【サッカー パトリック・エムボマ選手】
フランスの強豪、パリ・サンジェルマン時代は出場機会に恵まれなかったエムボマ選手。1997年にガンバ大阪に移籍すると、その鬱憤を晴らすかのように数々のゴールでJリーグを席巻します。中でもJリーグデビュー戦で見せたスーパーゴールは、のちに“エムボマのリフティングゴール”として語り継がれる伝説のゴールとなりました。この年、25得点を挙げて得点王になったエムボマ選手。相手ディフェンダーを一瞬で置き去りにするスピードと強烈なパワーから、ついた異名は“ナニワの黒豹”。この呼び名はエムボマ選手本人も気に入り、スタジアムでの選手コールでも使用されたほどでした。
ガンバ大阪での大成功を受け、98年の夏以降は再び活躍の場をヨーロッパに移します。イタリアのセリエAやイングランドのプレミアリーグでもプレーしましたが、より輝きを放ったのはカメルーン代表でのプレーでした。ワールドカップでは98年大会、2002年大会と2大会連続でゴールを記録。2000年にはアフリカ選手権の優勝にも貢献します。さらにこの年は、シドニーオリンピックにもオーバーエイジ枠で出場し、優勝候補のブラジルやスペインを次々に撃破。チーム最多の4ゴールを挙げる活躍で母国に金メダルをもたらし、エムボマ選手はまさに国民的英雄となりました。
【サッカー レオナルド選手】
レオナルド選手は、1994年夏に鹿島に入団。来日時点でまだ24歳の若さでした。しかもこの年のワールドカップで世界一に輝いたブラジル代表のレギュラーとあって、Jリーグへの移籍は母国ブラジルでも衝撃的なニュースとして報じられました。レオナルド選手がJリーグが始まったばかりの日本にやってきたのは、当時鹿島に所属していたブラジルの英雄・ジーコ選手からのオファーでした。鹿島での2年間でタイトルにこそ手は届きませんでしたが、華麗なプレーでチームを牽引し続け、アントラーズ黄金時代の礎を築きます。中でも、伝説と語り継がれるプレーが95年のリフティングゴールです。このゴールは、今も伝説のゴールとしてファンに語り継がれています。
3年間プレーしたJリーグでは、通算49試合で30得点と結果を残したレオナルド選手。96年夏以降は活躍の場をヨーロッパへと移します。97年からはイタリアの名門、ACミランでプレー。移籍2シーズン目の98-99シーズン、のちに日本代表の指揮官を務めるアルベルト・ザッケローニ監督が就任すると、左利きのレオナルド選手を右ウイングで起用。レオナルド選手は12得点を挙げ、ACミランの3年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
【サッカー ワシントン選手】
ワシントン選手が母国ブラジルで名を挙げたのは、サンパウロ州リーグの得点王に輝いた2000年のこと。この年、クラブは2部リーグ所属でしたが、チームを全国規模のカップ戦で準決勝に導く活躍をみせ、翌年には26歳でブラジル代表に初めて選ばれます。また、日本で開催されたコンフェデレーションズカップにも出場。遅咲きの点取り屋に、ようやく人生の春が訪れました。ところがその年の11月、ワシントン選手は突如、心臓疾患に襲われてしまいます。二度の手術後、給料なしでチームにとどまることを許されたワシントン選手。懸命なリバビリの末、04年2月に14ヵ月ぶりのピッチで見事復活のゴールを決めると、ブラジル全国リーグではそれまでの得点記録を塗り替えるゴールラッシュで、29歳にして得点王に。完全復活をアピールしました。
フォワードとしての輝きを取り戻したワシントン選手は、05年に活躍の場を日本のJリーグへと移し、東京ヴェルディに入団。開幕戦でいきなり初ゴールを決めると、リーグ戦で22ゴールを挙げ、日本のサッカーにも難なく適応しました。06年からは浦和レッズに移り、リーグ戦では26試合で26ゴール。1試合1ゴールのペースで得点王に輝き、レッズを悲願のJ1初優勝へと導きました。続く07年も、アジアチャンピオンズリーグで初優勝。年末のクラブワールドカップでもゴールを決め、日本のクラブ史上初めての3位に貢献しました。
【サッカー サルヴァトーレ・スキラッチ選手】
1990年のイタリア・ワールドカップでの活躍で、世界的な名声を高めたスキラッチ選手。実はそれ以前は、イタリア国内でも決して有名な選手ではありませんでした。ワールドカップ前の1989-90年シーズン、イタリア2部リーグから1部リーグ・セリアAの名門ユベントスに移籍すると、1年目から15ゴールを決める大活躍を見せ、イタリア代表に初めて選ばれます。迎えた自国開催のイタリア・ワールドカップ。当初は控えメンバーのスキラッチ選手でしたが、途中出場からゴールを決める決定力を発揮し、終わってみれば7試合で6ゴール。イタリアを3位に導くと同時に、得点王と大会MVPに輝いたのです。
ユベントスではチームをカップ戦優勝に導き、その後はインテル・ミラノでもプレーするなど、名門クラブを渡り歩いたスキラッチ選手。94年にジュビロ磐田に入団します。イタリア人選手のJリーグ入りは史上初めてのことでした。イタリアではケガの影響から不振に陥り、バッシングを受けていましたが、加入2年目の95年にはリーグ戦31得点と持ち前の決定力でゴールを量産。Jリーグでは78試合で56得点を記録したスキラッチ選手の存在は、中山雅史選手始め、ジュビロのほかの選手にも大きな影響を与えました。
【サッカー フリスト・ストイチコフ選手】
高い身体能力とスピード、テクニックを併せ持った左利きのストライカー、ストイチコフ選手。その名声を大きく高めたのは、1994年のアメリカワールドカップでの大活躍でした。ブルガリアの絶対エースとして出場したこの大会で、母国を決勝トーナメント進出に導いたストイチコフ選手。最終的には4位でしたが、この大会前までワールドカップ未勝利だったブルガリアにとっては、まさに大躍進。全7試合で6ゴールを挙げたストイチコフ選手は得点王に輝き、国民的英雄としてたたえられました。またこの年は所属するバルセロナでも、スペインリーグ優勝に大きく貢献。ワールドカップでのプレーとあわせ、サッカー世界一の称号ともいえるバロンドールを受賞しました。
バルセロナ時代にはチームの4連覇に貢献。クラブの歴史に名を残したストイチコフ選手は、98年のシーズン途中で柏レイソルに加入し、Jリーグでも世界レベルの技を披露しました。ストイチコフ選手が柏でプレーした期間は2シーズンだけでしたが、強烈なインパクトを残しました。
来週のスポーツ伝説は……
5/3(月) 柔 道 古賀稔彦選手
5/4(火) プロ野球 亀井善行選手
5/5(水) 大相撲 鶴竜力三郎関
5/6(木) 大相撲 照ノ富士春雄関
5/7(金) 大相撲 若隆景渥関
お楽しみに!!