スポーツ伝説

12月24日~28日の放送内容

【卓球 福原愛選手】

 今年10月21日、自身のブログで現役引退を表明。2日後に引退会見を行った福原選手。4歳で小学生の大会に出て快進撃を見せる一方、厳しい練習に泣きながらラケットを振る姿が人気を呼び、“泣き虫愛ちゃん”として国民的アイドルに。今に続く卓球人気のキッカケを作ったのは、まぎれもなく福原選手でした。


     
【サッカー 川口能活選手】

 引退会見に詰めかけた報道陣の数、なんと130人。“炎の守護神”こと、川口選手は、4度のワールドカップに出場。神がかり的なスーパーセーブで日本のゴールマウスを守り続け、国際Aマッチ116試合は、ゴールキーパーで歴代最多出場です。
 2004年のアジア大会準々決勝では、運命を左右するPK戦で神がかり的なスーパーセーブを連発。日本の逆転勝利を導き、アジア制覇につなげました。日本サッカーの歴史的シーンで、いつもゴールを守っていたのは川口選手だったのです。


   
【プロ野球 衣笠祥雄さん】

 走攻守三拍子そろった内野手として、赤ヘル打線の中軸を担い、1980年台の広島黄金時代を牽引した“鉄人”衣笠さん。そんな衣笠さんには、若き日に影響を与えた2人の恩人がいました。
 1人目の恩人は、当時広島の監督だった根本陸夫さん。若き日の衣笠選手に、一軍に定着したければ「衣笠をつくれ」とアドバイス。自分独自のバッティングスタイルを作る必要性を説きました。2人目の恩人は、プロ入りに導いてくれたカープの名スカウト・木庭教さん。入団後、練習に身が入らずに契約金で買った高級車を乗り回すなど、やんちゃだった衣笠選手。すると3年目のオフ、木庭スカウトに呼び出されました。
「次の仕事を考えよう。お前の取り組み方では、プロ野球選手として見込みがない」
 まさかの“引退勧告”。もちろん木庭さんの本心ではなく、きつい「お灸」を据えるための言葉でしたが、これで心を入れ替えた衣笠選手。翌1968年は、ファーストとして1軍のレギュラーの座を掴み、21ホーマー、打率2割7分6厘をマーク。広島の主砲へと成長していきました。

      
  
【プロ野球 星野仙一さん】
 
 現役時代は、中日ドラゴンズひと筋14年。特に巨人に勝つことに情熱を注ぎ、引退後は、中日・阪神・楽天と3球団の監督を歴任した星野さん。指揮を執った3チームすべてをリーグ優勝に導いた手腕が高く評価され、2017年度の野球殿堂入りを果たしました。
 昨年の11月末に、都内で「殿堂入りを祝う会」が行われ、各界の著名人およそ1100人が出席。ところがそれから2ヵ月経たないうちに、まさかの訃報が届きました。闘病生活のことは球団関係者数人を除いて一切伏せ、人前で辛い素振りを見せなかったのも星野流のスタイル。人前では常に強気を通しました。野球を愛し続け、息を引き取る直前も「楽天のコーチ会議に出られるかな?」と語っていたという星野さん。最後の最後まで野球に情熱を燃やした一生でした。

 
 
【大相撲 輪島大士関】
 
 今年10月8日、第54代横綱・輪島さんがこの世を去りました。幕内優勝回数は14回。第55代横綱・北の湖関と数々の名勝負を繰り広げ、「輪湖時代」と呼ばれる一時代を築きました。優勝回数では、北の湖関の24回に後れを取りましたが、対戦成績では輪島関が23勝21敗で勝ち越し。金色のまわし姿で、左下手投げを得意としたことから“黄金の左”の異名で人気を集めました。
 強さもさることながら、角界の常識をいくつも打ち破ってきた輪島関。横綱昇進後も、本名を四股名としていた史上初の力士であり、「学生相撲出身は大成しない」と言われる中、学生相撲出身で初めて、横綱まで上りつめた力士でもありました。


   
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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