スポーツ伝説

2月8日~12日の放送内容

【プロ野球 岩本義行選手】

 落合博満 中日GMは現役時代、バットを体の正面に立て、ゆったりとした独特の構えで三冠王を3度獲得しました。その構えの元祖は、岩本選手。反発力の低いボールに弾きの悪いバットを使っていた1942年、この構えで戦前唯一の1試合3ホームランを放ったのは伝説になっています。
 1938年に南海ホークスに入団。終戦後はチームを転々とし、2リーグ制が始まった50年はセ・リーグの松竹ロビンスでプレー。セ・リーグ第1号ホームランを満塁で記録しました。この年、打率3割1分9厘・ホームラン39本、さらに俊足を生かして34盗塁を記録。毎日オリオンズの別当薫選手と並んで、プロ野球史上初のトリプルスリーを記録したのです。翌51年8月の阪神戦では、これまた史上初となる1試合4ホームランを記録。この試合でマークした1試合18塁打は今も破られていませんが、岩本選手はもう1つ、52年に1シーズン24デッドボールという日本記録も達成しています。



【プロ野球 別当薫選手】

 1950年に毎日オリオンズでプロ野球史上初めてトリプルスリーの記録を作ったもう一人が、別当選手。慶應義塾大学時代は東京六大学のスターで、48年に鳴り物入りで大阪タイガースに入団すると、当時タイガーズが誇ったダイナマイト打線の一翼を担い活躍しました。その後は2リーグ制分裂騒動の際にパ・リーグの毎日オリオンズに引き抜かれ、50年に移籍。いきなり打率3割3分5厘・ホームラン43本・105打点を叩き出し、パ・リーグの初代ホームラン王・打点王に輝きました。34盗塁も記録し、史上初のトリプルスリーも達成。主砲として文句なしの活躍で毎日をリーグ優勝に導き、パ・リーグの初代MVPに輝いています。さらにセ・リーグ王者・松竹と対戦した初の日本シリーズでも、打率5割と打ちまくり、日本一に貢献。シリーズMVPも獲得しました。
 52年に試合中に起きたトラブルが原因で湯浅総監督・若林監督が更迭された際は、監督代行として現役のままチームの指揮を。54年には正式に選手兼任で監督に就任。57年に現役を引退し、翌年から監督に専念しましたが、結局チームを優勝に導くことはできず、59年限りで退団しました。その後、近鉄・大洋・広島で監督を歴任。監督としては1度も優勝を経験できませんでしたが、通算1237勝をあげました。優勝なしで1000勝以上を記録した監督は別当さんだけ。選手と指導者、両方の功績を評価され、88年に野球殿堂入りを果たしています。
 

 
【プロ野球 蓑田浩二選手】

 1950年代に3人が達成したトリプルスリー。53年に西鉄ライオンズの中西太選手が達成して以来、60年代・70年代には誰も記録した選手がいませんでした。80年代に入り、この大記録を30年ぶりに達成したのが蓑田選手です。75年にドラフト2位で阪急に入団。当時の阪急は選手の層が厚く、入団当初は控えでしたが、転機になったのはプロ2年目の77年、長嶋監督率いる巨人と対戦した日本シリーズでした。「上田監督には、野球の奥深さを教えてもらいました」という蓑田選手。この年、3年連続日本一を達成した名将のもと、一流選手への道を歩んでいきました。
 プロ3年目の78年からは、外野のレギュラーに定着。80年には31ホームラン・39盗塁・31犠打という記録を作ります。1シーズンで、ホームラン・盗塁・犠打がいずれも30を超えたのは、これが史上唯一でした。83年のキャンプ中、蓑田選手は記者たちに「今年は3つ狙ってみるか」と宣言。見事30年ぶりにトリプルスリーを達成します。この記録が脚光を浴びたのは、蓑田選手のお陰といっても過言ではありません。
 
 

【プロ野球 秋山幸二選手】

 1989年に西武ライオンズでトリプルスリーを達成した秋山選手。トリプルスリーの達成者がなかなか出ないのは、異なる能力が必要なものを同時にクリアするのがとても難しいからです。秋山選手は、父親がハイジャンプ、母親が砲丸投げの選手で、子どもの頃から運動神経が抜群。並外れた長打力と走力を兼ね備えた理想のプレーヤーでした。1980年にドラフト外で入団すると、2年目に就任したばかりの広岡達朗新監督に勧められ、渡米。アストロズ傘下のチームでプレーします。マイナーですさまじいサバイバルレースを体験した秋山選手は、翌年も野球留学に参加。これらの経験を活かし、5年目の85年からはレギュラーとしてサードに定着。この年、23歳の若さでホームランを40本打ち、リーグ優勝に貢献しました。広島との日本シリーズでは、第8戦で同点ホームランを打った後、ホーム手前でバック宙ホームインのパフォーマンスを披露し話題に。俊足と強肩を活かすため、外野手に転向した87年は、ホームラン43本で初のキングに輝くと同時に、3年連続で40本以上を記録。盗塁も稼ぎ、89年に打率3割1厘・ホームラン31本・31盗塁で、プロ野球史上5人目のトリプルスリーを達成したのです。
 90年には、ホームラン35本・51盗塁を記録。ホームラン王と盗塁王を獲得する快挙を成し遂げました。93年オフ、3対3の大型トレードで地元・九州の福岡ダイエーホークスに移籍。99年には福岡移転後初の日本一に貢献しましたが、2002年、惜しまれつつ現役を引退。この時ホークスだけでなく、13年在籍したライオンズでも引退セレモニーが行われたのは、ひとえにご本人の人柄によるものでした。

 

【プロ野球 野村謙二郎選手】

 1995年に広島カープでトリプルスリーを達成した野村選手は、88年に大学生ながらソウルオリンピック代表に選ばれた実力を買われ、ドラフト1位で広島カープに入団。最初は外野手でしたが、2年目の90年からショートに転向。33盗塁を記録して、初の盗塁王に輝きました。翌91年は全試合に出場し、31盗塁をマーク。2年連続の盗塁王だけでなく、打率3割2分4厘、リーグトップの170安打を放ち、広島のリーグ優勝に大きく貢献しました。
 94年からは、7年間に渡ってキャプテンを務め、チームリーダーとして活躍。就任1年目に37盗塁で3年ぶり3度目の盗塁王を獲得し、95年9月には大卒プレーヤーとしては長嶋茂雄選手に次いで史上2番目のスピード記録となる、857試合で通算100本安打に到達。この時実は腰に痛みを抱えていましたが、逆境でこそ闘志を見せるのが野村選手。苦しみながらもシーズン終了間際の10月6日、ヤクルト戦で30個目の盗塁に成功。最終成績は打率3割1分5厘・ホームラン32本・30盗塁で、史上6人目の偉業を達成したのです。 



 来週のスポーツ伝説は……

  2月15日 ウエイトリフティング 三宅義信選手
  2月16日 体    操 遠藤幸雄選手
  2月17日 プ ロ 野 球 平田良介選手
  2月18日 プ ロ 野 球 筒香嘉智選手
  2月19日 プ ロ 野 球 嶋基宏選手 

                       以上の5選手をご紹介します。
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