スポーツ伝説

12月21日~25日の放送内容

【プロ野球 デーブ・ロバーツ選手】

 「日本人以上の日本人」と首脳陣やファンから親しまれていたロバーツ選手。1967年の来日当初にクローズアップされたのは、現役メジャーリーガーの肩書でした。ただ、メジャーでプレーしたのは通算3シーズンのみ。出場したのは通算91試合で、年棒が低かったため、シーズンオフにはアルバイトとしてメキシカンリーグでプレーしたという苦労人でした。そこに飛び込んできた日本からのオファーは、年棒がそれまでの6倍近く。二つ返事でサンケイに入団すると、定住するために家族連れで来日しました。「日本は平和で差別のない、国民が親切な国。引退後はコーチをしてずっと住んでいたい」とまで語ったのは、当時のアメリカには、今では考えられないほどの人種差別があったから。メジャー昇格を果たすまでに10年もの歳月を要したのも、その影響でした。
 来日当初は打撃不振に悩んだロバーツ選手。しかし「日本製のバットを使ったらいい」とのチームメイトのアドバイスで覚醒しました。1年目こそホームランは28本でしたが、翌68年は40本を放つなど、巨人・王貞治選手のライバルに。69年9月18日には外国人選手として最速の通算100号ホームランを記録し、71年7月18日には外国人選手として史上初の通算150号を放っています。7シーズン日本でプレーし、ベストナインに2度。4回のオールスター出場も果たしました。 



【プロ野球 筒香嘉智選手】

 世界野球大会プレミア12の準決勝で、日本は韓国に9回、悪夢の逆転負けを喫しました。しかし準々決勝までの快進撃は素晴らしく、メジャーリーグからも熱視線が注がれました。
 1次リーグ5戦全勝でB組1位の日本。しかし負ければ終わりの決勝トーナメント準々決勝で、大ピンチに直面しました。1次リーグで4番を打った中村剛也選手が、右足痛でスタメンを外れたのです。代わりに4番に抜擢されたのが、筒香選手。猛打賞の活躍で、準々決勝まで6戦の打率は4割5分にまで跳ね上がりました。
 大きく成長したのは、レギュラーシーズン。横浜DeNAは最下位ながら、筒香選手は打率3割1分7厘、24本塁打、93打点の活躍。以前から「一発で流れを変えるホームランバッターになりたい」と話していましたが、「ホームランバッターでも、やはりチームの勝利が一番大切。得点圏にランナーがいたら、簡単にタイムリーを打てるホームランバッターです。ヒットはいつでも打てる。そう言ってみたい」と目を輝かせます。台湾での5試合は、十分すぎるほどの存在感。準決勝まで7試合でフォアボール7個と、選球眼も抜群でした。

 

【プロ野球 中田翔選手】

 プレミア12での大活躍が光ったのは、中田選手。気迫のヘッドスライディングや決勝打の数々で、海外メディアも『アジア最高のスラッガー』と評しました。準決勝の韓国戦まで、7戦すべてにスタメン出場。打率4割2分3厘、2本塁打、13打点を記録しています。これまでに日本代表の選手が1試合にあげた打点の最多記録は、2004年アテネオリンピックで福留孝介選手の10打点。今回、中田選手はこの記録を11年ぶりに塗り替えました。
 今年初め、バッティングの調子が悪かった中田選手を覚醒させたのは、同じ日本ハムの大谷投手でした。日本ハムの春季キャンプで対戦してから調子が戻り、大谷投手の快投には常に魂のプレーで援護を見せてきました。それだけに「翔平に勝ちをプレゼントしたかった」と、準決勝で敗れた後、中田選手は悔しさをにじませていました。
 


【プロ野球 佐藤道郎選手】

 南海ホークスで1970年代に大活躍した佐藤投手の逸話で有名なのは、『夢の中で開眼した』という話。日本大学4年生の春、開幕から調子が上がらなかった佐藤投手は、当時巨人で活躍していた堀内恒夫投手の投球フォームの連続写真を研究。そのまま寝入ってしまったところ、自分がノーワインドアップモーションで投げて凡打の山を築く夢を見ました。その感触は目が覚めても忘れず、すぐさま次の試合に試すと、見事に完封。そのまま8勝をあげて春のリーグ戦を制し、秋季も8勝の大活躍をします。年間16勝は、当時のリーグ記録。70年のドラフトで南海から1位指名を受け、プロへの第一歩を踏み出しました。
 ルーキーシーズンは、リーグ最多の55試合に登板。18勝をあげ、防御率2.05で最優秀防御率に加え、新人王にも選出されました。振りかぶらない、ノーワインドアップ投法のパイオニア。その佐藤投手に、就任1年目の野村克也監督は抑えの資質を見出しました。74年にセーブ制度ができると、初代の最多セーブ投手に輝いています。 



【プロ野球 大下剛史選手】

 歯に衣着せない言動と、名人芸ともいわれたプレーでルーキー時代から大活躍。個性的なプレーヤーとして現在でもファンの記憶に残っているのが、東映フライヤーズや広島カープで活躍した、大下選手。神出鬼没で何をするか分からず、“忍者”の異名がつきました。
 駒沢大学時代は2度のリーグ優勝を経験し、1年生の春から、在学中全試合全イニング出場を記録。1966年のドラフト2位で東映フライヤーズに入団し、1年目からショートのレギュラーで大活躍しました。チームの先輩である張本勲選手・大杉勝男選手など、超個性派の中に入っても全く気後れすることがなく、セカンドにコンバートされてからは、ショートの大橋穣選手と組んだ二遊間コンビで芸術的プレーを連発しました。



来週のスポーツ伝説は……

 12月28日(月) 大 相 撲 北の湖関
 12月29日(火) プロ野球 松沼博久・雅之選手
 12月30日(水) プロ野球 鹿取義隆選手
 12月31日(木) プロ野球 高木豊選手
  1月 1日(金) サッカー 三浦知良選手

                       以上の5選手をご紹介します。
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