スポーツ伝説

3月14日~18日の放送内容

【スノーボード 平野歩夢選手】

 15歳で出場した冬季オリンピックのソチ大会、そして前回のピョンチャン大会と、男子ハーフパイプで2大会連続銀メダリストの平野選手。今回の北京では、大会前からいくつもの注目点がありました。昨年夏にスケートボードで出場した東京オリンピックからわずか半年しか準備期間がなかったにもかかわらず、冬オリンピック出場を決めたこと。4つ下の弟・海祝選手とともに、兄弟同時出場であること。そして、世界でも平野選手しか公式戦では成功したことがない超高難度の大技、縦に3回転、横に4回転する「トリプルコーク1440」をオリンピックの舞台でも決められるかどうか。
 世界中の視線が集まる中、予選は大技を封印したままトップ通過を果たした平野選手。封印を解いた決勝2本目で世界を驚かせます。「トリプルコーク1440」を見事に決め、残りのジャンプ全てに成功。平野選手しかできない最高難度のルーティンを演じましたが、スコアは思ったほど伸びず2位。本人もこれには納得が行かず、またも金には届かないのか、という空気が漂いかけました。逆転金メダルへ向け、平野選手に残されたチャンスは残り1回。平野選手は採点に対する怒りをエネルギーに変え、3本目も冒頭から超大技「トリプルコーク1440」に再び挑戦します。「エア」と呼ばれる空中への飛び出しを2本目よりも高く飛び、着地もより綺麗に決め、文句の付けようのないパフォーマンスを見せました。残り4つのジャンプでも、高難度の技をしっかり決めてみせた平野選手。最高の滑りで96.00の高得点を叩きだし、悲願の金メダルを獲得したのです。

  

【モーグル 堀島行真選手】

 モーグル男子、堀島選手にとって北京オリンピックは、4年前の雪辱を果たす場でした。前回の平昌大会では、世界選手権での優勝経験などから金メダル候補と言われていた堀島選手。しかし決勝はジャンプで転倒してしまい11位。結果を出そうというプレッシャーから、余裕を失っていました。失意のどん底から立ち直り、再びオリンピックを目指すと決めた堀島選手。コブのある急斜面を滑り降りるモーグルで、配点の6割を占める「ターン」の技術を磨くため、新たな挑戦を試みます。フィギュアスケート・スノーボード・水泳の高飛び込みなど、他の競技を体験し体重移動のコツなどを貪欲に吸収。その成果は、成績にしっかりと表れました。堀島選手はオリンピック前のワールドカップ9試合で3勝を挙げ、全ての大会で表彰台に登り、絶好調のまま北京オリンピックを迎えたのです。
 金メダル候補の一人として、北京オリンピックに臨んだ堀島選手。しかし期待がプレッシャーとなったのか、予選1回目はまさかの16位。平昌での悪夢が頭をよぎります。後がない予選2回目。磨いてきた技術は裏切らず、安定した滑りで決勝の舞台へ。ここから堀島選手は、1本滑るごとにギアを上げていきました。決勝は1回目が5位。2回目で3位につけ、最後の3回目。第1エアを高いジャンプで超えた後、ターンが少し乱れそうになりましたが、第2エアでは3回転技を決め、着地にも成功しました。滑り終えた時点で全体1位。後続の2人に抜かれましたが、今大会、日本勢第1号メダルとなる銅メダルを獲得したのです。

  
   
【ハーフパイプ 冨田せな選手】

 スノーボード・女子ハーフパイプの冨田選手は、前回18歳で挑んだ平昌オリンピックで、初出場ながら8位に入賞。しかしそこから4年の道のりは、決して平坦ではありませんでした。2019年、北京で行われたワールドカップの練習中に転倒して頭を強打。3ヶ月近く安静にしなければならない大ケガを経験し、周りから置いていかれるような焦りを感じたと言います。再び雪上に戻ってきたせな選手は、不安を解消すべく体幹を鍛えるなど、4年前よりもトレーニング量を増やし、世界と勝負できるまでに成長を遂げました。そのせな選手と共に切磋琢磨し技を磨いたのが、2つ年下の妹・るき選手です。今年 1月8日、妹のるき選手がワールドカップで初優勝。この大会ではせな選手も3位に入り、姉妹での表彰台を達成しました。さらに2週間後、今度はせな選手が世界のトッププロが集結する国際大会Xゲームで日本人初優勝。北京オリンピックに向け弾みをつけました。
 迎えた北京オリンピック本番。実は今大会の会場は、せな選手にとって因縁のある悪夢の場所。19年に大ケガを負った会場でした。それでもその恐怖を乗り越えて進んだ決勝、予選よりもさらに難易度を上げるチャレンジに挑み、決勝1回目2回目ともにしっかり高得点を叩き出します。とくに決勝2回目は、最高到達点4mに達するエアからの大技、横に3回転する「フロントサイド1080」を披露。板をつかむ「グラブ」も入れて得点を伸ばし、みごと銅メダルに輝いたのです。スノーボード女子ハーフパイプで、日本人がメダルを獲得するのは史上初の快挙。妹のるき選手も、決勝3回目で全ての技を成功させ、5位に入賞しました。


  
【高校野球 江川卓・達川光男選手】

 1973年の高校野球界は、1人のピッチャーの話題で持ちきりでした。完全試合やノーヒットノーランを何度も記録し、圧倒的な投球内容で“怪物”と呼ばれた作新学院の江川投手が、春のセンバツで甲子園デビューを果たすからです。球児たちはまだ見ぬ怪物を意識し「打倒江川」に燃えていました。その一人が、名門・広島商業の正捕手・達川選手です。名将・迫田穆成監督のもと、打てないなら足を絡めて点を奪う、江川投手対策に励みました。迎えたセンバツ大会本番。江川投手は、開会式直後の第1試合で登場。大会屈指の強打を誇る北陽高校から19個の三振を奪い、鮮烈な甲子園デビューを飾ります。続く2回戦は10奪三振。準々決勝は驚異の20奪三振と。一方の広島商業も、エース・佃正樹投手の力投と達川選手の好リードで勝ち上がり、準決勝でついに両チームが激突しました。
 迎えた準決勝。5回に作新学院が1点を先制しますが、その裏で反撃の口火を切ったのが達川選手です。達川選手はフォアボールで出塁すると、佃投手のラッキーなポテンヒットでホームへ生還。同点に追いつきます。さらに8回裏、広島商業はランナー1塁2塁のチャンスで、2アウトながらダブルスチールを敢行。作新キャッチャーの悪送球を誘いランナーが生還。江川投手対策で練習を重ねた“足を絡めた野球”で白星を得たのです。ただ敗れたとはいえ、江川投手はこの試合でも11三振を奪い、4試合でなんと60奪三振を記録。これは今も破られていないセンバツ記録です。
 


【高校野球 平松政次・藤田平選手】

 プロ野球では、大洋ホエールズのエースとして活躍し、通算201勝を挙げた平松投手。その名を全国に轟かせたのが、1965年の春のセンバツです。岡山東商業のエースとして登場した平松投手は、初戦から見事な投球を披露。許したヒットはわずか3本、11奪三振を挙げ完封勝利を飾ります。続く2回戦もヒット3本のみでスコアボードにゼロを刻み続け、9回ウラサヨナラ勝ちを呼び寄せます。準々決勝も3安打完封勝ち。準決勝の徳島商業戦では、6回ウラに1アウト満塁のピンチを招きますが、三振とショートフライで切り抜け完封勝利。センバツ史上4人目の4試合連続完封、大会タイの36イニング連続無失点を記録しました。
 決勝の相手は、のちに阪神タイガースで2000本安打を記録する大打者・藤田選手を擁する市立和歌山商業高校でした。藤田選手はこの大会で1試合2ホーマーを記録するなど絶好調で、二人の対決は大きな注目を集めました。試合は3回裏に岡山東商業が先制しますが、直後の4回表に市立和歌山商業が同点に追い付き、平松投手の連続イニング無失点記録は39でストップします。その後は投手戦となり、どちらも勝ち越せないまま試合は延長へ。13回裏、岡山東商業はランナー二塁のチャンスでセンターに抜けるヒット。藤田選手が好返球を見せたものの間に合わず、岡山東商業が劇的なサヨナラ勝ちを飾り、岡山県勢・甲子園初優勝を果たしたのです。

 
   
来週のスポーツ伝説は……

3/21(月) プロ野球 高橋奎二投手
3/22(火) プロ野球 坂倉将吾選手  
3/23(水) プロ野球 砂川リチャード オブライエン選手
3/24(木) プロ野球 吉田凌投手
3/25(金) プロ野球 山﨑颯一郎投手

お楽しみに!!
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