【高校野球 佐々木誠監督】
佐々木監督は一昨年、鹿児島城西高校の野球部監督に就任。残念ながら春のセンバツは中止になってしまいましたが、今年、チームをみごと初の甲子園代表に導きました。1984年にホークス入団後、ライオンズ・タイガースで計17年間プレーした佐々木監督。ダイエー時代の92年には、首位打者のタイトルを獲得したほか、2度の盗塁王にベストナインを6度、ゴールデングラブ賞を4度受賞しました。
引退後はプロ野球のコーチや社会人野球の監督を経て、2017年はソフトバンクホークスの三軍監督を務めていましたが、選手の育成が主な仕事でした。「もう一度、勝ち負けにこだわりたい。そして選手には、学生の段階からちゃんとした指導をしなければ」と決意した佐々木監督。元プロ野球選手が、学生野球の指導者になるために必要な資格を回復、18年1月に鹿児島城西高校からのオファーを受け、監督に就任しました。春のセンバツ代表は、それから3年目の快挙だったのです。
【高校野球 磐城高校】
福島県立磐城高校野球部は、明治時代の1906年に創部。過去、春・夏合わせて甲子園に9度出場した古豪で、1971年の夏の甲子園では準優勝を飾ったこともあります。この時は、身長165㎝の“小さな大投手”こと、田村隆寿投手が3試合連続完封勝利を挙げ決勝に進出。しかし神奈川の桐蔭学園との決勝戦で1点を失い、0対1で惜敗。大会中、唯一取られた1点で優勝を目前にして涙をのみました。この磐城高校の快進撃は、ユニフォームの色から、当時“コバルトブルー旋風”と呼ばれました。
その後も、野球と学業を両立させながら、甲子園を目指してきた磐城高校の野球部員たち。昨年10月に行われた秋季東北大会では、大健闘を見せました。準々決勝で敗れ、自力でのセンバツ代表は逃しましたが、私立高校が台頭する東北大会で、1992年以来のベスト8入りを果たしたのです。今年の大会は中止になってしまいましたが、春のセンバツで21世紀枠に選ばれました。
【高校野球 関本勇輔選手】
昨年、夏の甲子園で優勝。令和最初の夏の王者となった大阪の履正社高校。その履正社を引っ張るキャプテンが、関本選手です。4番でキャッチャーと、まさにチームの中心。遠投で120mを投げる肩の強さはプロも注目しており、今年のドラフトの有力候補でもあります。父親は、元阪神タイガースの関本賢太郎さん。甲子園球場でファンの声援を集め、代打の切り札として活躍。2005年のリーグ優勝にも貢献しました。
父の姿を追いかけ、野球に打ち込んできた勇輔選手。強肩だけでなく、父親譲りの勝負強いバッティングも魅力で、昨年秋の近畿大会では、代替わりした新チームをベスト4に導き、センバツ代表の座をつかみました。そんな関本キャプテン率いる履正社高校のまなざしは既に夏へ。夏の甲子園で、連覇を目指します。
【高校野球 観音寺中央高校】
1995年にも、春のセンバツの開催が危ぶまれました。この年の1月17日早朝、阪神・淡路大震災が発生。震源地に近い甲子園球場の被害も大きく、大会主催者側は2月1日に予定していた出場校の発表を急遽延期。ギリギリまで検討を重ね“復興センバツ”という位置付けで、なんとか開幕にこぎつけたのです。
この大会で目覚ましい活躍を見せたのが、香川県の観音寺中央高校。センバツ初出場ながら全員野球で勝ち進み、初出場初優勝の快挙を達成したのです。選手たちが力を合わせて奮闘し、奇跡を起こした観音寺中央。この年のセンバツは『復興・勇気・希望』のスローガンにふさわしい、記憶に残る大会でした。
【高校野球 島袋洋奨投手】
2010年の高校球界を席巻したのは、沖縄・興南高校のエース・島袋投手です。もともと右利きでしたが、3歳の時に父親の指導で左投げになりました。小柄な体を大きくひねって投げる独特の投球フォーム“琉球トルネード”は自己流で編み出したもので、バッターからはボールの出所が見にくいため打ちづらいと言います。これを武器に、09年春のセンバツ初戦では、毎回の19奪三振を記録しました。しかしこの試合、島袋投手は延長戦で捕まり負け投手に。この年は、夏の甲子園の初戦でも接戦の末にサヨナラ負けを喫しました。
ここ一番での勝負強さと、スタミナが課題だと自覚した島袋投手。悔しさをバネに、翌10年春のセンバツでひと回り逞しくなって、甲子園のマウンドに戻ってきました。島袋投手は決勝の198球をひとりで投げ抜き、悲願のセンバツ優勝。成長したエース・島袋投手の活躍で、興南高校はこの年の夏の甲子園も制し、史上6校目となる春夏連覇の偉業を達成しました。
来週のスポーツ伝説は……
3/23(月) MLB 筒香嘉智選手
3/24(火) MLB 秋山翔吾選手
3/25(水) パラテコンドー 太田渉子選手
3/26(木) パラ陸上 兎澤朋美選手
3/27(金) パラ陸上 伊藤智也選手
お楽しみに!!