今週は、夏の甲子園・決勝戦で生まれた名勝負にまつわる伝説をお送りしました。
【決勝戦サヨナラホームラン】
日本中が注目する夏の甲子園・決勝戦という大一番の勝敗が、サヨナラホームランで決まったことが、過去にたった一度だけあります。1977年、第59回大会での、地元・兵庫代表の東洋大姫路と愛知代表・東邦高校の一戦です。東洋大姫路の先発は、プロも注目する左腕・松本正志投手。対する東邦の先発は、この大会で1年生エースとして話題を集めた坂本佳一投手。試合は、エース同士のぶつかり合いとなりました。
先手を取ったのは東邦でした。対する東洋大姫路は、1回裏にノーアウト満塁のチャンスを迎えながら、4番の安井浩二選手が凡退。後続も倒れ、無得点に終わってしまいます。それでも4回裏、相手のエラーで同点に追いつくと、以降は両エースが要所を締め、延長戦に突入しました。延長10回表、東邦は勝ち越しのランナーを出しながら無得点。するとその裏、ピンチを脱した東洋大姫路が、ツーアウト1・2塁のチャンスを作り、打席には初回に凡退したキャプテンで4番、安井選手を迎えます。安井選手は坂本投手の158球目のストレートをフルスイング。すると、打球はライトのラッキーゾーンへ。これが、大会史上初となる決勝サヨナラホームランが生まれた瞬間でした。
【奇跡のバックホーム】
1996年、第78回大会の決勝戦、愛媛代表・松山商業 対 熊本代表・熊本工業。高校野球きっての古豪同士の対戦となったこの決勝戦は、1回表に松山商業が3点を先制、熊本工業が追いかける展開となりました。2回と8回に1点ずつ返して1点差に詰め寄り、迎えた最終回の熊本工業の攻撃。2アウトランナーなしという絶体絶命のピンチで打席に立ったのは、唯一の1年生である澤村幸明選手でした。初球、澤村選手がバットを振り抜くと、打球はレフトポール際へと飛び込む起死回生の同点ホームランに。まさかの一発で、試合は延長戦へと突入したのです。
土壇場で同点に追いつき、勢いづく熊本工業は延長10回裏、1アウト満塁、サヨナラのチャンスを迎えます。初球、ライトへと大きく上がった打球は、実況アナウンサーまでもがホームランと思ったほどの大飛球だったにもかかわらず、甲子園名物の浜風に押し戻され、ライトの矢野勝嗣選手のグラブへ。それでも、サヨナラの犠牲フライには十分な飛距離でした。誰もが熊本工業のサヨナラ優勝を確信したその時、矢野選手はキャッチャーへ大遠投。すると、今度は浜風がバックホームへの追い風となって、送球はグングン加速。ダイレクトでキャッチャーミットにおさまると、間一髪でタッチアウト。まさかのダブルプレーで、松山商業はピンチを脱したのです。結局、松山商業はこの回一挙3点を奪い、6対3で激闘を制しました。試合の運命を左右した矢野選手の大遠投は『奇跡のバックホーム』と呼ばれ、20年たった今でも、高校野球ファンの間では語り種となっています。
【北海道勢初優勝】
愛媛代表の済美高校 対 南北海道代表の駒大苫小牧高校との間で行われた、2004年の第86回大会決勝戦。この試合は、どちらが勝っても歴史的な快挙が達成される大一番でした。かたや、この年の春のセンバツで初出場初優勝という快挙を達成。春に続く夏の初出場初優勝、更には史上6校目となる春夏連覇を目指した済美。かたや、北海道勢として悲願の初優勝を目指す駒大苫小牧。
済美は、のちにプロでも活躍する福井優也投手、鵜久森淳志選手を投打の軸に、安定した戦いぶりで決勝に進出。一方の駒大苫小牧は、準決勝までの4試合で30得点という圧倒的な攻撃力を武器に、日大三高や横浜といった優勝候補を次々に破ってきました。試合は序盤から激しい打ち合いとなり、逆転に次ぐ逆転。まさに歴史的な決勝戦となりました。そして迎えた最終回。ここで意地をみせたのが、この試合、エースとして踏ん張り切れなかった福井投手でした。2塁打で出塁すると、2アウトながらランナー3塁とチャンスを作り、大会屈指のスラッガー・4番の鵜久森選手が打席に入ります。一発が出れば同点。しかしその緊迫の初球、鵜久森選手がフルスイングした打球は上空へと高く舞い上がり、駒大苫小牧のショート、佐々木孝介キャプテンのグラブに。深紅の優勝旗は駒大苫小牧の手に渡り、悲願の北海道勢初優勝という快挙が遂に達成されたのです。
【がばい旋風】
甲子園決勝戦史上最大の逆転劇と言われる試合が、2007年の第89回大会決勝戦、広島代表の広陵高校と佐賀北高校の一戦です。快進撃を続けた佐賀北は、ベストセラー『佐賀のがばいばあちゃん』にちなんで“がばい旋風”と呼ばれ、大きな人気を集めました。そんな佐賀北を迎え撃ったのが、広陵のエース、野村祐輔投手です。野村投手にとっては、エースとして臨んだ最後の大会。それだけに、優勝への決意は並々ならぬものがありました。
決勝戦は広陵のペースで進み、8回表を終わって4対0で広陵がリード。野村投手は7回までたった1本のヒットしか許さない、ほぼ完璧なピッチングでした。ところが8回裏。野村投手が連打を浴びてこの試合初めてのピンチを迎えると、突然、甲子園球場に大きな拍手が巻き起こりました。大会を通じて何度もミラクルを続けてきた佐賀北の逆転劇を、球場中が期待し始めたのです。その拍手の波がプレッシャーとなったのか、自慢のコントロールが突如乱れた野村投手。奇跡的な逆転満塁ホームランが飛び出し、佐賀北がとうとう試合をひっくり返します。こうして、決勝でも“がばい旋風”を巻き起こした佐賀北が球史に残る逆転劇で、甲子園初優勝を飾りました。
【野球は9回ツーアウトから】
今年で98回目、まもなく第100回大会を迎える夏の全国高校野球で、最多の優勝回数7回を数えるのが、愛知の中京大中京高校です。その前の中京商業時代には、史上唯一の大会3連覇や、1966年に史上2校目となる春夏連覇を経験した名門中の名門。ところが学校名を変更して以降、甲子園の決勝戦には進めない時代が長く続きました。そんな中京大中京が、実に43年ぶりに決勝戦に進出したのが、2009年の第91回大会。相手は新潟県勢として初優勝を狙う、日本文理高校でした。この時、中京大中京を牽引していたのは、エースで4番を務める、現在広島カープの堂林翔太投手。中京大中京はこの年のセンバツにも出場し、準々決勝の9回ツーアウトから、まさかの逆転負けを喫した苦い過去がありました。優勝できるかどうかは、堂林投手が精神的な強さを発揮できるかどうかに懸かっていたのです。
そして迎えた決勝戦。先制した中京大中京は、10対4と6点リードして9回表、最後の守備につきました。この試合、先発ながら6回途中で降板しライトの守備へついていた堂林投手は、「最後はエースの自分が締めたい」と志願し、この回から再びマウンドに立ちました。簡単に2アウトを取った堂林投手は、バッターを2ストライクと追い込み、優勝まであと1球。ところが、そこからフォアボールと長打2本を許し、2点を献上。センバツでの逆転負けの悪夢がよみがえり、動揺を隠せない堂林投手は更にデッドボールを与えたところでマウンドを降りました。結局、日本文理はこの最終回だけで5点を挙げ、とうとう9対10の1点差に。『野球は9回ツーアウトから』の格言を地で行く展開になりましたが、あとヒット1本が出ず、ゲームセット。中京大中京が辛くも逃げ切って、夏の大会7度目の全国制覇を達成したのです。
来週のスポーツ伝説は……
8月22日(月) サッカー 奥寺康彦選手
8月23日(火) サッカー 小野伸二選手
8月24日(水) サッカー 中村俊輔選手
8月25日(木) サッカー 清武弘嗣選手
8月26日(金) サッカー 長谷部誠選手
お楽しみに!!