【プロ野球 村田兆治投手】
1967年、ドラフト1位で東京オリオンズに入団。以来23年間、チーム名がロッテに変わってもオリオンズ一筋で投げ続け、エースとして活躍した村田投手。70年にはパ・リーグ制覇を、74年にはリーグ優勝と日本一を経験。右ヒジを痛め、83年にトミー・ジョン手術を日本人投手としていち早く受けたこともありました。
そんな村田投手の引退試合は、今から27年前の1990年10月13日。雨が降る中、川崎球場に2万2千人の観衆を集めて行われた、ロッテオリオンズ 対 西武ライオンズ戦でした。あいにくのコンディションの中、この年リーグ優勝を飾った西武打線を“マサカリ投法”で仕留めていった村田投手。この日、ストレートは最速145キロをマーク。大きく落ちるフォークも冴えわたり、無失点に抑えます。試合はその後、雨足が強くなったため、4対0のまま5回コールドでロッテが勝ち、村田投手は完封でこの年10勝目・通算215勝目を挙げました。40歳とは思えないピッチングを披露した村田投手でしたが、実は体はもうボロボロ。気力と技術で補っていたのです。
【プロ野球 池山隆寛選手】
1983年、ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。守ってはショートとして活躍し、打っては常にフルスイングする姿から“ブンブン丸”のニックネームでファンに親しまれた池山選手。88年から5年連続で30本以上のホームランを記録し、通算のホームラン数は304本。野村克也監督時代は、広沢克己選手との“イケトラコンビ”で、チームを牽引したスラッガーでした。
入団以来、スワローズ一筋19年。晩年はアキレス腱痛や腰痛・ひざの痛みにも悩まされ、2002年限りでユニフォームを脱ぐと発表した池山選手。引退試合は10月17 日、神宮球場の広島戦と決まりました。超満員の4万5千人を集めたこの試合、池山選手は「三番・ショート」で先発出場。初回の第1打席からフルスイングを見せ、スタンドを埋め尽くしたファンたちは、その豪快なスイングをしっかりと目に焼き付けました。
【フィギュア 本田武史選手】
いよいよあと4ヶ月後に迫った、平昌冬季オリンピック。中でも日本勢の活躍が期待されるのが、男子フィギュアスケートです。新しい才能が次々と登場する男子フィギュア界ですが、その先駆けとなったのが90年代後半から2000年代前半に活躍した、本田選手です。本田選手は、中学1年で初めて出場した国際大会でいきなり優勝。1996年には中学3年生で世界ジュニア選手権に出場し、銀メダルを獲得。この活躍により、シニアの全日本手権に出場する機会を与えられると、初出場初優勝の快挙を達成します。98年には、16歳で長野オリンピックに出場しますが、地元開催のプレッシャーもあってかミスを連発し、15位という成績に終わってしまいました。しかしオリンピックの翌月に行われた世界選手権では、日本人で初めて4回転ジャンプに成功。翌シーズンには、グランプリシリーズで日本人初の表彰台となる2位。さらに、初めて開催された四大陸選手権で、初代王座に輝いたのです。
世界的なスケーターの仲間入りを果たして迎えた、2002年のソルトレイクシティオリンピックでは、あと一歩のところでメダルに手が届かず4位。しかし長野の時と同様、オリンピックの翌月に行われた世界選手権では、総合で銅メダルを獲得し、翌03年の世界選手権でも銅メダルを獲得します。また、この年の四大陸選手権では、フリーで「2種類の4回転ジャンプを3回成功」という偉業を成し遂げ、大会2度目の金メダルを獲得したのです。
【サッカー 井手口陽介選手】
アジア最終予選を勝ち抜き、みごと6大会連続でのワールドカップ出場を決めたサッカー日本代表。本大会出場を決めた宿敵オーストラリアとの一戦で勝利を決定づけるゴールを決めたのが、ガンバ大阪所属の21歳、井手口選手です。
実は井手口選手は、サッカーファンの間ではデビュー当時から注目されてきた期待の逸材。ガンバ大阪ジュニアユースのセレクションを受験した際、最終選考を待たずして早々と合格が告げられる程、当時から別格の存在でした。ガンバ大阪に入るまでは、フォワードでプレーしていた井手口選手。しかしガンバでは、体の大きな上級生にも物怖じせず向かっていく姿を評価され、ボランチへと転向。年代別代表にも選ばれるなど順調に成長をとげ、2014年には17歳にしてトップチーム入り。その技術と驚異的なスタミナから、チームメイトから“怪物”と呼ばれることもありました。飛躍の年となったのは、16年です。リオ オリンピック代表にチーム最年少の19歳で選出され、大舞台を経験。すると帰国直後のリーグ戦でJ1初ゴールを記録。その勢いで主力に定着すると、ルヴァンカップではニューヒーロー賞を受賞。シーズン終了後のJリーグ アウォーズでも、新人王にあたるベストヤングプレーヤー賞に選ばれました。
【サッカー ヴァヒド・ハリルホジッチ監督】
激闘が続いたワールドカップアジア最終予選。初戦が黒星発進という苦しい状況を乗り越え、日本代表をワールドカップ出場へと導いたのが、ハリルホジッチ監督です。ハリルホジッチ監督は旧ユーゴスラビア、現在のボスニア・ヘルツェゴビナ出身。前回のブラジル・ワールドカップではアルジェリア代表の指揮を取り、初の決勝トーナメント進出へ導いただけでなく、優勝したドイツ代表を延長戦まで追い詰めた健闘ぶりが高い評価を集めました。
紛争を逃れるため、フランスに移住したハリルホジッチ監督は、新天地で指導者としてのキャリアを再出発させます。97年、モロッコの名門ラジャ・カサブランカを率いて、アフリカ・チャンピオンズリーグ優勝に導くと、翌年からはフランスの古豪・リールの監督に就任。クラブ史上初のヨーロッパチャンピオンズリーグ出場権を獲得しました。その手腕が評価され、2001年にはフランス最優秀監督賞にも輝いています。
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!