スポーツ伝説

3月12日~16日の放送内容

【プロ野球 星野仙一監督】

 昨年、晴れて野球殿堂入りを果たした星野監督。現役時代は“燃える男”の異名を取り、中日ドラゴンズのエースとして活躍。引退後は2度にわたって通算11シーズン、中日の監督を務め、1988年と99年の2度リーグ制覇を果たしました。2001年オフに中日監督を辞任すると、すぐに阪神タイガースの監督に就任。積極的なトレードや選手補強を行い、2003年には阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導きました。さらに10年オフ、今度は東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。すると13年にはエース・田中将大投手がレギュラーシーズンで24勝無敗という大活躍を見せ、球団史上初のリーグ優勝を達成しました。日本シリーズでは、巨人とフルセット戦い、地元・仙台で自身初の日本一を経験した星野監督。3球団を優勝に導いたのは、知将・三原脩監督、西本幸雄監督に続き、史上3人目の快挙でした。
 そんな星野監督も今年1月4日にすい臓ガンで死去。闘病のことを周囲に伝えずに逝ったのは、“燃える男”“闘将”のイメージを最期まで大切にしようとした、星野監督ならではのダンディズムでした。
  
 
【プロ野球 高木守道選手】

 野球殿堂で、プロ球界で活躍した人物を対象とする「競技者表彰」。2006年に選ばれたのは、俊足好打の名二塁手だった元・中日ドラゴンズの高木選手です。高木選手は1960年に中日ドラゴンズ入団。二塁手としてプロ4年目にレギュラーに定着すると、この年に50盗塁で初の盗塁王のタイトルを獲得し、一躍、中日の新たなスター選手となりました。
 現役時代は中日ひと筋で21年プレーし、3度の盗塁王に輝いた俊足に加え、通算236本のホームランを放つなど、パンチのあるバッティングでも活躍。通算2274安打、通算打率 2割7分2厘も申し分ない成績ですが、何よりオールドファンの記憶に残っているのが、守備の達人・高木選手の代名詞とも言えるバックトスです。“軽率なボールさばき”と批判の声もありましたが、送球までの時間を短縮するため、不自然な投げ方を毎日練習するなど人一倍努力を重ね、内野守備を魅せるプレーの領域にまで高めました。

      
   
【プロ野球 金本知憲監督】

 今年1月、新たに4人の名が加わった野球殿堂。このうちプロ野球界で功績のあった人物を対象とする「競技者表彰 プレーヤー部門」で選ばれたのが、日米通算507本のホームランを放った、元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手。そしてもう1人が、1492試合連続フルイニング出場のプロ野球記録を持つ、阪神タイガースの金本監督です。
 金本監督は1992年、ドラフト4位で広島カープに入団。遅咲きの選手でしたが、2000年にはトリプルスリーを達成する選手へと成長。02年オフに阪神にFA移籍すると、チームの主軸として03年・05年のリーグ優勝に貢献しました。12年に引退するまでに2578試合に出場し、積み重ねたヒット数は2539本。ホームラン数は476本。打点は1521。これらはいずれもプロ野球歴代トップテン以内、という圧巻の数字です。しかしそれ以上に金本監督が「誇りに思う」と語った記録が、広島時代に達成した「1002打席連続無併殺」という日本記録です。1000打席以上もダブルプレーを喫しなかったということは、ランナーのいる場面で内野ゴロを打っても、常に一塁まで全力疾走していたという証しでもあります。
       

  
【プロ野球 古田敦也監督】
 
 これまで野球殿堂で「競技者表彰」を受けた人物のうち、キャッチャー出身者は2001年の根本睦夫氏、03年の上田利治氏、05年の森祇晶氏、去年選ばれた伊東勤氏などがいますが、1989年にいち早く殿堂入りしたのが、戦後初の三冠王となった名捕手、元・南海ホークスの野村克也選手でした。その野村イズムを受け継いで15年に殿堂入りしたのが、愛弟子でもある元東京ヤクルトスワローズの古田選手です。古田選手といえば、世界の野茂秀雄も驚いた平成の名捕手。社会人野球を経てプロ入りするにあたっては、眼鏡をかけていたことでも注目されました。当時、「眼鏡のキャッチャーは大成しない」と考える球界関係者は多く、古田選手が大学4年生の時にプロ入り確実といわれながらドラフトで指名されなかったのも、眼鏡が理由といわれました。
 そのことを悔しがった古田選手は社会人ナンバーワンキャッチャーとなり、ソウルオリンピックで銀メダルに貢献した実績を買われて1990年、ヤクルトスワローズに入団。野村克也監督が提唱する「ID野球」の申し子として1年目から活躍しました。入団2年目の91年には、野村監督以来、史上2人目となる「キャッチャーでの首位打者」を達成。その後も強肩・強打のキャッチャーとして、93年には15年ぶりのスワローズ日本一の原動力となり、2005年には大学・社会人を経てプロ入りした選手としては史上初めてとなる、通算2000本安打を達成。眼鏡をかけた選手たちに希望を与えたことも、見逃してはいけない古田選手の隠れた功績の一つなのです。

   

【サッカー 平山相太選手】
 
 今年1月26日、元サッカー日本代表の平山選手が現役引退を発表。32歳での早すぎる引退に、ファンは大いに驚きました。平山選手は、10代の頃から圧倒的なパフォーマンスを発揮。身長190㎝という日本人離れした体格を武器にゴールを決め続け、“怪物”と呼ばれた逸材でした。高校時代は、3年間での大会通算17ゴール。これは、今でも全国高校サッカー選手権の最多ゴール記録です。この圧倒的な決定力が認められて、高校3年生の時に20歳以下の世界大会に“飛び級”で参戦。アテネオリンピックのアジア最終予選メンバーにも、高校生で唯一選出。高校卒業後の2004年アテネオリンピックで、史上最年少の19歳2ヶ月でオリンピック代表入りを果たしたのです。
 高校卒業後は、Jリーグ各クラブが獲得競争に乗り出す中、筑波大学に進学。かと思えば、05年に大学を休学し、今度はオランダのヘラクレスに電撃入団。日本人選手がJリーグを経験せず、ヨーロッパでプレーするのは異色のことでした。しかも、デビュー戦でいきなり2ゴール。1年目に8ゴールをマークして10年に日本代表に選ばれると、代表デビュー戦でいきなりハットトリックを決めて、怪物健在をアピール。しかしその後は度重なるケガの影響で思うようなプレーができなくなり、ついに今年、現役引退を決断したのです。


   
来週のスポーツ伝説は……

  3月19日(月) 高校野球 滋賀県立膳所高校
  3月20日(火) 高校野球 大谷拓海選手
  3月21日(水) 高校野球 根尾昴投手 
  3月22日(木) 高校野球 馬淵史郎監督
  3月23日(金) 高校野球 松坂大輔投手

                       お楽しみに!!
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