【大相撲 栃ノ海晃嘉関】
1964年、横綱・大鵬関と柏戸関の全盛期に横綱に昇進。通算3回の幕内優勝を果たした、第49代横綱・栃ノ海関は存命する横綱経験者の中では最年長でしたが、今年1月29日に82歳でこの世を去りました。
身長は177㎝、体重は最高でも100kgを少し超えるぐらいという、いわゆる“小兵力士”。しかし両前まわしを引いての速攻や足技など、技能賞を6度も獲得した巧みな技を駆使して対戦相手を翻弄し、62年の夏場所で幕内初優勝を飾ります。これで大関に昇進すると、64年の初場所後ついに横綱昇進を果たしました。横綱昇進後はたびたびケガにも悩まされ、66年の九州場所を最後に28歳の若さで現役を引退。横綱在位は17場所と短命でしたが、小さな体で大型力士たちと渡り合った栃ノ海関の姿は、いまもファンの記憶に残っています。
【MLB トミー・ラソーダ監督】
「俺の体には、ドジャーブルーの血が流れている」という名文句に象徴されるように、メジャーではドジャースひと筋で指揮を執ったラソーダ監督。1976年シーズン終盤の就任から96年途中に退任するまでの約20年で、地区優勝8回、リーグ優勝4回、ワールドシリーズを2回制覇しました。監督時代の背番号「2」は、ドジャースの永久欠番になっています。また2000年のシドニーオリンピックではアメリカ代表の監督を務め、金メダルに導きました。
ラソーダ監督が日本のファンにもおなじみになったのは、1995年に野茂英雄投手がドジャースへ移籍したときの指揮官だったからです。野茂投手を「マイ・サン(わが息子)」と呼び、慣れない環境でも力が出せるよう、日本から押し寄せた報道陣への対応までこなしました。野茂投手は期待に応え、1年目から13勝を挙げてナショナルリーグの新人王を獲得。アメリカに“トルネード旋風”を巻き起こしました。 昨年、ドジャースは32年ぶりにワールドシリーズを制覇。ラソーダさんはその歓喜の瞬間を球場で見届けたあと、帰らぬ人となりました。
【MLB ハンク・アーロン選手】
アーロン選手は力強いスイングから“ハンマー”の異名を取り、“野球の神様”ことベーブ・ルース選手の持つホームラン記録、通算714本を塗り替えた最初の人物です。1954年、20歳の時にブレーブスでメジャーデビューを果たすと、以降引退する76年までに通算3771安打、歴代最多の2297打点を記録し、首位打者を2度、ホームラン王と打点王をそれぞれ4度獲得。中でも積み重ねたホームラン数755本は、2007年に抜かれるまで、31年間メジャー歴代トップであり続けました。
その偉業を称えて99年、ハンク・アーロン賞が創設されます。ピッチャーにとってのサイ・ヤング賞と並び、バッターにとって最も栄誉ある賞にその名前が付いたことは、アーロン選手の偉大さを物語っています。そんなアーロンさんは今年1月、惜しまれながらこの世を去りました。
【MLB フィル・ニークロ投手】
ニークロ投手はブレーブス・ヤンキースなど4球団で24年間プレー。ボールが不規則に揺れて変化するナックルボールを駆使して通算318勝を挙げました。しかしその道のりは、簡単ではありませんでした。1958年、ニークロ投手は19歳でブレーブスと契約するも、マイナー生活が続き、25歳でようやくメジャーデビューを果たします。実は当時、ニークロ投手が得意とするのナックルボールは、衰退の一途を辿っており、緩急をつける球種としてはチェンジアップが主流になっていたのです。
そんな逆風の中、ニークロ投手の背中を押してくれたのが、キャッチャーのボブ・ユッカー選手でした。ユッカー選手の励ましで、ニークロ投手は67年に28歳で初めての2ケタ、11勝を挙げ最優秀防御率のタイトルを獲得。メジャーでの地位を確立したのです。ニークロ投手を語る上では、息の長いキャリアも外せません。40歳以降の投球回数「1977イニング」は歴代最多記録です。そして現役最後の年の87年には、48歳110日で当時の史上最年長先発勝利記録を達成。ニークロ投手の通算318勝のうち、40代で挙げた121勝は、メジャー記録として今も破られていません。
【MLB ドン・サットン投手】
サットン投手は1966年、ロサンゼルス・ドジャースでメジャーデビュー。かつては一流先発投手の証しとされた「シーズン200イニング投球」を史上最多の20回も達成しています。20勝以上を挙げたのは76年の1度だけですが、サットン投手は毎年安定して、長いイニングを投げてくれる、チームにとってありがたいピッチャーでした。特にドジャースでは、メジャーデビューした66年から80年まで15年連続で200イニング以上を投げ、すべて2ケタ勝利を挙げています。
80年を最後にいったんドジャースを離れますが、その後も故障知らずの頑丈な体を武器に、43歳までプレーしました。23年間のメジャー生活で、先発登板数は通算756試合。3574個の三振を奪い、通算324勝を挙げたサットン投手。サイ・ヤング賞や、最多勝のタイトルとは無縁でしたが、毎年コツコツ長いイニングを投げ、地道に勝利を重ねていきました。現役最後のシーズンとなった88年、サットン投手は古巣・ドジャースへ戻ってキャリアを終えます。背番号「20」がドジャースの永久欠番になったのは、長年チームに尽くし、ファンに愛されていればこそでした。
来週のスポーツ伝説は……
3/22(月) プロ野球 黒木知宏投手
3/23(火) プロ野球 黒田博樹投手
3/24(水) プロ野球 岩隈久志投手
3/25(木) プロ野球 川上憲伸投手
3/26(金) プロ野球 2020年開幕戦
お楽しみに!!