【プロ野球 田中正義投手】
今年のドラフト会議で5球団が1位指名で競合し、ソフトバンクが当たりクジを引いた最速156キロの右腕、創価大学の田中投手。大学球界でその名を轟かせた田中投手ですが、創価高校時代はまったく無名の存在でした。しかし大学2年生の春、東京新大学リーグの共栄大学戦で公式戦初登板を果たすと、最速151キロをマークして見事に完封勝利を納めます。その後、大学選手権で創価大をベスト4に導く活躍をみせ、特別賞を受賞。「侍ジャパン・大学代表」にも選出されました。
3年生の去年は、春と秋のリーグ戦は共に6勝0敗、秋に至っては防御率0.00と無敵のピッチングを見せ、更に50イニング連続無失点という記録も打ち立てます。また、大学代表とプロ選手によるNPB選抜の試合では、プロ相手に7連続奪三振をマークし、ドラフト最大の目玉として、12球団はもちろん、メジャーリーグのスカウトからも熱い視線を集めました。プロとなって期待通りの活躍を見せ、同世代のトップである大谷投手や藤浪投手の間に割って入ることができるか。注目が集まります。
【プロ野球 佐々木千隼投手】
今年のプロ野球ドラフト会議で、史上初めて「外れ1位」で5球団が競合。抽選の結果、千葉ロッテマリーンズに1位指名されたのが、桜美林大学の最速153キロ右腕・佐々木投手です。桜美林大学の野球部は、2008年に準硬式から硬式野球部に移行したばかりの若いチームで、大学球界では決して強豪校とはいえません。首都大学リーグの1部に昇格したのは、佐々木投手が2年生の14年春。ドラフトで指名を受けたのは、佐々木投手が初めてになります。
佐々木投手が本格的にピッチャーに挑戦したのは、実は高校3年生になってから。大学進学当初はコントロールが悪く、フォアボールを出したら止まらない、というタイプのピッチャーでした。そんな佐々木投手が大きく変貌を遂げたきっかけが、元横浜ベイスターズのエース・野村弘樹コーチとの出会いでした。大学3年になる去年の春、野村氏が桜美林大学の特別コーチに就任。佐々木投手は野村コーチから、ピッチャーとして必要なことを一から教わりました。その効果はてきめんに現れ、去年は春と秋のリーグ戦で合わせて9勝を挙げ、瞬く間に今年のドラフトの目玉となったのです。
【プロ野球 東西対抗戦】
終戦から間もない71年前の11月23日、戦後初となるプロ野球の有料試合が行われ、大勢の観衆が詰め掛けました。敗戦に打ちひしがれた日本人に希望を与えた、神宮球場での東西対抗戦です。日本が占領下にあった当時、神宮球場はアメリカ軍が接収中でしたが、11月に再建された日本野球連盟はGHQと交渉の末、22日・23日の2日間だけ神宮球場の使用を許可されました。入場料は当時のひと月の新聞購読料よりも高い6円でしたが、5878人もの観衆が集まりました。試合は、ピッチャーの調整不足が響き、両軍合わせて34安打・16四死球の大乱戦となり、13対9で東軍が勝利。内容はひどいものでしたが、プロ野球が再び復活したことは、野球関係者に大きな希望をもたらしました。
この東西対抗戦には、新興球団・セネタースの“青バットの大下”大下弘選手、“初代ミスタータイガース”藤村富美男選手、巨人軍の“猛牛”千葉茂選手や、プロ野球初の完全試合を達成した藤本英雄投手など、戦後のプロ野球に大きな足跡を残した名選手が多数出場し、公式戦再開の第一歩となりました。
【プロ野球 吉川尚輝投手】
今年のドラフトで巨人が「外れ外れ1位」で指名したのが、中京学院大学の内野手・吉川選手です。中京学院大学といえば、現在球界を代表するセカンドと呼ばれる広島カープ・菊池涼介選手の出身校。大先輩と比較されることも多い吉川選手ですが、「素材は菊池選手以上」という声もあるほどの逸材です。
吉川選手は、岐阜県の中京高校出身。甲子園出場こそ叶いませんでしたが、大型内野手として注目され、強豪・亜細亜大学から合格内定をもらい、入学前から練習に参加しました。しかし大学の春季キャンプの厳しい練習についていけず、退部を決意。一時は野球を続けることさえ諦めましたが、母・陽子さんに背中を押され、地元の中京学院大学に進学して野球を続けることにしたのです。その結果、2年生の春と4年生の春に、2度の首位打者獲得。他にも、身体能力を活かした華麗な守備と、50m走5秒7の俊足を活かした走塁技術でも高い評価を得ています。岐阜県リーグでは、2年春から3季連続で盗塁王を獲得。今年5月には、チームを創部史上初の全国大会出場に導決勝タイムリーを放ち、勝負強さも発揮しました。更には、初めて出場した全日本大学野球選手権でも好守備・俊足・好打をいかんなく発揮。準々決勝では、かつて入学するつもりだった亜細亜大学を破り、初の大学日本一に輝いたのです。
【スキージャンプ 高梨沙羅選手】
昨シーズン、女子スキージャンプのワールドカップで17戦を戦い、優勝14回。8割を超える驚異的な勝率で3度目となる個人総合優勝に輝いたのが、20歳の“絶対女王”高梨選手です。高梨選手は2011年、女子では史上最年少となる14歳で、国際スキー連盟公認国際ジャンプ大会で優勝。この年にスタートした女子スキージャンプのワールドカップに初年度から参戦すると、日本人女子選手として初優勝。シーズン総合3位に入る活躍を見せました。さらに翌12/13年シーズンには、16戦中8勝を挙げ、16歳の若さで初の総合優勝を成し遂げたのです。
迎えた14年のソチオリンピック。初めて女子のスキージャンプが正式種目に採用されたこの大会で、高梨選手は周囲から「初代金メダリスト間違いなし」と見られていました。ところが、それがプレッシャーとなったのか、金メダルはおろか、3位以内に入ることすらできませんでした。初めてとも言える挫折でしたが、高梨選手には、そこから切り替えられる精神的な強さと技術がありました。ソチオリンピック後、シーズンを終えるまですべてのワールドカップで優勝し、個人総合連覇を達成。日本人のワールドカップ総合連覇は“キング・オブ・スキー”と呼ばれたノルディックスキーの荻原健司選手以来、史上2人目の快挙でした。ワールドカップにはこれまで5シーズン出場し、積み重ねた勝利数は44。今シーズンは、節目の50勝がもう目前です。そして2年後にはもう、平昌オリンピックが迫っています。
来週のスポーツ伝説は……
11月28日(月) Jリーグ チャンピオンシップ93年 川崎vs鹿島
11月29日(火) Jリーグ チャンピオンシップ97・98・01年 鹿島vs磐田
11月30日(水) プロ野球 新語・流行語大賞
12月 1日(木) 柔 道 ベイカー茉秋
12月 2日(金) Jリーグ J1昇格プレーオフ
お楽しみに!!