【フェンシング 太田雄貴選手】
去年7月にモスクワで行われたフェンシング世界選手権 男子フルーレ個人で、太田選手が優勝。本場ヨーロッパ勢が圧倒的な強さを見せるフェンシングにおいて、全種目を通じて日本人初となる世界一の快挙を達成しました。太田選手は2008年の北京オリンピック男子フルーレ個人でも銀メダルを獲得。この時も、日本人初の快挙として大きな話題になりました。
大会後、先輩選手から言われたのは、「お前のフェンシングは日本人選手のパクリの集大成だ」という言葉。これは、太田選手にとって何よりうれしい一言だったといいます。「普段は絶対にやらないような技が出たのは、先輩たちが乗り移っていたのでは。みんなに1ポイントずつ取らせてもらったような気がします」と語った太田選手。次のロンドン大会でも、団体で銀メダルを獲得しています。リオオリンピックでは、日本は団体での出場は逃しましたが、個人で最後のオリンピックに臨む太田選手。日本でフェンシングをもっとメジャーにするために、華麗な締めくくりを目指します。
【卓球 平野美羽選手・伊藤美誠選手】
リオデジャネイロオリンピックの卓球女子日本代表は、福原愛選手・石川佳純選手が順当に代表を決め、もう1人、団体戦のメンバーとして伊藤選手が選ばれました。一昨年の春、伊藤選手は、平野選手との13歳コンビで卓球ワールドツアー女子ダブルスを2週連続で制覇し話題になりました。2人は5歳からペアを組んでいる仲ですが、シングルスではジュニア大会でしのぎを削るライバル同士。そんな2人が直接対決することになったのが、今年1月の全日本選手権女子シングルス準決勝。ここまで対戦成績は伊藤選手の9勝4敗で、2012年からの4年間に限れば、伊藤選手は8戦して1回しか平野選手に負けていませんでした。この結果を踏まえ、平野選手は去年10月から新しいコーチを迎えるなど、自分から攻撃に出るプレースタイルに転向。ライバルへの闘争心を取り戻すと、この試合で伊藤選手を圧倒。見事に決勝進出を決めたのです。
リオオリンピックでは、明暗が分かれてしまいましたが、互いに切磋琢磨する“みうみまコンビ”。4年後、女子ダブルス日本代表として「東京で金」の約束を果たすべく、2人の良きライバル関係は続いて行きます。
【レスリング 渡利璃隠選手】
リオオリンピックでメダルが期待されている競技のひとつが、オリンピック4連覇を目指す吉田沙保里選手がいる女子レスリングです。その中で最も重い75キロ級の代表に選ばれた渡利選手は、減量ならぬ増量に取り組み、見事にリオ行きの切符を手にしました。
この階級の第一人者は、鈴木博恵選手。しかし鈴木選手は去年8月の強化合宿中に左膝じん帯を損傷し、9月の世界選手権に出場できなくなってしまいました。日本のリオ出場枠確保が危ぶまれる中、白羽の矢が立ったのが、当時63キロ級の選手だった渡利選手です。しかし2階級上への転向は異例。短期間で12キロの増量はやはり難しく、食事を1日5回に増やし、食欲がなくてもとにかく食べるという生活を続けました。その結果、去年の12月には75キロ級に出場できる下限ギリギリの69キロまで体重が増え、全日本選手権で優勝を果たします。さらにオリンピックアジア予選の75キロ級でも優勝。日本に75キロ級への出場権をもたらしたのです。名前がリオだけに、「私のためのオリンピックだという思いもあります」と渡利選手。相手のパワーに負けない体を作るため、本番へ向けて更なる増量に挑みます。
【プロ野球 新井貴浩選手】
4月26日に神宮球場で行われたヤクルト対広島戦で、広島カープの新井選手がプロ野球史上47人目となる通算2000本安打を達成。プロ18年目、39歳にしてようやく大台にたどり着きました。
広島出身で、1988年のドラフト6位で広島に入団した新井選手は、2001年からレギュラーに定着。05年には43ホーマーで初のホームラン王に輝きました。しかしFA権を獲得した07年のオフ、優勝を目指せるチームでプレーしたいと、悩んだ末に阪神に移籍。7シーズン在籍し、11年には打点王にも輝きましたが、結局優勝は経験できないまま、一昨年のオフに自由契約で退団しました。新たな移籍先を探す中、「カープだけはない」と思っていたという新井選手。広島から「帰ってこい」と言われた時も、ファンの気持ちを考えると、すぐに「戻ります」とは言えませんでした。そんなに背中を押してくれたのが、2年先輩の黒田博樹投手。「帰ればいいんだよ。関係ない、大丈夫だ」というひと言をきっかけに、新井選手の気持ちが傾きました。いざ戻ってみると、予想外にファンは温かく、2000本安打を4番打者としてカープファンの歓声の中で達成できたことに、新井選手はこの上ない喜びを感じたと言います。あとひとつ、達成すべきは優勝。その喜びをファンと分かち合うため、新井選手はこれからもカープで戦い続けます。
【プロ野球 2000本安打伝説】
47人いる2000本安打達成者の中で、最も若くしてこの記録に到達したのは、現在の千葉ロッテマリーンズの前身・東京オリオンズに在籍していた榎本喜八選手。高卒1年目で開幕スタメンに抜擢されると、いきなり146安打をマークし、24歳9か月で早くも1000本安打に到達。1968年7月21日の近鉄戦で、鈴木啓示投手から通算2000本目のヒットを放ちました。この時、榎本選手は31歳7か月。この最年少記録は、48年経った今でも破られていません。
逆に、2000本安打を2013年5月6日のヤクルト戦で、42歳4か月で達成したのは中日ドラゴンズの谷繁元信選手。これはその時点での最年長記録でした。しかし去年6月11日、同じ中日の和田一浩選手が42歳11か月で2000本に到達。谷繁選手を7か月上回り、史上最年長記録を塗り替えました。ちなみに谷繁選手は高校卒業後すぐにプロ入りしましたが、和田選手は大学・社会人を経ており、プロ入りしたのは24歳の時。年数でいうと、プロ25年目で達成した谷繁選手が最も遅い記録になります。
2000本安打を最初に成し遂げたのは誰かというと、“打撃の神様”巨人軍の川上哲治選手でした。今からちょうど60年前に通算1646試合目で達成。日本のプロ野球の所要試合数でいうと、川上選手が最短です。これは今でも破られておらず、2位はDeNA在籍時に達成したラミレス選手の1695試合。果たして今後、このスピード記録を破る選手が現れるのか、期待です。
来週のスポーツ伝説は……
6月 6日(月) 競 泳 北島康介選手
6月 7日(火) 競 泳 松田丈志選手
6月 8日(水) バレーボール 荒木絵里香選手
6月 9日(木) プロ野球 DH珍事件
6月10日(金) プロ野球 復活勝利列伝
お楽しみに!!