スポーツ伝説

9月5日~9日の放送内容

【プロ野球 小澤怜史投手】

 東京ヤクルトスワローズの小澤投手は、静岡の日大三島高校出身。高校時代に甲子園出場の経験はありませんが、最速152キロのストレートが注目を集め、2015年にドラフト2位で福岡ソフトバンクホークスに入団します。2年目には一軍初登板を経験しますが、首の故障もあって18年オフに育成契約に。そのまま支配下選手に戻ることができず、20年限りで戦力外通告を受けました。小澤投手はこのときまだ22歳。プロで活躍する夢を諦めず、オフに行われた12球団合同トライアウトに参加し、3者連続空振り三振を奪ってアピール。ヤクルトと育成選手として、契約を結びました。
 昨年の秋、小澤投手はそれまでの右オーバースローからサイドスローへの転向を決断。現役時代にサイドスローで球界屈指の抑え投手になったヤクルト・高津臣吾監督を手本に、一軍での活躍を誓います。すると、移籍2年目の今シーズン、2軍では抑えとして1勝1敗8セーブ、防御率1・30の安定した成績を残し、6月26日に遂に支配下登録を果たしたのです。支配下選手になったその日から、小澤投手は一軍のマウンドで躍動します。巨人戦に出場すると、3回ノーアウト満塁という大ピンチで、高津監督は小澤投手を5年ぶりとなる一軍のマウンドへ。いきなり絶体絶命の場面で、小澤投手は巨人打線を無失点に抑えたのです。7月3日の横浜DeNA戦ではプロ初先発で、5回を投げて8安打3失点。味方打線の大量援護にも助けられ、プロ入り7年目にして、ついに初勝利を挙げることができました。

  
 
【プロ野球 田中瑛斗投手】

 北海道日本ハムファイターズ・田中投手は大分県出身。中学までは主に内野を守っていましたが、柳ヶ浦高校に進学したことが田中投手の運命を大きく変えます。1年生の夏に、かつて南海ホークスで活躍した定岡智秋さんが野球部の監督に就任。田中投手のキャッチボールでの腕の振りが良かったことに注目した監督から、ピッチャー転向を打診されたのです。定岡監督は、田中投手の才能に早くから気づき、日々の練習から高い意識を持つように指導しました。甲子園出場こそ叶いませんでしたが、ストレートは最速149キロを計測するまでに成長。2017年のドラフトで日本ハムに3位指名されました。
 しかしプロ入り後はなかなか芽が出ず。2年目に1軍デビューを果たしますが、登板はその1試合のみ。3年目の2020年には右肘の手術を受け、昨年オフに戦力外となり、育成選手として再出発することになったのです。育成契約になっても気落ちすることなく、ケガから復調した田中投手は二軍で結果を残し、今年7月1日、ついに支配下登録選手に復帰します。すると1週間後の千葉ロッテ戦で、新庄剛志監督からプロ初先発というビッグチャンスが与えられました。味方打線の援護で、5回までに5点をもらった田中投手。最速150キロのストレートと、今シーズンから投げ始めたシュートを効果的に使って、6回4安打1失点と好投。プロ初先発でみごとプロ初勝利を挙げました。

  
 
【プロ野球 椋木蓮投手】

 昨年のドラフトで即戦力ルーキーと期待され、オリックス・バファローズに1位入団した椋木投手。しかし、春季キャンプで左脇腹を痛め、いきなり出遅れてしまいます。東北福祉大学ではリリーフで活躍してきたため、オリックスで与えられた先発投手としての役割にもなかなか馴染めませんでした。転機となったのは5月末、生まれ故郷の山口県で行われた二軍戦での登板です。両親も観戦した前で5回6失点と打ち込まれ、奮起を誓いました。それからおよそ1ヵ月後の7月7日、椋木投手は埼玉西武戦で一軍デビューのチャンスをつかみます。この試合で椋木投手は、最速153キロのストレートと多彩な変化球を交え、6回2安打無失点。堂々たるピッチングで、初先発初勝利を挙げたのです。
 初先発初勝利以上に衝撃的だったのは、次のマウンド。7月20日、北海道日本ハム戦で先発を務めた椋木投手は、ノーヒットのまま9回のマウンドに上がったのです。大偉業に向けて9回も2つのアウトを重ね、ノーヒットノーランの偉業達成まであと1人に。迎えたバッターは、代打の佐藤龍世選手。2ボール2ストライクと追い込み、投じた6球目。打球はセンター前へ転がり、史上2人目の快挙目前で幻となりました。椋木投手はここでマウンドを降りましたが2勝目をマーク。新人投手がプロ初登板初先発から2戦連続で白星を挙げたのは、球団史上初めてのことでした。
 

  
【大相撲 逸ノ城駿関】

 今年5月、新型コロナウイルス感染で夏場所を全休した逸ノ城関。7月の名古屋場所は、西前頭2枚目で迎えました。4ヵ月ぶりの本場所となった逸ノ城関でしたが、いきなり快進撃を見せます。初日に若隆景関、2日目に大栄翔関と両関脇を破ると、4日目には大関・貴景勝関、5日目には横綱・照ノ富士関から金星を挙げます。6日目には大関・御嶽海関も撃破し6連勝。優勝を期待する声も上がりましたが、7日目は大関・正代関に初黒星を喫し、8日目も連敗。しかし9日目からは5連勝。11日目には小結・阿炎関を下し、三役以上の力士から7勝を挙げました。14日目は敗れ11勝3敗となりましたが、千秋楽を前に、横綱・照ノ富士関と並んで優勝争いのトップに立ったのです。
 逸ノ城関はもともと、新入幕の2014年の秋場所でいきなり優勝を争い、次の九州場所は関脇に昇進した実力の持ち主です。しかし、それから上位陣の壁に当たり足踏み。さらに19年には、持病の腰椎椎間板ヘルニアが再発して寝たきり状態に。一時は十両への陥落も経験しました。迎えた名古屋場所千秋楽、逸ノ城関は、クセ者として知られる宇良関と対戦。立ち合いですばやく左上手を取り、そのまま寄り切りました。一方、照ノ富士関は大関・貴景勝関に敗れ、この瞬間に入門から8年、逸ノ城関の初優勝が決定しました。



【大相撲 錦富士隆聖関】

 相撲の名門・近畿大学を2年で中退し、伊勢ケ浜部屋に入門した錦富士関。2016年9月の秋場所で初土俵を踏み、順調に出世するかと思われましたが、幕下時代の19年に左ヒジ筋断裂の大ケガを負ってしまいます。20年9月の秋場所で十両に昇進しましたが、ケガの後遺症のためしばらく左が使えなくなりました。これをきっかけに右四つや押し相撲などを覚えたことが、相撲の幅を広げることにつながります。そんな錦富士関には、所属する伊勢ケ浜部屋に励みになる存在がいます。大学時代の同期生で、友人でもある翠富士関です。昨年1月の初場所で新入幕を果たし先を越された錦富士関は、自分も負けていられないと、今年7月の名古屋場所で待望の新入幕を果たしました。
 伊勢ヶ浜部屋にはもう一人、錦富士関を励ましてくれた力士がいます。兄弟子の横綱・照ノ富士関です。名古屋場所は好調で、11日目に8勝3敗と早くも勝ち越し。この時点で2敗の照ノ富士関と優勝を争う形になり、横綱から優勝決定戦しようやと声を掛けられました。その後、9勝5敗で迎えた千秋楽。対戦相手が休場となり、10勝。戦わずして初の敢闘賞が決まりました。コロナ禍のため休場者が相次いだ名古屋場所で、錦富士関は10勝のうちなんと3勝が不戦勝という珍記録も作りました。

  

来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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