【プロ野球 トレイ・ヒルマン監督】
2003年からチームの指揮を執り、5年間ファイターズを率いたヒルマン監督。ニューヨーク・ヤンキース傘下のマイナーリーグで監督やコーチなどを10年以上勤め、後にヤンキースの永久欠番となるキャッチャーのポサダ選手や、クローザーのリベラ投手など、メジャーを代表するスター選手の育成に関わってきました。その経験を買われ、球団史上初となる外国人監督として来日。1年目こそ5位と低迷しましたが、バントをするよりも打ちにいって大量得点を目指す「ヒルマン野球」は徐々に浸透。北海道移転初年度の04年にはリーグ2位の731得点を記録するなど、得点力は着実にアップ。4年ぶりのAクラス入りを果たしました。
就任4年目の06年には、それまでの打撃力重視の野球から、投手力を重視した「スモール・ベースボール」への切り替えに成功。チーム25年ぶりのパ・リーグ制覇を達成すると、日本シリーズでも中日を下し、前身の東映フライヤーズ時代以来44年ぶりの日本一に輝きました。
【プロ野球 新庄剛志選手】
日本ハムファイターズが道民からの熱い支持を受ける大きなキッカケを作ったのが、2004年から加入した新庄選手です。前年までメジャーリーグ、ニューヨーク・メッツで活躍。球界屈指の外野守備と勝負強いバッティングも評価されての加入でしたが、もうひとつファイターズが期待したのは、その明るいキャラクターでした。
シーズンが始まると、新庄選手は誰よりも率先して様々なファンサービスを実施。映画のキャラクターや戦隊ヒーローのマスクを被ってのシートノックなど、そのパフォーマンスは“新庄劇場”と称され、連日メディアを賑わせました。同時に本業のプレーでも存在感を発揮。この年はホームラン24本に加え、自己最高の打率2割9分8厘をマーク。ゴールデングラブ賞を受賞するなど、得意の守備も健在でした。
【プロ野球 小笠原道大選手】
東京から札幌に本拠地を移して3年目の2006年に、移転後初の日本一に輝いた北海道日本ハムファイターズ。この年に主砲として活躍し、パ・リーグMVPに輝いたのが、“ガッツ”の愛称で親しまれた小笠原選手です。本拠地が東京だった時代の1996年、社会人野球のNTT関東からドラフト3位で日本ハムに入団。プロ入り当初はキャッチャーと内野手の両方をこなせることから“コンビニルーキー”と呼ばれたこともありました。
プロ入り後、バッティング面で転機となったのは、かつて阪急ブレーブスの主力バッターだった加藤英司コーチとの出逢い。2年目の98年は代打での出場がメインでしたが、打率3割2厘の好成績を残し、翌99年からファーストとしてレギュラーの座を獲得。打順は二番でしたが、ホームラン25本を放ち、攻撃的二番打者の先駆けとなりました。2002年からは三番に座り、2年連続で首位打者を獲得。押しも押されもせぬファイターズの主砲となった小笠原選手。06年にはホームラン32本、100打点をマークし、ホームラン王・打点王の二冠を獲得。チームもレギュラーシーズン1位となり、続くプレーオフでも、福岡ソフトバンクホークスを撃破。北海道移転後初のリーグ優勝に貢献した小笠原選手は、この年のパ・リーグMVPに輝きました。
【プロ野球 フェルナンド・セギノール選手】
近年の日本球界では、来日後に日本のチームをいくつか渡り歩く外国人選手が増えてきました。その代表例が、オリックス・日本ハム・楽天で合計8シーズンも日本でプレーした強打のスイッチヒッター、セギノール選手です。セギノール選手が初めて日本球界でプレーしたのは、2002年のオリックス・ブルーウェーブでした。しかしホームラン23本を記録するも、打率は2割4厘と低調で、この年限りで解雇。その一方で、日本球界初となる2試合連続での左右両打席のホームランと、シーズン3度の左右両打席ホームランを達成するなど存在感も示しました。
その後、メジャーリーグ、ヤンキース傘下の3Aで、ホームランと打点の2冠王に輝く実績を作り、04年から再び日本球界へ復帰。「日本へ忘れ物を取りに行く」と語り、日本ハムに入団したセギノール選手。そこには、2年前とはまるで別人のような姿がありました。3月・4月の月間MVPを受賞する好スタートを切ると、そのまま5月下旬まで打率4割台をキープ。広い札幌ドームで量産したホームランは44本。打率が3割5厘、打点108を記録。この年、三冠王に輝いた福岡ダイエーホークスの松中信彦選手と並んでホームラン王に輝き、指名打者部門でベストナインにも選ばれる活躍を見せたのです。
【プロ野球 武田久投手】
はじめは中継ぎの柱、その後は不動の守護神として、北海道移転後のチームを4度もリーグ優勝に導いた、北海道日本ハムファイターズのリリーフエースの武田投手。即戦力の中継ぎ投手として、1年目から一軍出場を果たしましたが、勝ちパターンの試合でマウンドを託されるようになったのは、3年目の2005年から。この年に23試合、翌06年には75試合に登板し、当時のリーグ新記録となる45ホールドポイントを記録。最優秀中継ぎ投手賞を獲得し、チーム44年ぶりの日本一にも貢献しました。07年も64試合に登板し、中継ぎエースとしてリーグ2連覇に貢献した武田投手。09年からはクローザーに転向して34セーブを挙げ、最多セーブ投手賞のタイトルを獲得。新・守護神として、チームを北海道移転後3度目のリーグ優勝へと導きました。
しかし長年の疲労が響き、14年以降の登板数は大幅に減少。昨シーズンも一軍登板は7試合だけに終わり、武田投手は10月に退団を発表。今シーズンから社会人時代の古巣・日本通運に戻り、コーチ兼任の選手としてプレーすることになりました。
来週のスポーツ伝説は……
5月21日(月) マラソン 設楽悠太選手
5月22日(火) マラソン 関根花観選手
5月23日(水) テニス ラファエル・ナダル選手
5月24日(木) テニス 大坂なおみ選手
5月25日(金) サッカー ボビー・チャールトン選手
お楽しみに!!