【女子サッカー 澤穂稀選手】
現在、カナダで開催されているサッカー女子のワールドカップ。連覇を目指すなでしこジャパンに、今回世界最多出場となる澤選手が復帰しました。FIFAの公式サイトでも、『スーパースターが帰ってきた』と大歓迎ムードです。澤選手は、現在36歳。ワールドカップの前身、第2回世界選手権に出場したのは16歳の時でした。6大会連続は、男子のドイツのマテウス選手、メキシコのカルバハル選手をも超える世界最多出場です。なでしこジャパンの入ったグループCは、天国の組と呼ばれる組。グループ1位で突破すれば、決勝トーナメント1回戦まで長いインターバルがあり、澤選手にもスタミナ切れの心配はなし。サッカー人生の集大成として、絶好の舞台が整いました。
佐々木則夫監督の続投が決定した際、協会サイドが出した条件は「世代交代」。1年ほど前に澤選手が代表から外れたのは、そんな意味合いもありました。それ以来、澤選手と監督の関係は良好とはいえない状態。戦術面の意見の相違もあり、溝は更に深くなってしまいました。それでも、「とにかく彼女の力が必要だ」と佐々木監督。伝説のスーパーウーマンに命運を託します。
【プロ野球 西沢道夫投手】
背番号15は、2つしかない中日ドラゴンズの永久欠番のひとつ。その番号をつけていたのが、西沢投手です。14歳でプロ野球史上初の養成選手第1号となり、1937年、16歳4日で史上最年少登板。しかし勝敗はつかず、初勝利は翌38年春のリーグ戦でした。頭角を現したのは40年。20勝9敗の成績をあげましたが、右ひじに慢性的な不安を抱え、それ以降の勝ち星はあまりあがらなってしまいました。
そんな中、42年5月24日の大洋戦は伝説として語り継がれる名勝負。西沢投手も、大洋の野口投手も、延長戦に突入してからのピッチングが冴えに冴え、息詰まる投手戦が28イニングも続きます。これはメジャーリーグの延長26回を上回る世界記録に。しかも両選手が完投というおまけまでつきました。7月18日には、阪急戦でノーヒットノーランを達成。その後、兵役中に肩を壊してしまいましたが、野手としても類まれなセンスを発揮します。49年に中日に復帰してからは、25試合連続安打や11試合連続打点という離れ業を。翌50年には、シーズン満塁本塁打5本。52年には打率3割5分3厘、98打点で、首位打者と打点王の2冠を手中におさめました。また54年には球団初優勝、日本一の原動力になるなど、初代ミスタードラゴンズは、永遠に語り継がれるビッグ・レジェンドです。
【プロ野球 丸佳浩選手】
流行語ともなったカープ女子の登場で、観客動員などが急増中の広島カープ。球団創立26年目で初優勝。これまで計6回のリーグ優勝を飾っていますが、1991年以来、23年間も優勝から遠ざかっており、セ・パ12球団で最長のブランク更新中です。初優勝時と今シーズン、共通点は、生え抜き選手の中に優勝経験者がいないこと。プロ8年目の丸選手は、「新しいカープになりました。強くなって確実に優勝できるチームになった」と、ファンの前で堂々と宣言しています。
2007年、入団1年目からウェスタン・リーグの月間MVPに輝きますが、1軍に昇格するだけのアピールポイントがありません。2年目も同じ状況で、さすがの丸選手にも焦りが見えてきました。というのも、広島には「高卒で4年間1軍に昇格しない場合、戦力外とする」という暗黙のルールがあるからです。丸選手は3年目でなんとか1軍昇格。昨シーズンは自己最高の打率3割1分をマークし、ベストナインとゴールデングラブ賞を獲得。侍ジャパンにも招集され、日本を代表するセンターとして期待されています。
【プロ野球 金田留弘選手】
400勝投手の金田正一さんを兄に持ち、通算128勝をあげた金田留広投手は、東映・ロッテ・広島などで活躍しました。1973年オフに、トレードでお兄さんが監督をつとめるロッテへ移籍。正一さんの背番号34の半分ということで、背番号17を選択しました。「アニキを絶対に胴上げする」という誓いの元、9月22日の日本ハム戦では、節目の100勝を記録。「ようやくアニキの1/4か」と名言を残します。しかしロッテに移ってからの金田投手の躍進ぶりは、目覚ましいものがありました。前年わずか7勝ながら、移籍するなり16勝。24年ぶりの日本一への原動力となりました。更にこの年は、ベストナイン、最多勝のタイトルも獲得。極め付きの勲章は、正一監督が現役時代に1度も手にできなかったMVPに輝いたことでした。
兄弟でプロ野球選手というケースはそれほど珍しくなくなりましたが、実は金田兄弟でプロ経験者は4人。58年に次男の高義投手が、正一投手と同じ国鉄へ。60年には三男の星雄投手が入り、金田3兄弟は同じチームに在籍しました。いずれもピッチャーでしたが、4兄弟で勝利をあげたのは、正一投手と留広投手の2人だけです。
【プロ野球 大友工投手】
巨人・近鉄で活躍した大友投手は、プロ入団前までは軟式野球の経験のみ。地面から浮かび上がってくる快速球と、“消える魔球”と言われたスライダー、印象的なサイドスローは、プロ入り後にマスターしたものです。1948年に、地元兵庫の運送会社のエースとして出場した全国車両野球大会でスカウトされ、翌49年に巨人入団。ところが硬式球とのあまりの違いに驚き、しばらくは球拾いだけの毎日でした。1日でも早く慣れるよう、夜でも右手にボールを握ったまま、ヒモで縛って寝ていたとか。そんな試練を経て、52年には、史上19人目のノーヒットノーランを達成。53年に来日したニューヨーク・ジャイアンツ戦では、日本人投手初の完投勝利を飾ります。更に55年には、30勝6敗、防御率1.75という驚異的な成績をマーク。巨人の第2期黄金時代のエースとして、大活躍するまでになったのです。
来週のスポーツ伝説は……
6月15日(月) フィギュアスケート 浅田真央選手
6月16日(火) プロ野球 田代富雄選手
6月17日(水) プロ野球 山崎康晃投手
6月18日(木) プロ野球 清水隆行選手
6月19日(金) プロ野球 秋山翔吾選手
以上の5選手をご紹介します。