します。
今年5月、オリンピック代表選考会も兼ねた、日本選手権・女子10000mに出場。安藤選手は、ハイペースで飛ばす20歳の廣中璃梨佳選手の後ろに忍者走りで食らい付き、参加標準記録を切る31分18秒18のタイムで廣中選手に次ぐ2位でゴールイン。悲願のオリンピック出場を決めました。
【陸上長距離 相澤晃選手】
相澤選手は、福島県須賀川市出身。この地は、1964年の東京オリンピックでマラソン銅メダルに輝いた英雄・円谷幸吉選手の故郷として知られています。相澤選手も‟第二の円谷”輩出を目指して創設された陸上クラブ「円谷ランナーズ」で競技に打ち込むと、高校は陸上の強豪・学法石川高校に進学。全国トップレベルの記録を叩き出すなど、着実に成長を遂げました。その後、東洋大学では学生長距離界のエースとして君臨。4年生で出場した全日本大学駅伝では驚異的な10人抜きを見せると、2020年の箱根駅伝では‟花の2区”を担当。そこでも7人抜きを演じ、区間新記録を樹立します。11年ぶりの区間新とあって、大会MVPに当たる金栗四三杯を受賞。終わってみれば相澤選手は、大学三大駅伝すべての大会で区間新記録を樹立する離れワザをやってのけたのです。
相澤選手は東洋大学時代から、10000mで世界を意識してきました。その甲斐あって、社会人1年目の昨年10月、記録会ではじめて27分台をマークし、満を持して迎えたのがオリンピック代表選考会も兼ねた12月の日本選手権でした。そこで相澤選手はオリンピック参加標準記録を上回るだけでなく、従来の日本記録を10秒以上も縮める27分18秒75の日本新記録で、東京オリンピック代表内定を勝ち取ったのです。
【マラソン 一山麻緒選手】
一山選手は、鹿児島の高校を卒業した2016年春、実業団の名門・ワコールの門を叩きました。高校時代に目覚ましい実績はありませんでしたが「マラソンで東京オリンピックに出たい」という夢を聞いたワコールの永山忠幸監督は、「5回目のオリンピックは君で行くよ」と約束しました。永山監督が課した、通称“鬼鬼メニュー”という厳しい練習に耐え、素質を開花させて行った一山選手。しかし19年9月、東京オリンピック代表を決めるMGC・マラソングランドチャンピオンシップは6位に失速します。高いレベルを求める監督と実際の走りが一致せず、期待に応えられない焦りから、師弟関係がギクシャクしたこともあったそうです。
20年3月、女子マラソンの東京オリンピック最終選考レースとなる名古屋ウィメンズマラソンの直前、一山選手は永山監督と共にアメリカ・アルバカーキで高地トレーニングを行いました。そこでは5キロごとのタイムを意識して走る練習を積み重ね、30キロ以降のペース配分強化を図りました。それが名古屋ウィメンズのレース終盤、驚異的な高速ラップにつながり、日本人国内最高記録となる2時間20分29秒の好タイムで優勝。ラストチャンスで女子代表の最後の1枠をつかみ取り、ついに夢を叶えたのです。
【スケートボード 平野歩夢選手】
東京オリンピックから採用された新競技、スケートボード。2種目あるうち「男子パーク」で出場権を勝ち取ったのが、冬季オリンピックのスノーボード・ハーフパイプで2大会連続銀メダルに輝いた平野選手です。プロサーファーを目指していた父親の影響で、‟横乗り”と称されるスポーツには幼い頃から親しんでいた平野選手。スノーボードの遠征にも、スケートボードの板を持参して空き時間に滑ったりと、2種類の板に長く触れてきた経験がありました。しかし見た目は似ていても、体の使い方に共通点は少なく、せっかく積み上げてきたスノーボードの競技力が落ちてしまう危険性もありました。それでもこの難しいチャレンジを決意したのは、2018年のピョンチャン・オリンピックで銀メダルに終わった悔しさがきっかけです。
平野選手はスノーボードで磨いたエアの高さと空中感覚の良さを、スケートボードでも発揮します。19年3月の日本オープンで初陣を飾っていきなり3位に入ると、5月には地元・新潟県村上市で行われた日本選手権で初出場初優勝を果たし、日本スケートボード協会の強化指定選手となったのです。19年の世界選手権では準決勝に進出したものの、その後、新型コロナ禍で国際大会が開かれず、貴重な実戦の場を失います。しかし国際ランキングで日本人トップの座を守り、平野選手は晴れて東京オリンピック代表の座を勝ち取りました。オリンピック夏・冬出場は日本人5人目ですが、両方でメダルを取った選手はいません。史上初の快挙へ、平野選手の挑戦はまだまだ続きます。
【スケートボード 開心那選手】
東京オリンピックの開催が決まった2013年、当時5歳だった少女が今回のオリンピックに出場します。スケートボード・女子パーク代表、12歳の開選手です。スケートボードが好きな母の影響で、幼稚園児だった5歳でこの競技に出会いました。地元の北海道苫小牧市に練習場ができると通い始め、先輩プロスケーターを手本に技を磨いた開選手。武器は、コースの縁をガリガリとこする「グラインド」と呼ばれる技で、特に板の前方車軸のみでコースの縁を滑る「ノーズグラインド」は世界でも大評判。‟ノーズグラインド マスター”のニックネームをつけられるほどです。こうした華麗な技を引っさげ、9歳で出場した18年の日本選手権で4位に入って頭角を現すと、この年の世界選手権ではいきなり7位に。翌年の日本選手権では10歳にして日本一の座をつかみます。
東京オリンピックの女子パーク出場枠は最大で3枠。世界ランキングで日本選手の上位3番手までに入らなければなりませんでしたが、予選最終戦前の時点で開選手は日本勢4番手にいました。逆転で代表入りを懸けて臨んだオリンピック予選大会。見事5位入賞を果たしたことで世界ランクが日本勢3番手となり、東京オリンピック代表を決めたのです。これまで、夏のオリンピック日本人最年少出場の年齢は、記録が残るところで13歳5ヵ月。競技初日を12歳11カ月で迎える開選手は、この記録を大きく更新します。
来週のスポーツ伝説は……
8/2(月) 体 操 小野喬選手
8/3(火) 体 操 V・チャスラフスカ選手
8/4(水) 柔 道 A・ヘーシンク選手
8/5(木) レスリング 渡辺長武選手
8/6(金) ボクシング桜井孝雄選手
お楽しみに!!