スポーツ伝説

8月3日~7日の放送内容

【プロ野球  山内新一投手】

 プロ通算18年で143勝142敗、20勝を2度も達成し、巨人・南海などで活躍した山内投手。1967年にドラフト2位で巨人から指名を受け、入団。ルーキーとはいえ、春季キャンプから各評論家が「新人王をとれる」と絶賛したほどの逸材でした。しかし当時の巨人は、V9の黄金時代。1軍投手陣の層がケタ違いに厚く、ようやく1軍デビューしたのは8月でした。3年目はリリーフが中心で8勝。結局、巨人では5年間で14勝をあげたのみでした。
 73年、交換トレードで移籍した南海で復活にかけます。そこで出会ったのが、野村選手兼任監督でした。「お前は10勝できる」「ロッテの村田はスピードで20勝。お前はコントロールで20勝したらそれでいい」など、次々に激励の言葉を投げかけられ、山内投手のやる気が倍増します。73年のパ・リーグは、2シーズン制を採用していました。野村南海は開幕からエンジン全開。その勢いに乗ったのが、山内投手。6月13日の近鉄戦で、あわやノーヒットノーランかという内容で、首位に立つ値千金の1勝をもぎ取ります。これでチームは勢いに乗り、優勝。後期優勝の阪急とのプレーオフも制し、リーグ優勝の立役者に。このシーズンはオールスター初出場も果たしました。タイトルとは無縁でしたが、南海・阪神時代を通じて、311試合連続先発をマーク。歴代1位のこの記録を現在、2位の横浜DeNAの三浦大輔投手が追っています。
 


【プロ野球  デーブ・ヒルトン選手】

 1978年、ヤクルトは球団創設以来、初のリーグ優勝。日本一にも輝きました。当時のスワローズファンの脳裏に刻みこまれたのが、トップバッターのヒルトン選手。71年のメジャーリーグのドラフトでサンディエゴ・パドレスから指名されて契約。しかし結果を残せず、日本球界での最後のチャンスにかけました。
 外国人獲得には昔から定評のあるヤクルト。ヒルトン選手は当初テスト生で、レギュラーを確約されていたわけではありません。そんな中、周囲が驚くほどの練習量をこなし、生真面目な性格でオープン戦からエンジン全開。レギュラーをガッチリと確保します。このシーズン、初回先頭打者本塁打8本は、2007年に巨人の高橋由伸選手が更新するまで歴代最多タイ記録。不動のトップバッターとしてチームをけん引しました。打撃フォームは、背中を屈めた独特のクラウチングスタイル。常に全力疾走を心がけるなど、強烈なインパクトを残した伝説のプレーヤーです。 
 

 
【サッカー  ヨハン・クライフ監督】

 昨シーズン、欧州クラブ史上初の2度の3冠を成し遂げたスペインのFCバルセロナ。その美しく、ファンを楽しませるスタイルは、オランダのクライフさんがもたらしたものです。1988年5月に監督就任。現役引退後、母国のアヤックスで指揮を執った後、かつてプレーしたバルセロナへ。ここで自身が常に思い描いていた新たなスタイルの実践を試みます。「自分たちがボールを持っていれば、ゴールを奪われることはない」。こんな当たり前の発想から、独自のスタイルが形になっていきました。全員で攻撃を行い、全員で守備をするトータルフットボール。改革はトップチームだけではなく、バルセロナの下部組織にも及びました。
 監督として最初のシーズン、UEFAカップウィナーズカップで優勝。徐々にその理想が形となっていきました。チームに必要な選手を発掘しながら、ドリームチームを結成。デンマークのミカエル・ラウドルップ選手、オランダからはロナルド・クーマン選手などが加わり、UEFAチャンピオンズカップや、クラブ史上初のリーガ・エスパニョーラ4連覇を成し遂げました。「ボールは汗をかかない」は、クライフ監督の多くの名言の中でも最も印象に残る言葉。ショートパスを多用するトータル・フットボールの本質を、一言で見事に表現しています。
 


【サッカー  サー・ボビー・チャールトン選手】

 サッカーの母国イングランドで最高の選手として歴史に名を刻んだのが、サーの称号を持つ、ボビー・チャールトン選手。1966年ワールドカップ・イングランド大会の優勝メンバーで、この年の最優秀選手にも選出。所属したマンチェスター・ユナイテッドでの歴代通算最多ゴールなど、輝かしい記録の一方で、『ミュンヘンの悲劇』と呼ばれる飛行機事故にも遭遇。この事故で選手8人が死亡しましたが、チャールトン選手は奇跡的に怪我なく一命を取り留めます。しかし精神的なショックが大きく、一時は全くボールを蹴ることができませんでした。事故から2か月後の58年4月19日、ようやくスコットランド戦で代表デビューを果たし、初ゴール。68年にはチャンピオンズカップの決勝でポルトガルのベンフィカを下し、チームは悲願を達成。この大一番で、チャールトン選手は2ゴールをあげています。ところが、祝勝会には欠席。自室で10年前の事故で亡くなったチームメイトを思い出しながら、涙を流していたそうです。 
 


【女子サッカー 宇津木瑠美選手】

 なでしこジャパンの準優勝で終わったFIFA女子ワールドカップカナダ大会で、新しい顔となった宇津木選手。ポジションはボランチと呼ばれる守備的ミッドフィルダーですが、攻守両面でチームを支える“なでしこ中盤の心臓”と評されました。カナダ大会では、全7試合のうち、6試合でフル出場。ポニーテールのボランチとして、宇津木選手は大活躍。海外のメディアは、「まるで陸上選手のようだ」と、その豊かな運動量に驚かされたといいます。前回のドイツ大会では、出場はわずか2試合。いずれも途中出場だったのは、ポジションが澤穂希選手と同じボランチだからでした。そのレジェンドを押しのけ、今回はレギュラーに。準々決勝のオーストラリア戦では、MVPに輝いています。 
 2010年7月、なでしこリーグの日テレベレーザから、フランスのモンペリエに移籍。理由は、刺激を求めて。人間的にももっと苦労して大きくなりたいという気持ちからでした。「海外に出てよかったのは、自分の意見がストレートに言えるようになったこと」と、宇津木選手。フィジカルの強さは、男子チームに入っても遜色なしと言われています。
 
 

来週のスポーツ伝説は……

 8月10日(月) 女子サッカー 澤穂希選手
 8月11日(火) プ ロ 野 球 黒田博樹投手
 8月12日(水) プ ロ 野 球 中村剛也選手 
 8月13日(木) プ ロ 野 球 宅和本司投手
 8月14日(金) 女 子 柔 道 松本薫選手

                       以上の5選手をご紹介します。
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