【プロ野球 松坂大輔投手】
1998年に横浜高校時代に春夏全国制覇を達成し、鳴り物入りで西武ライオンズに入団した松坂投手。プロ1年目の99年、高卒新人ながらいきなり16勝を挙げて最多勝に輝き、新人王も獲得するなど“平成の怪物”の異名にふさわしい活躍を見せました。2007年からはメジャーリーグ、ボストン・レッドソックスに移籍。1年目から15勝を挙げ、この年にワールドシリーズ制覇も経験しましたが、3年目の09年からはヒジや肩など、たび重なるケガで成績が低迷。メジャーで8年間プレーした後、福岡ソフトバンクホークスと契約し、15年に日本球界に復帰します。
しかしソフトバンクに在籍した3年間で、一軍登板はわずか1試合。中日ドラゴンズに移籍した18年こそ6勝を挙げてカムバック賞を受賞しましたが、翌19年は右肩を故障してオフに中日を退団します。引退もささやかれる中、手を差し伸べてくれたのが、プロ野球人生の原点である埼玉西武でした。20年、14年ぶりに古巣に復帰しますが、首の痛みと右手のしびれに悩まされ、今年7月に今シーズン限りでの現役引退を発表しました。
【プロ野球 亀井善行選手】
ペナントレースが残りわずかとなった10月21日、今シーズン限りで現役を引退すると発表した巨人の亀井選手。巨人ひと筋17年。日本一・リーグ優勝と数々の栄光の陰で、スター選手らとの競争やたび重なるケガとの闘いがありました。今シーズンは、左足の状態が戻らず引退を決断した亀井選手。現役最後の試合となったのは、日本シリーズ進出を懸けたクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第3戦の東京ヤクルト戦でした。
この試合、勝たなければ巨人の敗退が決まり、シーズンが終わる状況の中、亀井選手は「2番・レフト」でスタメン出場。3回の第2打席、ライト前にヒットを放ってチャンスを広げ、これが先制点につながりました。そして7回、スアレス投手の151キロを空振り三振。直後の守備でベンチに退き、これが亀井選手の現役最後の打席となりました。試合は引き分けとなり、巨人はこれでクライマックスシリーズ敗退が決定。しかし亀井選手は最後までチームに必要とされ、しっかり仕事をしました。
【プロ野球 長谷川勇也選手】
福岡ソフトバンクホークスの長谷川選手は、2013年に198本のヒットを放って首位打者と最多安打のタイトルを獲得。ホークスひと筋15年。その間、6度のリーグ優勝と7度の日本一を経験し、チームが常勝軍団へ成長していく過程を支えてきたひとりです。ただ、ここ数年は右足のケガが慢性化して出場は代打が中心になり、今年、ついに引退を決断したのです。10月21日に迎えた引退試合で、試合前、長谷川選手は現役最後の円陣に参加。声出し役に指名されると、「みんなが必死になっている姿、一生懸命やる姿を目に焼き付けさせてください」と声を張り上げ、自分の引退のことよりも、勝利を優先してほしいとナインを鼓舞したのです。
長谷川選手はこの引退試合で、プレーでもナインを鼓舞しました。0対0で迎えた7回、ワンナウト二塁のチャンスに、長谷川選手は登場曲「必殺仕事人」のテーマ曲が流れる中、代打で登場。現役最後の打席はファーストゴロとなりますが、諦めることなく一塁にヘッドスライディングを試みました。惜しくもアウトになりましたが、これで燃えたのが次のバッター・甲斐拓也選手です。「長谷川さんの生きざま、気迫、その気持ちが乗り移った」と言う甲斐選手の打球は、レフトスタンドに飛び込む先制ツーランホームランに。長谷川選手は両手を突き上げて喜び、目には涙が溢れていました。来シーズンからは、ソフトバンクの一軍打撃コーチとして、第二の長谷川選手を育てていきます。
【プロ野球 大竹寛投手】
2001年のドラフト1位で、浦和学院高校から広島カープに入団した大竹投手。プロ3年目の04年、抑えに抜擢され17セーブを記録。翌年からは先発に回り、シュートを決め球に自身初の2ケタ10勝を挙げます。その後は12年から2年連続の2ケタ勝利の実績を挙げ、13年のオフに巨人へFA移籍。翌年、先発で9勝をマークし自身初となるリーグ優勝に貢献しました。以降、先発・リリーフの両方で活躍し、若手投手たちの見本となった大竹投手。19年には、世界大会「第2回プレミア12」の日本代表に選出され、中継ぎとして世界一に貢献。どんな場面でも頼りになる“タフネス右腕”でした。
現役20年での成績は102勝101敗。19年・20年は中継ぎとして巨人のリーグ2連覇に貢献した大竹投手でしたが、長年の活躍を支えてきた右ヒザは手術しなければ完治しないほど悪化。ついに引退を決断します。引退登板となったのは、10月24日の東京ヤクルト戦。8回にマウンドに上がると、大竹投手はヒザの痛みを抱えながらも最後の最後まで、切れ味鋭い伝家の宝刀をファンに示してみせました。今後は巨人軍の巡回コーチとして、第二の野球人生を歩みます。
【プロ野球 鳥谷敬選手】
今シーズン限りでユニフォームを脱いだ、千葉ロッテマリーンズの鳥谷選手。2003年のドラフト自由獲得枠で阪神タイガースに入団すると、プロ1年目の04年9月9日から連続試合出場がスタート。一軍公式戦「1939試合連続出場」は日本プロ野球史上、歴代2位にランクされる大記録です。また12年、開幕戦からの足かけ5シーズンにわたって作った記録「667試合連続フルイニング出場」は、ショートの選手では歴代1位です。ゴールデングラブ賞をショートで4回も獲得。さらにサードでも1回獲得し、守備の名手としても知られました。
バッティングでも、17年には史上50人目の通算2000安打を達成。この年の巨人戦で顔面付近にデッドボールを受け、鼻の骨を折ったにもかかわらず、患部を固定するフェイスガードを装着して翌日代打で強行出場したこともあります。どんなときでも休まず、常に戦う姿勢を忘れない“r鉄人”でした。鳥谷選手は、出場試合数が大きく減った19年限りで阪神を退団。出場機会を求めて、20年から千葉ロッテに移籍します。若手と競争し、移籍2年目の今年は「7番・ショート」で開幕スタメンの座を勝ち取りました。39歳9ヶ月での開幕スタメンは、ショートでは史上最高齢記録。鳥谷選手の加入は若手選手たちのよき手本となり、チームの2年連続2位に間接的に貢献したのです。
来週のスポーツ伝説は……
12/20(月) 体 操 村上茉愛選手
12/21(火) 卓 球 水谷隼選手
12/22(水) 競 泳 萩野公介選手
12/23(木) 体 操 白井健三選手
12/24(金) バレーボール荒木絵里香選手
お楽しみに!!