【パラ水泳 鈴木孝幸選手】
生まれた時から右腕はひじまでで、左手は指が3本、両足はひざから下がない状態の鈴木選手。小学生から水泳を始め、高校から本格的に競技に取り組むようになりました。2004年、17歳の時、アテネ大会でパラリンピックに初めて出場し、団体のメドレーリレーで銀メダルを獲得すると、続く08年の北京大会では、150m個人メドレーで銅メダル、50m平泳ぎで金メダルを獲得。夢にまで見た表彰台の頂点に立ちました。
続く12年のロンドン大会へ向けては、タイムを上げるために泳ぎ方の変更を試みますが、これが裏目に。逆にタイムが落ちてしまい、連覇を狙った50m平泳ぎは銅メダル。150m個人メドレーも銅メダルに終わり、3大会連続メダルながら悔しさの残る結果になりました。金メダル奪回を目指して臨んだ16年のリオ大会は、まさかのメダルなし。一時は引退も頭をよぎりましたが、鈴木選手は再び成長を求めて体幹を鍛え、泳ぎ方を見直し、34歳で迎えた東京パラリンピックは5種目にエントリー。まず50m平泳ぎで銅メダルを獲得します。これで勢いに乗った鈴木選手は、100m自由形もトップでフィニッシュ。最終的に、出場した5種目すべてでメダルを獲得する快挙を成し遂げました。
【パラ陸上 道下美里選手】
目の難病を発症し、中学生の時に右目を失明。25歳で左目の視力もほとんど失った道下選手。最初はダイエット目的で陸上を始め、トラック競技で活躍。マラソンに転向したのは31歳の時でした。道下選手は徐々に記録を伸ばし、16年、39歳でリオパラリンピックに出場。銀メダルを獲得しました。「次の東京では必ず金メダルを」と心に誓った道下選手。支えてくれたのは、練習拠点の福岡・大濠公園に集う市民ランナーたち、通称“チーム道下”でした。ガイドランナーとして交代でシフトを組み、練習に付き合ってくれた“チーム道下”の助けも借り、5年間走り抜いた道下選手。昨年は2度にわたり自らが持つ世界記録を更新し、44歳になった今年の夏、再びパラリンピックの舞台に立ちました。
東京パラリンピックでは、レース前半と後半を分担する2人のガイドランナーと走った道下選手。淡々と自分のペースを守り、やがてロシア・パラリンピック委員会の選手とのマッチレースになりました。30キロ地点で、相手のペースが落ちたのを感じ取った後半の男性ガイドランナーが「行けるか?」と聞くと「行ける!」と即答した道下選手。あうんの呼吸でスパートをかけて突き放すと、3時間0分50秒のパラリンピック記録でゴールイン。表彰式で金メダルを受け取った道下選手は、自分より先に前半を伴走してくれた女性ガイドランナーにメダルをかけ、暗射の気持ちを伝えました。
【パラバドミントン 梶原大暉選手】
東京パラリンピックのパラバドミントン日本代表・梶原選手は、小中学時代は野球少年でした。ところが2015年、軟式野球の全国大会前日、自転車で練習場に向かう途中にトラックと衝突。右足のヒザから下を切断し、左足にはまひが残る重傷を負ってしまいます。3年生になったらエースナンバー・背番号1を背負って活躍し、高校では甲子園、さらにはプロ野球選手も目指していた野球少年の夢は打ち砕かれ、車いす生活に。失意の中、梶原選手が高校進学後に出会ったのがパラバドミントンでした。競技を始めてわずか2年後の19年には、国際大会でシングルスとダブルスの2冠を獲得。さらにこの年、日本選手権のシングルスでも初優勝を飾り、競技を始めてわずか2年で急成長を遂げます。
迎えた東京パラリンピック。梶原選手は今大会から採用されたパラバドミントンのシングルスで順調に勝ち上がり、決勝へ。地元開催の大舞台で、世界選手権4連覇の王者と対戦することになりましたが、野球で培った技術と精神力のおかげで、動じることはありませんでした。みごとストレート勝ちで金メダルに輝き、初代王者として歴史に名を刻んだのです。さらに、47歳の村山浩選手と組んだダブルスでも銅メダルを獲得。梶原選手は競技歴わずか4年で、野球ではつかめなかったナンバー1の座を手にしたのでした。
【パラバドミントン 里見紗李奈選手】
東京パラリンピックから新競技に採用された、パラバドミントン。男女とも世界レベルの選手が多い日本勢の中で初の金メダルに輝いたのが、女子の世界ランク1位・里見選手です。高校3年生だった2016年、里見選手は交通事故で脊髄を損傷。車いす姿を見られるのが嫌で、引きこもりになった時期もありました。そんな彼女が外に出るきっかけとなったのが、事故の翌年に出会ったパラバドミントンです。中学までバドミントン部だった経験も生かして腕を上げ、18年に国際大会デビュー。翌年には、競技歴わずか2年半で世界選手権シングルス初優勝。一躍、東京パラリンピックの金メダル候補となったのです。
ところが、大きすぎる期待がプレッシャーとなったのか、パラリンピック本番、シングルスの予選リーグで思わぬ黒星を喫します。試合に臨む姿勢を見つめ直した里見選手は、準決勝で予選で負けた相手と再び対戦。今度はストレート勝ちで決勝進出を決めました。迎えた女子シングルス決勝。相手は世界ランク2位のライバル。里見選手は1ゲーム目を落とし、続く2ゲーム目も15対9から9連続ポイントを許してストレート負けのピンチに陥りましたが、前向きな気持ちを忘れませんでした。長いラリーを制してこのゲームを逆転で奪うと、3ゲーム目も制して逆転で金メダルに輝いたのです。翌日、山崎悠麻選手と組んだダブルスでも金メダルを獲得し、2冠達成の快挙を果たしました。
【車いすラグビー日本代表】
2016年のリオパラリンピックで銅メダルを獲得した車いすラグビー日本代表。悲願のメダルを手にした後の躍進も、目覚ましいものがありました。リオ大会後、世界的名将ケビン・オアー氏がヘッドコーチに就任し、新しい指揮官のもとでフィジカル・メンタル・戦術を一から見直しました。18年の世界選手権では、パラリンピック連覇中のオーストラリアを破って初優勝。一躍世界王者となった日本にとって、東京パラリンピックでの目標は金メダルただ一つでした。
迎えた東京パラリンピック本番。池透暢キャプテンとエース・池崎大輔選手の“イケイケコンビ”を中心に、日本は1次リーグで強敵・オーストラリアを4点差で撃破。1次リーグを3戦全勝で突破し、準決勝進出を果たしたのです。準決勝の相手はイギリス。過去の対戦から連勝中の日本が有利と見られていましたが、イギリスの堅い守備に日本は序盤から大苦戦。終盤にはキャプテン・池選手の反則から失点を重ね、6点差で敗れてしまいます。金メダルの夢を絶たれ、翌日、オーストラリアとの3位決定戦に臨んだ選手たち。日本はこの5年間のすべてを見せるように、チーム全体が躍動して再びオーストラリアに快勝。2大会連続で銅メダルを獲得したのです。
来週のスポーツ伝説は……
12/6(月) プロ野球 髙橋光成投手
12/7(火) プロ野球 瀧中瞭太投手
12/8(水) プロ野球 上沢直之投手
12/9(木) プロ野球 小島和哉投手
12/10(金)プロ野球 松本航投手
お楽しみに!!