スポーツ伝説

8月2日~6日の放送内容

【体操 小野喬選手】

 1952年に行われたヘルシンキ大会を皮切りに、64年の東京大会まで4大会連続でオリンピックに出場した小野選手。初めて出場したヘルシンキ大会では、遠征中に急性蓄膿症になり、鼻に綿を詰めて出場しました。そんな状況でも、跳馬で銅メダルを獲得。この時、新しい技の必要性を痛感した小野選手は、続く56年のメルボルン大会 鉄棒で新技「ひねり飛び越し」を繰り出し、金メダルを獲得。日本体操界初のオリンピック金メダリストに輝きました。
 小野選手はさらに、60年のローマ大会でも鉄棒で連覇を果たし、「鬼に金棒、小野に鉄棒」というフレーズも生まれました。また、跳馬と男子団体でも金メダルを獲得。日本が男子団体で金メダルに輝いたのはこれが初めてのことで、牽引役となったのは小野選手でした。東京大会では日本選手団の主将に選ばれ、開会式では選手宣誓の大役も務めた小野選手。男子団体ではこれまでの豊富な経験を生かしてチームを支え、日本はみごと金メダル。連覇を達成したのです。男子団体はその後、76年のモントリオール大会まで計5連覇を達成。小野選手は、その大記録の土台を築いた功労者とも言えます。

  

【体操 ベラ・チャスラフスカ選手】

 幼い頃から、バレエやフィギュアスケートで身体能力や演技力を磨いた、チェコスロバキアのチャスラフスカ選手。その後、体操に転向します。チャスラフスカ選手を大きく飛躍させるきっかけになったのは、当時世界でもトップレベルだった日本の体操でした。特に影響を受けたのが、東京オリンピック 男子体操個人総合の金メダリスト・遠藤幸雄選手です。
 1962年、チェコスロバキアのプラハで行われた世界選手権で、チャスラフスカ選手と遠藤選手は共にソ連の選手に敗れ個人総合2位となり、「東京オリンピックでは、お互い優勝しよう」と誓い合いました。チャスラフスカ選手は、遠藤選手に身振り手振りで自分の課題を指摘してもらい、日本の体操の技を自分のものにしていったのです。そして64年の東京オリンピックに出場すると、日本から学んだ技術を次々と披露。優雅かつ華麗な演技で観客を魅了し、‟東京の恋人”と呼ばれました。平均台・跳馬に加えて個人総合でも優勝し、金メダル3個を手にして遠藤選手との約束を見事に果たしました。
  

 
【柔道 アントン・ヘーシンク選手】

 オリンピックでは開催国の人気競技が採用されることがよくあります。1964年の東京大会から新たに採用された柔道がまさにそうでした。当時、全4階級での金メダル獲得を求められた日本勢は、その期待に応えるように軽量級・中量級・重量級で順当に金メダルを獲得します。しかし残る無差別級を制し、日本勢のメダル独占に待ったをかけたのが、オランダのヘーシンク選手でした。14歳で柔道を始めたヘーシンク選手にとって、転機となったのは20歳の時。オランダ柔道連盟の招きで指導に訪れた日本人柔道家・道上伯さんと運命的な出会いを果たします。身長198㎝、体重85kgと体が大きく、手足も長く、技にスピード感もあるヘーシンク選手は指導次第で伸びると見抜かれ、道上さんと師弟関係に。時には日本に武者修行にも訪れて腕を磨きました。
 その成果を発揮したのが61年、パリで開催された第3回世界選手権でした。ヘーシンク選手は準決勝と決勝で日本人選手を倒し、外国人選手初優勝という快挙を成し遂げたのです。日本柔道にとってはあまりにも衝撃的な黒星。東京オリンピックでの「打倒ヘーシンク」は、日本柔道界にとって至上命題となりました。その役目を託されたのが、当時史上最多・3度の全日本選手権優勝を果たしていた神永昭夫選手です。決勝戦は一進一退を繰り返しましたが、ヘーシンク選手が得意の寝技に持ち込み、袈裟固めの抑え込みで一本。世界選手権に続いて、金メダル獲得を果たしました。



【レスリング 渡辺長武選手】
 
 霊長類最強女子と言われたレスリング・吉田沙保里選手より半世紀も前、同じように人間離れした強さで世界を圧倒したのが、男子フェザー級の渡辺選手です。レスリングの名門・中央大学に進学すると、2年生で早くも全日本選手権フェザー級で優勝。4年生の62年には特別推薦で全米選手権に出場し、6試合すべてでフォール勝ち。最短20秒、6試合を10分もかからずに終えるいうあまりの強さから‟ワイルド・アニマル”という異名がつきました。
 渡辺選手を強化合宿でさらに鍛えたのは、当時日本レスリング協会の会長だった八田一朗さんでした。八田会長の指導はすさまじく、相手の「気」を察するために目かくしで練習をしたり、上野動物園に行ってライオンとにらみ合う特訓をしたこともありました。そんな猛練習にも耐えた渡辺選手は、国内でも海外でも連戦連勝。63年には世界選手権で連覇を果たします。そして61年から負けなしで迎えた64年の東京オリンピック本番計6試合で1ポイントも失わない完全優勝で、金メダルを獲得したのです。渡辺選手がこの間にマークした186連勝は、ギネスブックにも掲載されました。



【ボクシング 桜井孝雄選手】 

 1941年、千葉県で生まれた桜井選手がボクシングと出会ったのは高校生の時。戦後間もないボクシング部には専門の指導者はおらず、ほぼ独学で手作りのサンドバックで練習をしました。それでもインターハイのバンタム級で、全国優勝を飾ります。一躍脚光を浴びた桜井選手は、強豪大学からスカウトが殺到する中、中央大学に進学。当時、大学選手権4連覇中の名門で本格的にボクシングに打ち込むと、持ち前のセンスに磨きをかけてアウトボクシングのスタイルを確立しました。
 相手のパンチを巧みにかわす天才的な防御力を活かし、「打たせずに打つ」をモットーに、大学でもバンタム級で日本一に。64年の東京オリンピックの代表選考会も勝ち上がり、バンタム級代表に選ばれます。決勝まで順調に駒を進めたオリンピック本番、桜井選手は韓国の選手を相手に4度のダウンを奪う一方的な展開で快勝。日本人初のオリンピック金メダリストになったのです。



来週のスポーツ伝説は……

8/9(月) プロ野球 髙橋優貴投手
8/10(火) プロ野球 佐藤輝明選手  
8/11(水) プロ野球 平良海馬投手
8/12(木) プロ野球 杉本祐太郎選手
8/13(金) プロ野球 佐々木朗希投手

お楽しみに!!
BACK
NEXT