【プロ野球 新庄剛志選手】
1995年、元近鉄のエース・野茂英雄投手が日本人として史上2人目のメジャーリーグ入りを果たし、日本のスター選手たちにメジャー移籍の道を拓いてから20年以上が経ちました。この間、数多くの日本人メジャーリーガーが誕生し、ワールドシリーズという夢の舞台を目指してきました。そんなワールドシリーズで実際にプレーした最初の日本人選手が、稀代のエンターテイナーとしてファンを沸かせた男、元・阪神タイガースの新庄選手です。
タイガースきっての生え抜きスターだった新庄選手は、2000年オフにその座を投げうって、FAでニューヨーク・メッツに移籍。同時期にメジャー移籍したイチロー選手とは対照的に、前評判は決して高くありませんでした。ところが新庄選手は予想を覆して外野のレギュラーに定着すると、メジャーでも自慢の守備力と強肩ぶりを発揮。球団新人記録を更新する12補殺をマークします。また打撃面でも、チーム最多タイの勝利打点11を記録。その勝負強さを買われ、一時は4番打者に抜擢されました。02年にサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍すると、日本人選手初の満塁ホームランを放つなど、相変わらずの勝負強さを発揮した新庄選手。レギュラー獲得はならなかったものの、貴重なベンチプレーヤーとしてチームを盛り立て、ジャイアンツのワールドシリーズ進出に貢献したのです。そしてアナハイム・エンゼルスとの第1戦で、新庄選手は9番・指名打者でスタメン出場を果たし、日本人選手として初めてワールドシリーズの舞台に立ちました。さらに第2打席ではセンター前ヒットを放ち、日本人選手初安打を記録。大舞台でも一切臆することのない、強心臓ぶりを発揮したのです。
【プロ野球 井口資仁選手】
どんな成績を残すことよりも、どんな高額年俸を勝ち取ることよりも、メジャーリーガーにとって最高の栄誉は、ワールドシリーズに出場して勝ち、チャンピオンリングを手にすることだといわれます。その栄誉に、メジャー1年目にして輝いた日本人選手が、2005年にシカゴ・ホワイトソックスでプレーした井口選手です。
04年オフにメジャー挑戦を表明した井口選手は、05年にシカゴ・ホワイトソックスと契約を交わし、念願のメジャー移籍を果たします。しかし移籍1年目は、徹底したチームのつなぎ役を求められ、野球人生の中でもっとも苦しいシーズンとなりました。ダイエー時代にはクリーンナップを任されることが多かった井口選手でしたが、ホワイトソックスでは2番打者が定位置。1番打者が出塁すると、どんなに打つ自信があっても、3・4番のクリーンナップにつなぐことを求められ、フラストレーションばかりが溜まる日々が続きました。しかしギーエン監督の言葉が井口選手を救います。「チームのためになんでもやってくれる。私にとって今年のMVPは井口だ。井口がチームを変えた」。この言葉通り、シーズンが進むほどにチーム全体に“つなぎの野球”が徹底され、メンバーは一致団結。地区優勝を果たし、ポストシーズンでは11勝1敗という圧倒的な強さで88年ぶりとなるワールドシリーズ制覇を成し遂げたのです。
【プロ野球 田口壮選手】
ワールドシリーズで、優勝が決まる瞬間にフィールドに立っていた初の日本人メジャーリーガーが、セントルイス・カージナルスでプレーしていた田口選手です。
メジャー移籍を果たしたのは、2002年。しかし栄光のオリックス時代とは異なり、メジャーでは不遇の時代を経験しました。1年目の出場は19試合のみ。2年目の03年はオープン戦で好調だったにもかかわらず、開幕戦の試合開始4時間前にマイナー降格を告げられるという、ショッキングな出来事も経験。出場試合数も43試合にとどまります。その風向きが変わったのが、メジャー3年目のこと。田口選手は、意を決して監督室のドアをノックし、「僕を使ってください!必ず結果を出しますから」と直談判。この日を境にだんだん出場機会が増えるようになり、“第4の外野手”としてチームに欠かせない存在になりました。代走や守備固めなども含め、出場試合は109試合に激増。カージナルスもこの年から、地区3連覇を果たしたのです。06年にはワールドシリーズ進出を果たし、世界一が決まった瞬間、フィールドに立っていた最初の日本人選手となった田口選手。08年にフィラデルフィア・フィリーズへ移籍すると、その年にも自身2度目のワールドシリーズ制覇を経験しました。
【プロ野球 上原浩治投手】
メジャーでも屈指の人気と歴史を誇る名門球団ボストン・レッドソックス。しかし、2012年には地区最下位に沈むほどの低迷期を迎えていました。そんなチームを大きく変えたのが、二人の日本人投手の存在です。一人が、抑えにつなぐセットアッパーとして活躍した田澤純一投手。そしてもう一人が、主に最終回に登板し、試合を締めくくるクローザーとして活躍した上原投手でした。
2009年にメジャー移籍。最初に所属したボルティモア・オリオールズから11年のシーズン途中にトレードされ、テキサス・レンジャーズに移籍すると、主に中継ぎで活躍し、チームのプレーオフ進出に貢献します。しかし登板した試合で3試合連続ホームランを打たれるという、ポストシーズン史上初の不名誉な記録を作ってしまい、チームがワールドシリーズに進出しながら、上原投手は出場登録されないという屈辱を味わいました。13年、レッドソックスに移籍した上原投手は、6月からクローザーに転向。すると7月から9月にかけ、日本人投手歴代最長の27試合連続無失点を記録したのです。さらには37人連続アウトという球団記録もマーク。こうして、セットアッパー田澤・クローザー上原という投手リレーは、レッドソックスの必勝パターンとなり、6年ぶりとなる地区優勝に貢献しました。
【プロ野球 松井秀喜選手】
歴代の日本人メジャーリーガーで、ワールドシリーズを制覇したメンバーの証・チャンピオンリングを手にした選手は、これまでに9人存在します。しかし、シリーズMVPに輝いた日本人選手はたった一人、ニューヨーク・ヤンキースでプレーした、松井選手だけです。
松井選手が不退転の決意で巨人を退団し、ヤンキースに移籍したのは2003年のことでした。ニューヨークでの本拠地デビュー戦で満塁ホームランを放つなど、1年目からチームの主軸として活躍し、その年のワールドシリーズにも出場。チームは敗れたものの、松井選手はワールドシリーズでの日本人初ホームランを放つなど活躍を見せました。しかし、その後はなかなかポストシーズンを勝ち上がることができず、迎えた09年。松井選手はメジャー移籍後2番目に多いホームラン28本を記録。90打点の好成績を残し、チームも03年以来となるワールドシリーズ出場を果たします。松井選手はワールドシリーズで6試合に出場し、ホームラン3本を含む13打数8安打で、打率は脅威の6割1分5厘。計8打点を記録。ヤンキースを9年ぶり27度目のワールドチャンピオンに導きました。
来週のスポーツ伝説は……
10月17日(月) プロ野球 斉藤雅樹投手・山田哲人選手
10月18日(火) プロ野球 福本豊選手・掛布雅之選手・新井貴浩選手
10月19日(水) プロ野球 角中勝也選手・又吉克樹選手
10月20日(木) プロ野球 92・93年 西武vsヤクルト
10月21日(金) プロ野球 83年 西武vs巨人
お楽しみに!!