【プロ野球 高橋直樹投手】
「潜水艦」を意味する“サブマリン”と呼ばれる、アンダースローの投手たち。大記録であるノーヒットノーランをアンダースローで唯一成し遂げたピッチャーが、日本ハム・広島・西武・巨人の4球団でプレーし、通算169勝を挙げた高橋投手です。ボールの握りを見せながら投じる、サイド気味のアンダースローはプロでも通用し、1年目から2ケタ勝利を達成。5年目の1973年には、6月16日の近鉄戦でノーヒットノーランを成し遂げました。
74年には、先発した試合でリードしたまま一旦マウンドを降りて内野の守備につき、その後、再びマウンドに上がり勝利したことで、1人で勝利投手とセーブを同時に挙げるという偉業も。今はルールが改正されたため、これはプロ野球史上唯一の珍しい記録です。また抜群の制球力を武器に、79年には「シーズン11度の無四球試合」を達成。これは今でも、パ・リーグ歴代1位の記録です。西武時代には3度の優勝に貢献し、83年は13勝3敗、勝率8割1分3厘で最高勝率のタイトルを獲得。その後、巨人に移籍した86年に41歳で現役を引退。戦前生まれ最後のプロ野球選手でもありました。
【プロ野球 西本聖投手】
左足を一直線に天に向けて伸ばす個性的な投球フォーム。西本投手はまるで野球マンガ『巨人の星』の主人公・星飛雄馬のような投球フォームだったことから、“右の星飛雄馬”とも称されました。1974年のオフ、就任したばかりの長嶋茂雄新監督率いる巨人軍にドラフト外で入団。80年代に入ると、江川卓投手と並ぶ巨人軍の二本柱に成長しました。右バッターのインコースをえぐるシュートを武器に、6年連続で2ケタ勝利を達成。81年には18勝を挙げてリーグ優勝に貢献し、沢村賞も受賞しました。
成績が下降しはじめ、もうかつての輝きはないと思われた89年、西本投手は中日ドラゴンズに移籍して20勝を挙げ、はじめて最多勝のタイトルを獲得。その後オリックスを経て、94年にテスト生として巨人に復帰。結局、一軍登板機会はなく、この年限りで引退することになりましたが、ダイナミックなフォームで積み重ねた勝ち星は165勝。ドラフト外で入団し、150勝以上を挙げたのは西本投手ただひとりです。
【プロ野球 八重樫幸雄選手】
元ヤクルトスワローズ・八重樫選手の現役生活は24年。ほとんどのシーズンが控え捕手という役割でしたが、レギュラー選手以上に、記憶に残る選手としてファンから親しまれました。それは右バッターボックスに構える際、左足を大きく開き、顔も体も相手投手に向けるほどのあまりに極端なオープンスタンス。当時の野球少年たちは、こぞって真似をしたものです。
84年にはオールスターゲームに初めて出場。85年には自己最高の打率3割4厘をマークし、現役21年目の90年には、通算100号ホームランを達成しています。
【プロ野球 竹之内雅史選手】
プロ野球で、毎日のように目まぐるしく打撃フォームを変えながら通算216本ものホームランを放った大打者。西鉄ライオンズと阪神タイガースで四番を務めた、竹之内選手です。竹之内選手が様々な打撃フォームでプレーしたのは、プロの世界で生き抜くために試行錯誤した結果の産物でした。どうすればミートの確率があがるのか、バットが最端距離で出せるかを悩み続け、あるときはバットをかつぐように構え、またある時は猫背の姿勢でベースに覆いかぶさるなど、いくつもの打ち方を試した竹之内選手。イチロー選手以前に「振り子打法」を取り入れたことでも知られています。
その中で常に心がけていたのは、踏み込んで打つこと。その結果、216本ものホームランを打てはしましたが、デッドボールが多くなり、骨折・打撲など、ケガ続きの野球人生でもありました。デッドボールの数がリーグ1位だったシーズンは、なんと7回。引退を決意したのも、デッドボールがきっかけでした。プロ15年間で打撃タイトルには縁がなかった竹之内選手。ただ、通算166個を数えたデッドボールの数は、2005年に抜かれるまで、20年以上もプロ野球歴代1位の記録でした。
【スノーボード 成田緑夢選手】
10個のメダルを獲得した、平昌パラリンピック日本選手団。その一人が、スノーボードでふたつのメダルを獲得した成田選手です。小さな頃から、実家にあったトランポリンで空中感覚を磨き、高校2年の時にはトランポリンで全国制覇。2012年のロンドンオリンピックでは、日本代表の最終選考まで残った実力者です。更にその年の冬に始めたばかりのフリースタイルスキーでは、わずか3ケ月ほどの経験で世界ジュニア大会のハーフパイプ優勝を果たすなど、マルチな才能を発揮します。しかし13年4月、トランポリンの練習中に左ヒザを強打。左ヒザから下の感覚を失う障害が残りました。そんな成田選手が、パラリンピックに出場すべく選んだ競技がスノーボードでした。
平昌パラリンピック代表となり、対戦して競うスノーボードクロスでは銅メダルを獲得。そして、3回滑って最速タイムを競うバンクドスラロームでは、滑るたびにタイムを更新。見事、金メダルに輝きました。次の目標は夏のパラリンピック出場。夢の実現のため、平昌から帰国後の3月末にパラスノーボードからの競技引退を電撃表明。「新たな目標に向かって、目の前の一歩に全力で取り組みたい」と語っています。
来週のスポーツ伝説は……
5月 7日(月) ラグビー 伊藤剛臣選手
5月 8日(火) ラグビー 小野澤宏時投手
5月 9日(水) 大相撲 魁聖一郎関
5月10日(木) 大相撲 逸ノ城駿関
5月11日(金) 大相撲 大奄美元規関
お楽しみに!!