【サッカー 内田篤人選手】
2006年、静岡の名門・清水東高校から鹿島アントラーズに入団した内田選手。高卒ルーキーながら開幕戦から先発に名を連ね、右サイドバックのレギュラーに定着。常勝チームの一員として、07年からのJリーグ3連覇に貢献しました。また、19歳で日本代表に初めて招集されると、10年にはワールドカップ南アフリカ大会の代表にも選ばれます。ところが、本大会直前に岡田武史監督が守備重視のチーム戦術に変更したため、攻撃力が売りだった内田選手は出場機会を失い、大会本番でピッチに立つことはありませんでした。このとき味わった悔しい思いから、この年の7月、内田選手はドイツ・ブンデスリーガ1部の強豪・シャルケに移籍。そこでチームメイトや首脳陣の信頼を勝ち取り、チームになくてはならない選手に成長したのです。
2度目の出場となった14年のワールドカップブラジル大会では、内田選手はドイツで磨いてきた守備で奮闘し、全3試合にフル出場を果たします。しかし大会前に痛めた古傷の右ヒザが悲鳴をあげ、翌15年に手術。18年、8年ぶりに古巣・鹿島に復帰してからも常に闘争心溢れるプレーでベストを尽くしましたが、ヒザの手術を境に落ちたコンディションは回復せず、現役引退を決意しました。
【バドミントン 髙橋礼華選手】
今や男女ともに世界屈指の実力を誇る、日本のバドミントン。その流れを作ったのが、4年前のリオオリンピック・女子ダブルスで日本バドミントン界初の金メダルを獲得した“タカマツペア”こと、髙橋選手と松友美佐紀選手です。あれから4年。東京オリンピックでは2大会連続での金メダルを目指していたタカマツペアでしたが、新型コロナウイルスの影響により大会は1年延期に。今年8月、引退を表明しました。
2人は同じ高校で出会い、髙橋選手が2年生、松友選手が1年生のときにペアを結成。以降13年間、共に競技生活を歩み続けてきました。引退会見を行った8月19日は、くしくも4年前にリオで金メダルを獲得した日と同じ日付。髙橋選手は、「こういう日に引退表明できるのは幸せなこと」と語った髙橋選手は、今後はジュニア世代に向け、気持ちの持ち方などメダリストの経験を伝えていく予定です。
【バスケットボール 折茂武彦選手】
プロバスケットボールチーム・レバンガ北海道の折茂選手が引退を表明したのは、昨年9月、2019‐20年シーズンの開幕前のことでした。このシーズンが最後のシーズンと宣言したリーグ最年長の49歳は、年齢からは考えられない存在感をコートの内外で発揮し続けました。折茂選手は1993年に日本リーグのトヨタ自動車に入社し、トップリーグでのプレーをスタート。2007年に当時唯一のプロチームだったレラカムイ北海道に移籍します。しかしチームは経営悪化により、10年にリーグから除名。そこで折茂選手が選手兼社長として新チーム・レバンガ北海道を立ち上げ、地域に根ざしたチーム作りを始めたのです。もちろん選手としても先頭に立ち続け、Bリーグ開幕以降3シーズン連続でチーム日本人選手トップの得点を記録します。
19年1月には、国内トップリーグで日本出身選手として、初の通算1万得点を達成。現役ラストシーズンのハイライトは、今年1月に北海道で開催されたオールスターゲームでした。折茂選手は北海道のファンの前で14得点を挙げ、自身9度目となるオールスターMVPを獲得したのです。49歳と249日でのMVP受賞は、史上最年長としてギネス世界記録に認定されたました。
【NBA ビンス・カーター選手】
今年6月、NBAアトランタ・ホークスのカーター選手が、43歳で現役引退を正式に表明しました。一度もリーグ優勝の経験がないにもかかわらず、カーター選手が歴史に名を残す名選手になれたのは、驚異的なジャンプ力でファンを沸かし続けたからです。1998年にカナダに本拠地を構えるトロント・ラプターズでデビューすると、さっそくチームの得点源となって新人王を獲得。2000年、シドニーオリンピックにアメリカ代表として出場し、金メダル獲得に貢献しました。この時に話題となった伝説のプレーが、218㎝もある長身選手に対して挑んだ“人間超えダンク”。これでカーター選手は世界にその名を轟かせたのです。
その後も、通算8度のオールスター選出など、数々の功績を残したカーター選手。04年以降、何度も移籍を重ねて合計8チームでプレーしましたが、どのチームでも常に中心的存在としてコートに立ち続けました。通算1541試合出場は歴代3位。現役生活22年はNBAの歴代最長記録です。また1990年代、2000年代、2010年代、そして2020年代と、4つの異なる年代でプレーした、史上初の選手にもなりました。
【ラグビー 大野均選手】
座右の銘は「灰になってもまだ燃える」という、熱血ラガーマンの大野選手は、高校までは野球部員でした。大学に入ってからラグビーを始めたにもかかわらず、たちまち才能を発揮。2001年に東芝に入団すると、闘志あふれるプレーで19年にわたってチームを牽引し、日本選手権優勝3回、トップリーグ優勝5回に貢献しました。また日本代表として、07年・11年のワールドカップにも連続で出場。
大野選手にとって転機となったのは、11年の大会後に、世界屈指の名将エディー・ジョーンズ氏が、日本代表のヘッドコーチに就任したことです。日本が世界で勝つために、ジョーンズ氏が重視したのは運動量。ジョーンズヘッドコーチが課したハードな練習メニューを、若手に負けじとこなしていった大野選手は、15年のワールドカップ・イングランド大会で3大会連続出場を果たします。初戦で優勝候補の南アフリカを撃破し、世界を驚かせた歴史的勝利にも貢献しました。
来週のスポーツ伝説は……
11/2(月) 大相撲 翔猿正也関
11/3(火) 大相撲 正代直也関
11/4(水) ゴルフ 笹生優花選手
11/5(木) ゴルフ コリン・モリカワ選手
11/6(金) ゴルフ 金谷拓実選手
お楽しみに!!