【陸上 福士加代子選手】
オリンピックには、トラック種目でアテネ・北京・ロンドンと3大会連続出場。2016年のリオ大会にはマラソンで出場した、日本女子長距離界のレジェンド・福士選手。高校時代までは無名の選手でしたが、2000年にワコールに入社すると、トラック競技や駅伝で頭角を現します。02年の日本選手権で5000m、1万mの2種目を制覇。これを皮切りに、5000mでは6度、10000mでは7度の日本選手権優勝を果たしトラックの女王として君臨しました。08年、福士選手は大阪国際女子マラソンで、初のフルマラソンに挑みます。スタートから飛ばし、一時は2位集団に2分以上の差をつける独走状態となりました。ところが30キロすぎに急失速。脱水症状による貧血で、ゴールするまで4度も転倒しながら何とか完走を果たします。約1カ月の超短期調整で挑んだ初マラソンは、未知の距離に勝てず失敗に終わりました。
その後も、フルマラソンではなかなか結果を残せなかった福士選手。レース終盤にたびたび失速するのは、スタミナ不足に原因があると考え、管理栄養士の指導のもと「食トレ」を実施。食事の量を3倍に増やした結果、13年・16年の大阪国際女子マラソンで優勝。16年のリオ大会は、念願のマラソンでオリンピック出場を果たしたのです。そんな福士選手が現役最後のレースに選んだのは、挫折も栄光も味わった思い出の地・大阪で行われたハーフマラソン。ゴールで有森裕子さん・高橋尚子さん・野口みずきさんら女子マラソンのオリンピックメダリストたちに迎えられ、福士選手は現役生活は幕を閉じました。
【陸上 福島千里選手】
陸上女子短距離のエース・福島選手がその才能を開花させたのは、北海道ハイテク・アスリートクラブに所属して2年目の2008年のことでした。4月の織田記念100mで、当時の日本タイ記録11秒36をマーク。6月の日本選手権100mで初優勝を成し遂げます。勢いを駆ってこの年行われた北京オリンピックにも選ばれ、日本女子選手56年ぶりのオリンピック100mのスタートラインに立ちました。その本番では1次予選のレースで5着に敗れ、世界の壁の厚さを実感した福島選手。「もう一度世界の舞台で走りたい」という思いが、ハードなトレーニングを続ける原動力になりました。練習でも1本1本真剣に走り、納得が行くまで完璧な走りを追求した福島選手。その努力が実り、10年4月の織田記念100mで11秒21のタイムで自身の日本新記録を塗り替えます。また5月の静岡国際では200mで22秒89をマークし、日本の女子選手で初めて23秒の壁を破りました。
10年の福島選手の偉業はほかにもあります。11月のアジア大会で、100m・200mの二冠を達成。これは日本女子では初の偉業でした。福島選手の走りは国内最強となり、日本選手権では11年から6年連続で100mと200mの二冠を続け、記録では16年に200mで22秒88をマーク。自身の日本記録を6年ぶりに0.01秒更新しました。オリンピックには北京・ロンドン・リオと3大会連続で出場。しかし、4大会連続を目指した東京オリンピックの代表入りは叶わず今年1月、ついに現役引退を発表しました。
【陸上 木村文子選手】
日本の女子ハードル界の象徴として、長年にわたり活躍を続けた木村選手。高校時代、最初に注目されたのは走り幅跳びのほうでした。大学時代も走り幅跳びとハードルの2種目に挑み、どちらも学生チャンピオンに輝きます。社会人1年目の2011年、日本選手権の100mハードルで初優勝。10月の国体でも優勝と好成績を残したのをきっかけに、ハードル一本に絞りました。翌12年4月、当時の日本歴代3位となる13秒04の自己ベストを叩き出し、ロンドンオリンピックに出場。100mハードルで日本の女子選手がオリンピックに出場するのは、シドニー大会の金沢イボンヌ選手以来12年ぶりの快挙でした。但しオリンピック本番では気合が空回りしてハードルに足をぶつけ、予選レースは7着と敗退。涙を浮かべてトラックを後にした悔しさが、その後の成長につながっていきました。
オリンピック敗退の悔しさを晴らすべく、木村選手はその後も走り続けます。13年の日本選手権で、自己ベストの13秒03を記録。アジア選手権でも優勝を果たし、海外のレースでも実績を残しました。17年には、ロンドンで開催された世界選手権で、日本勢初の準決勝に進出。その後も19年のアジア選手権で優勝と、女子ハードルの第一人者であり続けた木村選手。度重なるケガやコロナ禍も乗り越え、昨年は東京オリンピックに出場しました。本番は予選レースで7着に終わりましたが、スプリントハードルで、日本の女子選手がオリンピックに2度出場したのは金沢選手と木村選手の2人だけです。
【大相撲 御嶽海久司関】
今年1月の大相撲初場所・千秋楽。12勝2敗で単独トップを走る関脇・御嶽海関は、3場所連続優勝を懸けて星1つの差で追う、横綱・照ノ富士関と結びの一番で対決。ここまでの通算対戦成績は4勝12敗、直近では7連敗中と御嶽海関にとっては苦手な相手でしたが、立ち合いから力強く当たり、もろ差しから寄り切って勝利。自身3度目の幕内優勝を飾りました。
2019年9月の秋場所以来、久々の賜杯を抱いた御嶽海関。過去に優勝した時は、2回ともその前後の成績が振るわず大関獲りに失敗。実力は評価されながらも、ムラッ気と、メンタルの弱さを指摘されていました。それだけに、大関昇進も決めた今回はより賜杯の「重み」を感じる優勝になりました。名門・出羽海部屋にとっても、大関が誕生するのは1975年の三重ノ海関以来、実に47年ぶり。長野からの大関誕生は、さかのぼること227年前。江戸時代に活躍した伝説の力士、雷電為右衛門関以来の快挙です。
【大相撲 琴ノ若傑太関】
父親が、元関脇の初代・琴ノ若関で、現在は師匠の佐渡ケ嶽親方。母方の祖父が元横綱・琴桜関という相撲界のサラブレッド・琴ノ若関。2005年、8歳の時に父の現役最後の一番を見届けたあと、父から琴ノ若を継いでくれよと言われ、相撲界入りを心に誓った琴ノ若関。15年10月、父が率いる佐渡ケ嶽部屋に入門しました。当然、特別扱いは一切なく、ほかの新弟子と同じ。部屋の先輩たちにもまれて、番付を上げていきました。19年の7月の名古屋場所で十両に昇進すると、父親のしこ名「琴ノ若」を襲名します。20年3月場所で新入幕を果たし、史上初の三世代で幕内力士が誕生しました。
琴ノ若関は昨年7月の名古屋場所で12勝を挙げ、初の敢闘賞を受賞します。ところが、9月の秋場所で左ヒザを痛め途中休場。続く11月場所も負け越してしまい、番付を前頭14枚目に下げてしまいました。ここで琴ノ若関は奮起。自分本来の相手に向かっていく相撲を心掛け、今年1月の初場所では優勝争いに加わります。トップの御嶽海関に星1つの差で迎えた千秋楽、3敗で並ぶ阿炎関との一番は勝てば優勝決定戦に進めましたが、惜しくも敗北。しかし最後まで優勝争いに絡んだことを評価され、自身2度目の敢闘賞を受賞しました。
来週のスポーツ伝説は……
3/14(月) スノーボード 平野 歩夢選手
3/15(火) モーグル 堀島行真選手
3/16(水) ハーフパイプ 冨田せな選手
3/17(木) 高校野球 江川卓・達川光男選手
3/18(金) 高校野球 平松政次・藤田平選手
お楽しみに!!