スポーツ伝説

3月13日~17日の放送内容

【高校野球 王貞治選手】
 
 1924年に始まった春のセンバツと、1915年に始まった夏の全国高校野球は、どちらも大正時代からの長い歴史を持つ高校野球の全国大会です。その記念すべき春・夏の第1回大会にいずれも出場した唯一の学校が、高校球界きっての伝統校、東京の早稲田実業。しかし大会黎明期からの強豪校でありながら、早稲田実業はなかなか全国の舞台で栄冠を勝ち取ることができませんでした。そんな早稲田実業に初めて優勝をもたらしたのが、のちに“世界のホームラン王”と呼ばれた王選手です。
 1957年 第29回センバツ大会。高校時代の王選手は、左腕の好投手として知られていました。2年生エースとして臨んだこの大会では、初戦が1安打完封。準々決勝は11奪三振で、無四球完封。準決勝も無四球完封と完璧なピッチングで、早稲田実業を決勝へと導きます。迎えた決勝の相手は、第1回のセンバツ決勝で敗れた宿敵・高知商業。王選手はこの試合でも好投を演じ、7回まで5対0とリードします。ところが、試合中に左手指のまめがつぶれ、8回に突如3失点。それでも王選手は、ボールを血で染めながら奮闘し、早稲田実業に悲願の初優勝をもたらしたのです。センバツの大会旗が箱根の山を越えたのも初めての快挙。王投手の「血染めのボール」が伝説になった瞬間でした。


   
【高校野球 松井秀喜選手・江川卓投手】

 センバツでの1大会最多ホームラン記録は3本で、過去に10人の選手が達成しています。その中でも特に印象深いのは、1992年 第64回大会での、石川県・星稜高校の松井選手です。実はこの大会の直前に、甲子園球場は外野フェンスの前にあったラッキーゾーンを撤廃。レフトとライトのスタンドまでの距離が5mも伸び、もっとも深いところでは8mも伸びたのです。これにより、それまで1大会で20本ほど出ていたホームランが、この大会ではわずか7本と激減。しかしこの7本のうち、実に3本を打ったのが松井選手でした。
 もう一人、スーパー球児として忘れてはならないのが、1973年 第45回大会に登場した栃木県・作新学院高校の江川投手です。栃木大会では1年の夏に完全試合を達成し、地元でその名を知らない人はいませんでしたが、甲子園にはなかなか縁がありませんでした。その“怪物・江川”がようやく甲子園の檜舞台に登場したのが、3年生の春のセンバツ。1回戦の初回からいきなり3者連続で三振を奪うと、その後も三振の山を築き、終わってみれば19奪三振で完封勝利。続く2回戦では10奪三振。 準々決勝では20個の三振を奪い、3試合連続完封で準決勝に進出します。準決勝の対戦相手・広島商業には1対2で惜しくも敗れてしまいましたが、この試合でも11個の三振を奪った江川投手。1大会での奪三振数60個は、40年以上経った今でも破られていない不滅のセンバツ大会記録です。


          
【高校野球 松本稔投手・中野真博投手】

 高校野球の全国大会の長い歴史において、相手チームの打者を一人も出塁させずに勝利する完全試合を達成したピッチャーは、たった2人しか存在しません。そして2人とも、夏の大会ではなく、春のセンバツで偉業を成し遂げています。はじめて甲子園大会で完全試合を達成したのは、1978年 第50回大会に出場した群馬県・前橋高校の松本投手。球威よりもコントロールで勝負するタイプの松本投手は、1回戦の比叡山高校との試合でそのコントロールが冴え渡り、相手打線をことごとく内野ゴロに仕留めます。終わってみれば、内野ゴロでのアウト17、三振5、内野と外野へのフライアウト5、投球数わずかに78球という省エネピッチングで、史上初の快挙を達成しました。
 もう一人は、1994年 第66大会に出場した、石川県・金沢高校の中野投手です。1回戦の江の川高校との試合に先発した中野投手は、得意のスライダーを武器に、相手打線を次々と凡打に打ち取ります。奪ったアウトは、三振6、内野ゴロ17、内野フライ1、外野フライ7。投球数99球での完全試合達成でした。
   
   
   
【高校野球 21世紀枠】
 
 2001年の第73回大会から採用された、春のセンバツ独特の「21世紀枠」。部員不足や、狭いグラウンドといった厳しい状況を乗り越えた学校や、文武両道・地域貢献など他校の模範となる取り組みをしている学校などを、秋季大会の成績だけにとらわれず選考しています。今年の大会で21世紀枠に選ばれたのは、部員数わずか10名ながら、昨年秋の岩手県大会で準優勝した県立不来方高校。昨年秋の岐阜大会を勝ち抜いて初優勝を果たした、岐阜県立多治見高校。そして40年ぶり2度目の出場となった、高知県立中村高校です。中村高校は40年前の初出場の際、部員がわずか12名ながら、のちにプロ野球・阪急ブレーブスで最多勝のタイトルを獲得した山沖之彦投手を擁し、準優勝の快挙を達成。その快進撃は「24の瞳」と呼ばれ、話題となりました。昨年秋の高知県大会では、甲子園常連校の明徳義塾高校を倒して復活をアピール。センバツでの快進撃も期待されています。
 実力第一ではない21世紀枠の出場校ですが、過去には台風の目となり、旋風を巻き起こした学校もありました。その代表例が、01年、21世紀枠初年度に選ばれた沖縄県立宜野座高校です。初戦となった2回戦を突破すると、3回戦では神奈川の強豪・桐光学園を撃破。さらに準々決勝を延長戦の末に制し、ベスト4まで駒を進めたのです。また、09年の第81回大会では、宮城県立利府高校もベスト4に進出。準決勝で現在西武ライオンズで活躍する菊池雄星投手がいた花巻東高校に惜しくも敗れて決勝戦には進めませんでしたが、記憶に残る快進撃を演じました。
 
   
  
【高校野球 清宮幸太郎選手】

 2年秋の時点での高校通算ホームランが78本。1年夏から甲子園で活躍し、驚異的なペースでホームランを量産している清宮選手。父親は選手と監督の両方で日本ラグビー界のスーパースターになり、現在もラグビートップリーグ・ヤマハ発動機の指揮を執る清宮克幸監督です。そんな環境で育ちながら、清宮選手が野球の道へ進んだのは、2006年夏の甲子園、早稲田実業と駒大苫小牧高校による、延長引き分け再試合となった伝説の決勝戦を甲子園球場で生観戦したことがきっかけでした。当時小学1年生だった清宮選手は、のちにプロに進んだ斎藤佑樹投手と田中将大投手の投げあいを見て、野球の素晴らしさに感動。いつか自分もあの早実のユニフォームを着て、甲子園に出たいと思い始めたのです。小学2年生の時に野球チームに入ると、中学1年生でリトルリーグの世界大会に出場。当時すでに183㎝、93㎏あった体格を生かし、投げては最速130キロ。打っては大会最長距離となる94mの特大ホームランを放ち、チームを世界一に導きました。
 そして15年、子どもの頃から憧れ続けた早稲田実業に入学。高校でもすぐに怪物ぶりを発揮し、主軸として甲子園でも活躍しました。そんな清宮選手も、遂にこの春から高校3年生。チームの主砲としてだけでなく、キャプテンとして高校ラストイヤーを迎えます。もちろん狙うは、60年ぶり2度目のセンバツ制覇です。
   
 
     
来週のスポーツ伝説は……

  3月20日(月) プロ野球 背番号の歴史
  3月21日(火) プロ野球 背番号18
  3月22日(水) アイスホッケー  久保英恵選手
  3月23日(木) サッカー 岡崎慎司選手
  3月24日(金) プロ野球 糸井嘉男選手
            
                       お楽しみに!!
BACK
NEXT