スポーツ伝説

11月7日~11日の放送内容

【WBC 王貞治元監督】
 
 野球の国別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシックの第1回大会が行われたのは、2006年。メジャーリーガーも出場する、真の世界一決定戦としてスタートしました。この時、日本球界のスター選手たちをまとめる監督に指名されたのが、当時福岡ソフトバンクホークスの指揮を執っていた王監督です。しかしチームの事情などで日本人メジャーリーガーの辞退者が相次ぎ、結局、出場したのはイチロー選手とテキサス・レンジャーズの大塚晶則投手だけ。オープン戦の時期に行われる初めての国際大会に、選手たちは調整方法で苦しみ、その船出は決して順風満帆とは言えませんでした。
 大会開幕後も、王ジャパンは様々な苦難に見舞われます。東京で行われた1次リーグ、アジアラウンドでは台湾・中国に大勝したものの、宿敵・韓国に敗れて屈辱の2位通過。アメリカに舞台を移した第2ラウンドでは、初戦で地元アメリカと対戦。イチロー選手の先頭打者ホームランなどで優位に試合を進めていた日本でしたが、勝ち越し点となるはずだった岩村明憲選手の犠牲フライが、「タッチアップの際の離塁が早かった」と無得点に。この不可解な判定変更で流れを奪われ、最後はサヨナラ負けを喫してしまいました。このショックが尾を引いたのか、韓国との2度目の対戦にも敗れてしまった日本。しかし第2ラウンド最終戦で、アメリカがメキシコにまさかの敗戦となり、日本は1勝2敗でアメリカ・メキシコと並び、失点率の関係で奇跡的に準決勝進出を決めます。相手は、またもや韓国。ここを意地で勝利し決勝へと進むと、強豪キューバを相手に大健闘。日本は初代王者の栄冠を勝ち取り、“世界の王選手”は“世界の王監督”となったのです。
 

 
【WBC イチロー選手】

 2009年春、連覇が懸かった第2回WBCは、読売ジャイアンツの原辰徳監督が代表監督に就任。メジャーリーグ所属選手を含めた最強の日本代表が結成されました。そんな中、チームリーダーとして期待されたのが、第1回大会でも活躍したシアトル・マリナーズのイチロー選手でした。ファンはもちろんのこと、同じ日本代表の選手からも、対戦相手からも一目置かれていたイチロー選手。しかし、そんな過度の期待とプレッシャーからか、この大会を通じて、イチロー選手は不振に苦しみました。大会初戦の中国戦では、まさかの5打数ノーヒット。日本で行われた第1ラウンドでの成績も19打数4安打で、打率は2割1分1厘。アメリカに舞台を移してからも、イチロー選手のバットは眠ったままで、第2ラウンド以降の成績は、準決勝のアメリカ戦が終わった時点で24打数4安打。打率は1割6分7厘。珍しくベンチで弱音を吐くイチロー選手の姿がありました。
 それでも、チームメイトの奮起で決勝に進出した日本。決勝の相手は、この大会中4度も対戦し、2勝2敗と互角の戦いを演じていた宿敵・韓国でした。そして、5度目の対戦となった決勝の大舞台で、遂にイチロー選手が目覚めます。1回表、先頭打者として打席に立ったイチロー選手は、センター前ヒットで出塁。この1本で調子を取り戻すと、3対3の同点で迎えた延長10回表、2アウト 一・三塁という場面で、見事勝ち越しに成功。この試合、イチロー選手は4安打の大活躍で、日本に大会連覇をもたらしました。


    
【WBC 井端弘和選手】

 2013年に行われた第3回WBCは、3連覇が至上命題となった日本。指揮官を務めたのは、元広島カープの主砲・山本浩二監督でした。日本球界を代表するスター選手たちが揃う中、中日ドラゴンズから唯一メンバーに名を連ねたのが、ベテランの井端選手。この時37歳だった井端選手は、年齢的にも選ばれるとは思っていなかったそうですが、山本監督ら首脳陣が自分を選んでくれたことを意気に感じ、3連覇に貢献すると心に誓いました。
 福岡で行われた1次ラウンド・ブラジル戦では、逆転勝ちの1打を放ち、チームは2次ラウンドに進出。存在感を示した井端選手は、東京ドームで行われた2次ラウンドでもチームを救います。1回戦で台湾に逆転勝ちした日本は、2回戦でオランダに勝ち、準決勝に進出。井端選手は、東京2次ラウンドのMVPに選ばれました。3連覇こそ逃してしまいましたが、常に仲間のことを気にかけ、チームプレーに徹する姿勢は、ファンに鮮烈な印象を残しました。現在は巨人でコーチとして、高橋由伸監督を支えています。

    

【大相撲 豪栄道豪太郎関】
 
 大阪出身の豪栄道関は、小学生の頃から相撲を取っていましたが、2002年に親元を離れ、相撲の名門・埼玉栄高校に進学。その後は相撲部の山田道紀監督の紹介で、境川部屋に入門します。05年の初場所に初土俵を踏むと、順調に出世を重ね、07年秋場所で新入幕。いきなり11勝を挙げ、敢闘賞に輝きました。その後は伸び悩んだ時期もありましたが、14年の名古屋場所で12勝を挙げ、ついに念願の大関昇進を果たします。
 しかしこの名古屋場所での日馬富士関との対戦で、左ひざの半月板を損傷する大ケガを負った豪栄道関。痛みをこらえ強行出場し、大関の座こそ勝ち取りましたが、大関昇進後は不本意な成績が続き、4度もカド番に追い込まれました。そんな辛い時期、心の支えになったのが山田監督です。恩師のサポートもあって、逆境を乗り越え、ついに初優勝を果たした豪栄道関。豪栄道の「豪」は、本名の「豪太郎」から、「栄」は母校「埼玉栄高校」から。そして「道」の字は、山田監督の名前「道紀」から取ったものです。溢れる母校愛と恩師の教えを胸に、豪栄道関は今場所、ついに綱取りに挑みます。
 
 
  
【大相撲 北勝富士大輝関】

 今週末から始まる大相撲九州場所で、ある若手力士が、偉大な横綱二人の名前を組み合わせた新しいシコ名で幕内デビューします。その名も、北勝富士関。 日本体育大学時代は学生相撲のスターで、2年生の時に遠藤関を破って学生横綱に。3年生の時に国体でも優勝し、幕下15枚目格付出デビューの資格を2度も獲得しました。しかし北勝富士関は、教職課程を取るため、2度もこの権利を放棄しました。
 去年、卒業後にようやく八角部屋へ入門しますが、4年生の時に限って幕下15枚目格付出の資格を得られるタイトルが獲れませんでした。そのため、デビューは前相撲からとなりましたが、去年3月の春場所で初土俵を踏むと、序の口・序二段・三段目はそれぞれ1場所で通過。幕下も4場所で通過し、今年7月の名古屋場所で新十両に。9月の秋場所では12勝3敗の成績で十両優勝を果たし、新入幕を果たしました。これに伴い、デビュー以来使っていた大輝というシコ名を改名。師匠・八角理事長の現役時代のシコ名「北勝海」の「北勝」と、その師匠で、相撲解説者の元横綱「北の富士」さんの「富士」を取って、「北勝富士」として土俵に上がることになりました。二人の大横綱を合わせたシコ名は、それだけ期待の高さが窺えます。


   
来週のスポーツ伝説は……

  11月14日(月) サッカー 原口元気選手
  11月15日(火) サッカー 呂比須ワグナー選手
  11月16日(水) プロ野球 小山正明選手・山内一弘選手
  11月17日(木) プロ野球 田淵幸一選手・真弓明信選手
  11月18日(金) プロ野球 落合博満選手・牛島和彦選手
            
                       お楽しみに!!
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