【MLB 筒香嘉智選手】
横浜DeNAベイスターズから、ポスティングシステムでタンパベイ・レイズに移籍した筒香選手は、かつて侍ジャパンで四番を打った日本を代表するスラッガー。横浜高校からドラフト1位で、2010年にベイスターズに入団しました。以降、昨シーズンまで10年間で205本のホームランを積み重ね、17年のワールド・ベースボール・クラシックでは侍ジャパンの四番も務めてチームを牽引。これからは、“世界の四番”を目指します。
【MLB 秋山翔吾選手】
秋山選手は、埼玉西武ライオンズから海外FA権を行使して今年1月にメジャーリーグ・シンシナティ・レッズに入団しました。秋山選手といえば、西武入団5年目の2015年、日本プロ野球新記録となるシーズン216安打をマークしたヒットメーカーです。日本での通算打率は3割1厘。首位打者1回、最多安打4回。打つだけでなく守備も超一流で、センターの守備でゴールデングラブ賞を6回受賞と、数々のタイトルを獲得してきました。
来月32歳を迎え、今がまさに円熟期の秋山選手。満を持してメジャーに挑みます。
【パラテコンドー 太田渉子選手】
東京パラリンピックから新競技として採用されることになった、パラテコンドー。「キョルギ」と呼ばれるテコンドーの組手は、別名“足のボクシング”と呼ばれる激しい競技です。太田選手はこのパラテコンドーを数年前から本格的に始め、現在は世界でもトップクラスの選手に成長しました。実は太田選手は、かつて冬季パラリンピックに3大会連続で出場した実力者。2006年のトリノ大会に日本選手団最年少の16歳で出場し、バイアスロンで銅メダルを獲得しました。続く10年のバンクーバー大会では、クロスカントリースキーで銀メダル。14年のソチ大会では日本選手団の旗手を務めるなど、輝かしい実績を残していったん現役を退きました。
その後、会社に勤めながら、パラスポーツの普及活動に携わってきた太田選手。最初は趣味で始めたパラテコンドーでしたが、18年1月には全日本選手権で優勝を果たし、強化指定選手に。昨年2月にトルコで行われた世界選手権では、初出場ながら準々決勝で世界ランキング1位のイギリスの選手を延長戦の末に撃破。大金星を挙げて勝ち進み、銅メダルを獲得したのです。この活躍で、東京パラリンピック代表内定も勝ち取りました。
【パラ陸上 兎澤朋美選手】
昨年11月にドバイで行われた、パラ陸上の世界選手権。片足に義足をはいたクラスの女子走り幅跳びで4m33のジャンプを見せ、みごと銅メダルを獲得したのが兎澤選手です。兎澤選手は、日本体育大学に在学中の21歳の女子大生。この大活躍で東京パラリンピック代表に内定しました。目指すは5mの大ジャンプと、表彰台の頂点です。
【パラ陸上 伊藤智也選手】
伊藤選手は昨年11月に行われたパラ陸上世界選手権で、56歳にして3個のメダルを獲得し、“車いすの鉄人”と呼ばれるパラ陸上界のレジェンドです。伊藤選手は、人材派遣会社の経営者だった34歳の時、突然難病の多発性硬化症を発症。左目の視力が低下、下半身もまひし、車いす生活になりました。2年間の入院生活を経た1999年、36歳で車いすによる陸上競技に出会うと、2004年には41歳でパラリンピック・アテネ大会に初出場。08年、45歳で出場した北京パラリンピックでは、400mと800mの2種目で金メダルを獲得します。ところが、その後に多発性硬化症が悪化。気を失って入院するなど体が悲鳴をあげている状況で、12年のロンドンパラリンピックを迎えたのです。
本番直前には左手に強いしびれを感じるなど、万全の状態ではありませんでしたが、伊藤選手は200m、400m、800mの3種目で銀メダルを獲得。ただ、これ以上競技を続けたら命に関わると、ここで一度、現役を引退。ところが体を休めたことで病状が安定し、医療技術の進歩で病気の進行を遅らせる目途も立ち、50代半ばでのカムバックを決断したのです。
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!