【プロ野球 背番号の歴史】
背番号が日本の野球シーンにおいて初めて導入されたのは、1931年の第8回センバツ大会での出来事でした。採用の理由は、広い甲子園球場において、どの選手がどこを守っているのか認識しやすくするため。ただし、背番号制度が採用されたのはなぜかこの年のみで、翌年からは背番号なしのユニフォームへと逆戻りしています。その後、52年の夏の甲子園大会で再び背番号が採用され、それにならう形でセンバツでも翌年から背番号が復活しました。
日本における背番号の歴史は31年からですが、野球の母国・アメリカでは、さらに古い歴史を誇ります。背番号ではなく、袖番号としてユニフォームに初めて番号を入れたのが、16年のクリーブランド・インディアンズ。ただ、あまりに小さく目立たなかったこともあって、袖番号は定着しませんでした。その後、29年にインディアンスとニューヨーク・ヤンキースの2チームが背番号を採用。その際、ヤンキースの3番打者だったベーブ・ルース選手は「3番」、4番打者のルー・ゲーリック選手は「4番」というように、打順がそのまま背番号になっていました。
日本のプロ野球チームがはじめて背番号を付けたのは、35年にアメリカ遠征をした大日本東京野球倶楽部、現在の読売ジャイアンツの前身にあたるチームが最初です。この時の背番号は、漢数字。理由は諸説ありますが、アメリカ人に日本のチームを知ってもらうための話題づくり、といわれています。
【プロ野球 背番号18】
元東北楽天ゴールデンイーグルスで、現在はニューヨーク・ヤンキースに所属する田中将大投手。田中投手は背番号18をつけて日本球界で頭角を現し、メジャーへと渡りました。田中投手がチームを離れた2014年以降、その背番号18は空き番号となっています。また横浜DeNAベイスターズでは、背番号18が代名詞だった“ハマの番長”こと、三浦大輔投手が昨シーズン限りで引退。球団は18番を“横浜ナンバー”と定め、今後ふさわしい選手が現れるまでは空き番号にすると発表しました。
そんな中、今年「背番号18」を背負って復活に賭ける二人の投手がいます。右肩手術からの完全復活を目指すソフトバンクの松坂大輔投手と、股関節手術から2年ぶりの一軍マウンドを目指す巨人の杉内俊哉投手です。松坂投手にとって18番は、西武ライオンズ、ボストン・レッドソックスでもつけていた愛着のある番号。杉内投手は、2007年以来5年間空き番になっていたジャイアンツの18番を、FA移籍した際に受け継いだ経緯があります。今年、共に37歳を迎える同級生の二人がかつての輝きを取り戻すことができれば、エースナンバーとしての「18番」が再認識され、ペナントレースもより一層盛り上がるはずです。
【アイスホッケー 久保英恵選手】
開幕まで1年を切った、平昌冬季オリンピック。活躍が期待される日本勢の中で、全競技を通じて出場決定第1号となったのが、アイスホッケー女子日本代表“スマイルジャパン”です。25日から行われる全日本女子アイスホッケー選手権では、スマイルジャパンのメンバーが敵味方に分かれ、激しい氷上の戦いを繰り広げます。
その中のひとりが、最終予選でチーム最多の5ゴールを決めた得点王で、“氷上のスナイパー”の異名を持つ、SEIBUプリンセスラビッツ所属の久保選手。現在34歳の久保選手がはじめて日本代表に選ばれたのは1997年、13歳の時でした。以降、日本代表の中心選手として活躍しながら、オリンピックへの出場機会に恵まれない、不遇の時代を長く過ごします。一度は現役引退も表明した久保選手。それでも、「久保がいないと日本は勝てない」という説得を何度も受け、1年半後に現役復帰すると、2013年 ソチオリンピック最終予選で大会MVPに輝く大活躍。日本女子代表は初めて予選を突破してのオリンピック出場を決めたのです。前回ソチオリンピックでは1勝もできなかったスマイルジャパン。オリンピックで悲願の初勝利をつかみ、メダルを掴むことができるかどうかは、久保選手の得点力に懸かっています。
【サッカー 岡崎慎司選手】
FIFAワールドカップ・ロシア大会への出場権を懸けた、アジア最終予選。グループBに所属する日本は、折り返しとなる5試合を終えて6チーム中2位。出場権獲得圏内につけています。ここまでの最終予選で、日本代表の得点王は、4試合連続得点中の原口元気選手で4得点。それだけに、後半5試合は今まで以上に原口選手へのマークが強まることが予想されます。そんな時に活躍を期待したいのが、同じフォワードの岡崎選手です。日本代表としての出場試合数は、フォワードでは歴代最多の106試合。代表通算49ゴールは、釜本邦茂選手・三浦知良選手に次ぐ歴代3位の記録です。
所属先のイングランド・プレミアリーグ レスターでは、岡崎選手は今シーズンはあまりいいところがなく、降格圏争いを強いられています。そんな状態にあっても岡崎選手に期待したくなるのは、苦境に立たされた時にこそ大きな飛躍を遂げる選手だから。過去2回のアジア最終予選でいずれもチーム内得点王になり、ワールドカップ出場の立役者になってきた岡崎選手。長丁場の戦いだからこそ、そのゴールが求められる場面がきっと訪れるはずです。
【プロ野球 糸井嘉男選手】
オリックス・バファローズから昨年オフにFA移籍。今シーズンから、新天地・阪神タイガースでプレーする糸井選手。背番号は去年までオリックスでつけていた7番をそのままつけることになり、その結果、背番号を5番に変更したのが西岡剛選手です。
西岡選手は2012年のオフ、メジャーから日本球界に復帰した際に、ロッテ時代につけていた7番で復活を懸けてプレー。阪神の7番はもともと、1985年、俊足好打のトップバッターとして球団初の日本一に貢献した真弓明信選手がつけていた番号で、俊足で首位打者のタイトルを獲得していること、ロッテで日本一を二度も経験していることが、7番を継承した理由でした。しかしここ3年は故障に泣かされ、糸井選手に番号を譲ることになったのです。それだけに、期待される番号ということは糸井選手も覚悟の上。12年ぶりのリーグ制覇は、背番号7の活躍に懸かっています。
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!