【競泳 幌村尚選手】
2002年の横浜大会以来、16年ぶりの日本開催となった今年のパンパシ水泳には、期待の逸材たちが出場します。その中の一人が、今年4月に行われた日本選手権の男子200mバタフライでオリンピックメダリストを撃破して優勝した、幌村選手です。
圧倒的な技術力の高さを誇り、その理想的な泳ぎで“バタフライロボット”と呼ばれている幌村選手。男子200mバタフライには、リオ オリンピック銀メダリストの坂井聖人選手や、去年の世界選手権で銅メダルに輝いた瀬戸大也選手など、世界でもトップクラスのメンバーがひしめき合っています。そんな中、1分53秒79の自己ベストで堂々の初優勝を飾りました。実は、オリンピックのバタフライで金メダルを獲得した日本人男子選手はまだ誰もいません。幌村選手は、東京オリンピックでの快挙達成も決して夢ではないほどの可能性を秘めています。
【競泳 大橋悠依選手】
去年7月に行われた世界水泳・女子200m個人メドレーで、大きな注目を浴びた大橋選手。初の世界水泳という大舞台でも、ゆったりとした大きな泳ぎを見せ、日本新記録となる2分7秒91で銀メダルを獲得しました。
大橋選手は173㎝という恵まれた体格を活かしたダイナミックな泳ぎに光るものを見いだされ、日本競泳界の名伯楽・平井伯昌監督が指導する東洋大学に進学。ケガやスランプを乗り越え、大きく成長していきました。昨年4月の日本選手権・400m個人メドレーでは、日本新記録を樹立して優勝。その3カ月後の世界水泳でも銀メダルに輝き、実力を世界に証明してみせたのです。
【サッカー 酒井宏樹選手】
FIFAワールドカップ・ロシア大会で2大会ぶりのベスト16入りを果たした日本代表にあって、4試合すべてに出場。その躍進を支えた、右サイドバックの酒井選手。日本人サイドバックとしては珍しい、身長185㎝の恵まれた体格と、右足から繰り出す高速クロスが持ち味です。Jリーグ・柏レイソルでプロデビューした当初は、その体格を見こまれてセンターバックでプレーすることが多かったのですが2011年、ネルシーニョ監督のひらめきで右サイドのレギュラーに抜てきされると、柏のJ1優勝に大きく貢献。Jリーグの新人王にあたる「ベストヤングプレーヤー賞」と「ベストイレブン」をダブル受賞します。さらに、その年行われたFIFAクラブワールドカップでも4試合すべてに出場し、FIFAが選ぶ「注目の若手選手」にも選出されるなど、大きな飛躍を遂げました。
12年には日本代表デビューとドイツ移籍を果たしますが、代表ではなかなかレギュラーの座をつかめず、14年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会では出場機会がありませんでした。控えに甘んじたブラジル大会から4年。今や、酒井選手は代表不動のレギュラーとなっています。
【高校野球 1924年甲子園・第10回大会】
日本の夏の風物詩である全国高等学校野球選手権大会、通称「夏の甲子園」。1915年に全国中等学校優勝野球大会として始まってから103年、戦争による中断があったため、今年が第100回となりました。この大きな節目を記念して、今大会から深紅の優勝旗を1200万円をかけて刷新。まだどの高校も持ち帰っていない真新しい優勝旗を目指し、例年より7校多い史上最多の56代表が甲子園球場に集い、熱戦を繰り広げています。今回のように、節目の大会では新しいものがお披露目されることが多く、大会歌『栄冠は君に輝く』が初めて採用されたのは、48年の第30回大会。甲子園球場が初めて使用されたのが、24年の第10回大会でした。
もともとは、大阪の豊中グラウンドで産声をあげた夏の全国大会。しかしこのグラウンドには専用の観客席がなかったため、第3回大会からは約5000人の観客席が用意できる兵庫県の鳴尾球場で開催。それでも年々高まりを見せる人気に対応しきれず、新たな専用球場を建設することになったのです。工事は24年3月にスタート。6万人収容の“東洋一のスタジアム”は、わずか4ヵ月半という驚異的なスピードで完成。この年は、十干の始まり「甲」と、十二支の始まり「子」が出逢う縁起のいい年だったため、「甲子」の漢字をそのまま当てて「甲子園」と名付けられました。
【高校野球 1948年甲子園・第30回大会】
これまで数えきれないほどのスター選手を輩出してきた、高校野球の甲子園大会。その中で“戦後最初のスター選手”と呼ばれたのが、1947年・48年の夏の甲子園で活躍した、福嶋一雄投手です。柳のように身体をくねらせて投げる、独特の下手投げで相手打線を翻弄。甲子園でさまざまな伝説を生み出しました。福嶋投手がはじめて甲子園のマウンドを踏んだのは47年春、戦争を挟み、6年ぶりに甲子園で復活した春のセンバツ大会でのことでした。この大会で福嶋投手は、初戦から準決勝まですべて1点差で勝利をおさめながら、決勝で徳島商業に延長13回の末に敗れ、悔しい準優勝に終わりました。
春のセンバツの雪辱を果たすべく、この年の第29回大会では、初戦から決勝まで5試合すべてを一人で投げ抜き初優勝。深紅の優勝旗が関門海峡を越え、九州の地に渡ったのは史上初めてのことでした。翌48年、連覇を狙う福嶋投手は、小倉高校のエースとして第30回・夏の甲子園に出場。初戦と2回戦がともに2安打完封。準々決勝と準決勝がともに4安打完封。和歌山の古豪・桐蔭高校との決勝戦でも、4安打完封。史上2人目の、5試合連続完封という偉業と共に、戦後初の夏の大会連覇を果たしたのです。
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!