スポーツ伝説

6月24日~28日の放送内容

【フィギュア 高橋大輔選手】

 世界屈指の華麗なステップワークを武器に、日本フィギュア界を牽引してきた、高橋選手。昨年、4年ぶりの現役復帰を果たして話題になりましたが、その選手生活はまさにケガとの戦いでした。2008年10月、新しいシーズンに向けてトリプルアクセルの練習中に転倒し、右ヒザを負傷。下半身の関節をフルに使うフィギュアスケート選手にとって致命的な大ケガで、手術は成功したものの1日9時間という壮絶なリハビリ生活が始まりました。
 その甲斐あって1年4ヵ月後に行われた10年のバンクーバーオリンピックでは、日本人男子として初の銅メダルを獲得。さらにオリンピックの後に行われた世界選手権では、日本男子初の世界チャンピオンとなる快挙を達成します。個人競技で致命的な大ケガから1年後に完全復帰し、表彰台に立った例はほとんどなく、故障と戦うアスリートたちに大きな勇気を与えました。


   
【バレーボール 清水邦広選手】

 先月、バレーボールのVリーグ、パナソニック・パンサーズの清水選手が3年ぶりに日本代表へ復帰しました。193㎝の長身から繰り出すパワーあふれるスパイクを武器に、Vリーグでは毎年のようにベスト6に選出。代表の得点源としても長らく活躍してきた選手です。
 バレーボール日本代表は、ロンドン、リオと2大会続けてオリンピック出場を逃しています。その日本が最後に出場した2008年の北京大会に、清水選手はチーム最年少の選手として出場。現役選手の中で数少ない“オリンピックを知る選手”だけに、その経験値は、日本代表にとって大きな財産です。



【サッカー 小野伸二選手】

 1999年4月、日本サッカー史に輝く伝説が生まれました。20歳以下の世界大会・ワールドユースで、日本代表が準優勝を果たしたのです。FIFA主催の世界大会で、日本代表が決勝に進んだのはこの時が初めて。“黄金世代”と呼ばれるチームを牽引したのが、“天才”と呼ばれた小野選手でした。日本は決勝でスペインに敗れたものの、小野選手は大会ベストイレブンに選出。優勝を逃した悔しさをバネに次の目標に向けて戦っていた小野選手ですが、オリンピック出場を懸けたアジア予選のフィリピン戦で、左ヒザ靭帯断裂という重傷を負ってしまいます。日本はオリンピック出場権は得ましたが、小野選手自身は本来の状態を取り戻せず、メンバー入りはならず。メダル有力と言われながら柱を欠いた日本は、ベスト8で敗退しました。
 ケガをして以降「足の感覚だけじゃなく、サッカーのイメージも湧かなくなった」という小野選手。しかし過去の自分にいつまでもこだわっていても仕方がないと、新天地への移籍を決意。2001年、オランダのフェイエノールトに移籍し、新たなサッカースタイルを模索していきました。これが実を結び、UEFAカップではチームの優勝に貢献。その後の日本代表でも02年日韓大会・06年ドイツ大会のワールドカップに出場。トルシエ監督・ジーコ監督に重宝され、40歳の誕生日が9月に迫る今でも、Jリーグ コンサドーレ札幌のメンバーとして現役を続けています。
 

    
【プロ野球 前田智徳選手】
 
 イチロー選手に“本当の天才”と言わせたバッター、広島カープひと筋24年の前田選手。1989年のドラフトで広島から4位指名を受けてプロ入りすると、3年目の92年から3年連続で打率3割を記録するなど、早くから卓越した打撃センスを発揮しました。現役時代、三冠王を3度獲得した落合博満さんも、前田選手を“天才”と呼び、「前田のフォームはバッティングのお手本。理想のフォームであり、生きた教材」と語っています。2人の偉大なバッターが“天才打者”と認める前田選手ですが、そのプロ野球人生は故障との戦いの歴史でもありました。
 カープ入団後、一軍で通用するパワーを身に付けようと食べる量を増やし、ウエイトトレーニングを積んで急激に体を大きくした前田選手。その反動で6年目の95年、右足のアキレス腱を断裂してしまいます。ようやく復帰するも、右足をかばおうとして今度は左足のアキレス腱を痛め、2001年の出場はわずか27試合。「もうやめます」と球団に申し入れたこともありました。しかし自分の復活を心待ちにしている大勢のファンのために、ハードなトレーニングを自分に課した前田選手。翌02年は123試合に出場して3年ぶりに3割をマーク。前年ゼロだったホームランも20本に回復し、カムバック賞を受賞しました。それから6年連続で100安打以上を放った前田選手は07年、プロ18年目にしてついに通算2000本安打を達成したのです。。

 
 
【大相撲 琴風豪規関】
 
 1971年7月の名古屋場所で初土俵を踏み、14歳で相撲界にデビューした琴風関。77年1月の初場所に19歳で新入幕を果たすと、その1年後の初場所で関脇に昇進し、順風満帆な力士生活を送っていました。しかし翌79年1月の初場所4日目、金城関との取組で左ヒザ内側側副靭帯を断裂。ケガをした初場所だけでなく、続く春場所・夏場所も休場し、番付は幕下30枚目まで急降下しました。
 引退も覚悟した琴風関を再び立ち上がらせたのは、師匠・佐渡ケ嶽親方の一言。「ここからどう立ち直るかが、お前の腕の見せどころだ」。その言葉を胸に、79年7月の名古屋場所で幕下から再スタートした琴風関は、わずか3場所後の80年1月の初場所で幕内に復帰。12勝を挙げると、続く3月の春場所も10勝。ついに関脇に返り咲いたのです。その後も再びケガに苦しみましたが、81年1月の初場所から連続勝ち越しの快進撃を始め、9月の秋場所には12勝3敗で幕内初優勝。同時に大関昇進も果たしました。

        
 
来週のスポーツ伝説は……

  7月1日(月) テニス ロジャー・フェデラー選手
  7月2日(火) テニス ノバク・ジョコビッチ選手
  7月3日(水) テニス アンジェリック・ケルバー選手&セリーナ・ウィリアムズ選手
  7月4日(木) 大相撲 朝乃山英樹関
  7月5日(金) 大相撲 志摩ノ海航洋関
                       
                        お楽しみに!!
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