【パラサイクリング 杉浦佳子選手】
杉浦選手は大学卒業後、薬剤師として働きながら趣味でトライアスロンの大会に参加していました。しかし2016年4月、45歳の時に自転車のロードレース大会中に転倒し、頭蓋骨などを折る重傷を負ってしまいます。一命はとりとめたものの、高次脳機能障害と右半身にまひが残りました。しかし驚異的な回復ぶりを見せた杉浦選手は、事故から1年足らずで再び自転車に乗り、パラサイクリングの大会に参加します。17年、パラサイクリング世界選手権・ロード大会で優勝。翌18年にはワールドカップの3戦をすべて制し、一躍東京パラリンピックの優勝候補となったのです。
事故から5年経った今年、杉浦選手は50歳で東京パラリンピックに出場。8月31日、故郷・静岡の富士スピードウェイで行われた自転車の女子・個人ロードタイムトライアルに登場します。1周8キロのコースを2周してタイムを争うこのレース、杉浦選手は中間地点で2位におよそ21秒差をつけると、後半もその差を広げて1位でフィニッシュ。50歳での金メダル獲得は、夏冬を通じて日本パラリンピック最年長記録となりました。さらにそのわずか3日後、今度は13・2キロのコースを3周する女子個人ロードレースでも2位に16秒差をつける圧勝劇で優勝。日本自転車史上初となる同一大会2冠を達成し、自身が作ったばかりの最年長金メダル記録を更に3日更新したのです。
【パラ競泳 木村敬一選手】
1990年生まれ、滋賀県出身の木村選手は、2歳の時に病気のため視力をほぼ失いました。オリンピックの競泳で金メダル5個を獲得したイアン・ソープ選手に憧れ、小学4年生から水泳を始めて単身上京。筑波大学附属視覚特別支援学校の水泳部で実力を伸ばしました。2008年、北京大会でパラリンピックに初出場を果たすと、12年のロンドン大会では銀メダルと銅メダルを獲得。続く16年のリオ大会では、銀・銅2個ずつ、日本人選手では最多となる4個のメダルを獲得しましたが、やはり金メダルには手が届きませんでした。その悔しさから、18年に単身アメリカに渡り、家族の付き添いすら拒否しての武者修行で金メダルに向けて努力を続けました。
4度目のパラリンピックとなった東京大会。木村選手は、エントリーした2種目目の100m平泳ぎで銀メダルを獲得します。そして迎えた大本命の種目、100mバタフライ。木村選手は予選トップで決勝へ進出。練習を共にして刺激を与え合ったライバル富田宇宙選手と激しいデッドヒートを演じた末、4度目の挑戦でついに悲願の金メダルを獲得したのです。
【車いすテニス男子 国枝慎吾選手】
2004年のアテネ大会はダブルスで金。北京・ロンドン大会ではシングルスで金と「パラリンピック3大会連続金メダル」の輝かしい実績を持つ国枝選手。しかし前回のリオ大会は右ヒジ痛に苦しみ、ダブルスでは銅メダルを獲得しましたが、シングルスではまさかの準々決勝敗退。大会後に右ヒジ痛が再発し長期の休養を余儀なくされた際には引退を考えたと言います。それでも国枝選手は、肘への負担を減らすフォーム改良に最後の望みをかけます。コートに復帰すると、18年の全豪オープンで2年ぶりの4大大会制覇、さらに全仏オープンも制し、世界ランキング1位に返り咲きました。
こうして迎えた東京パラリンピック。1年の延期で体のコンディションが整わず、決して万全の状態ではありませんでしたが、もう一度金メダルを獲って最強を証明したいという思いを胸に、初戦から準決勝までの4試合で1セットも失わず決勝進出を果たしたのです。オランダの選手を相手に第1セット第1ゲーム、国枝選手はいきなりサービスゲームをブレークされる立ち上がりとなりましたが、以降は圧倒的な強さを発揮。2大会ぶり、シングルス3回目の金メダルを手にしたのです。
【車いす陸上男子 佐藤友祈選手】
佐藤選手が車いす陸上を始めたのは2012年、ロンドンパラリンピックをテレビで見たことがきっかけでした。4年後の16年、リオパラリンピックの代表となり、400mと1500mでともに銀メダルに輝きました。競技を始めてから、わずか4年でのメダル獲得。そんな偉業を達成しても、佐藤選手は満足できませんでした。次の東京大会では金メダルを獲ると決意した佐藤選手には、倒さなければならない相手がいました。リオで佐藤選手を抑えて金メダルを獲得した、アメリカのレイモンド・マーティン選手です。佐藤選手は「打倒!マーティン」を掲げ、リオ大会終了後、他の選手たちが休息している間にも全力疾走。その猛練習が実り、佐藤選手は17年の世界パラ陸上で、両種目ともマーティン選手に勝利。さらに翌18年には両種目で世界新記録を樹立し、優勝候補として東京パラリンピックを迎えました。
まずは400m決勝。予想通り、マーティン選手と佐藤選手の一騎打ちとなったこのレース、最後の直線で佐藤選手がマーティン選手を抜き去りゴール。0.2秒差の劇的な逆転勝ちで悲願の金メダルを勝ち取りました。その2日後、1500mで再び2人はデッドヒートを繰り広げます。今度はマーティン選手が佐藤選手の背後に付ける、逆の展開になりましたが、佐藤選手は焦ることなく自分のレースプランを実行。一度も先頭を譲らず、2個目の金メダル獲得となったのです。
【ボッチャ 杉村英孝選手】
脳性まひや、重度の障害をもつ選手たちがボールのコントロールを競い合うパラリンピック採用競技「ボッチャ」。赤と青の球を6球ずつ投げ合い、目標球と呼ばれる白いボールにいかに近づけるかを競います。“地上のカーリング”とも呼ばれるこの競技で、杉村選手は前回リオ大会団体戦の司令塔を務め、日本勢初のパラリンピック銀メダルに貢献しました。東京大会では前回以上のメダルを目指した杉村選手。勝てば金に王手となる個人戦準決勝の相手は、2012年・ロンドン大会の王者でした。試合は同点で最終第4エンドに突入。目標球に近いのは相手の赤い球という状況で、残すは杉村選手の2球のみとなっていました。杉村選手は最初の1球をミス。最後の一投は、もう絶対に外せない状況となります。4分の持ち時間をすべて使い切り、狙いすまして投じた最後の青い球は、目標球にピタリと寄り、大逆転で決勝進出とメダル獲得を決めたのです。
迎えた決勝戦。相手は前回リオ大会で個人・団体ともに金メダルを勝ち取ったタイの英雄でしたが、杉村選手は強敵相手に終始自分のペースで試合を進めます。第1エンドを2対0とリードを奪うと、第2エンドは一時劣勢になりながらも抜群の制球力で相手のボールをはじき出し、1点を追加。第3エンドも1点追加し、迎えた最終エンド。逆転を狙うには大量点が必要な相手に対し、冷静な試合運びをみせ、さらに1点を追加。終わってみれば5対0の完勝で杉村選手は金メダルを獲得したのです。パラリンピックのボッチャ個人種目で、日本勢が金メダルを獲得したのは、史上初の快挙でした。
来週のスポーツ伝説は……
10/18(月) 車いすバスケットボール日本代表
10/19(火) パラ競泳 富田宇宙選手
10/20(水) パラ競泳 山田美幸選手
10/21(木) パラ競泳 山口尚秀選手
10/22(金) パラトライアスロン宇田秀生選手
お楽しみに!!