スポーツ伝説

10月9日~13日の放送内容

【ソフトボール 山田恵里選手】

 2020年東京オリンピックで、3大会ぶりに競技復帰を果たすソフトボール。日本は、除外される前の08年・北京オリンピックで金メダルを獲得しているため、ディフェンディング・チャンピオンとして本番を迎えることになります。しかし12年ぶりということもあり、現在の代表選手のほとんどはオリンピックの出場経験がありません。そんな中、オリンピックの舞台を知り、何度も修羅場をくぐり抜けてきたベテランのひとりが、不動のキャプテン・山田選手です。
 その卓越したセンスから“ソフトボール界のイチロー”と呼ばれている山田選手。初めてオリンピックの大舞台を経験したのは、04年のアテネ大会でした。若冠20歳で代表に選ばれた山田選手は、日本の銅メダル獲得に貢献。08年、24歳で迎えた北京大会ではキャプテンとしてチームを牽引し、悲願の金メダルを勝ち取りました。その後、オリンピック競技から除外され、女子ソフトボールは厳しい冬の時代を迎えますが、山田選手は日本リーグでプレーを続け、日本代表ではキャプテンとしてチームを引っ張り続けました。12年の世界選手権では、42年ぶりとなる金メダルを獲得。さらに、14年の世界選手権では連覇を達成。今年5月にはリーグ歴代最多記録となる通算40号ホームランを樹立するなど、数々の通算記録でもリーグ歴代トップに立ち続けています。


 
【ソフトボール 上野由岐子選手】

 2008年の北京オリンピックで金メダルを獲得した、女子ソフトボール日本代表。この時、優勝の立役者としてソフトボールファンの枠を超え、日本中を沸かせたのが、ソフトボール界を牽引し続ける“世界最強エース”上野投手です。
 当時、26歳だった上野投手は、準決勝のアメリカ戦と、同じ日の夕方に行われた決勝進出決定戦のオーストラリア戦で、1日に2試合続けて登板。どちらの試合も延長戦まで完投すると、その翌日に行われたアメリカとの決勝戦にも登板。強打のアメリカをわずか1失点に抑え、みごと金メダルを勝ち取りました。準決勝から決勝まで、2日間で3試合、計413球をひとりで投げ抜いた姿は多くの感動を呼び、『上野の413球』という言葉は、その年の新語・流行語大賞で審査員特別賞にも選ばれました。
 あれから9年。代表最年長となった今もなお、代名詞である剛速球と多彩な変化球、そして世界一と称される投球術は健在です。
 

   
【プロ野球 1973年パ・リーグ プレーオフ】
 
 ここ数年、観客動員数が増加傾向にあるプロ野球。特にパ・リーグ各球団は、毎年、過去最多の観客動員数を更新し続けています。しかし今から40年以上前の70年代前半は、どの球場も満員にはほど遠く、閑古鳥状態も珍しくありませんでした。そこでパ・リーグが1973年から始めた秘策が、前・後期の2シーズン制と、それぞれの優勝チームによるプレーオフの実施。「祭りは1度より2度3度あった方がいい」という、近鉄バファローズ・佐伯勇オーナーの言葉が決め手だったといわれています。
 そしてこの年、前期を制したのが、当時38歳のプレイングマネージャー・野村克也率いる南海ホークス。後期を制したのが、当時黄金時代だった西本幸雄監督率いる阪急ブレーブスでした。プレーオフ開始前、下馬評では圧倒的に阪急が優勢。そんな中、野村監督がプレーオフのキーマンに指名したのが、江本孟紀投手でした。狙いはピタリと当たり、南海がパ・リーグを制覇。終わってみればこの年、狙い通りに観客動員数は大幅に増加し、前年約253万人だった観客数は、史上はじめて400万人の大台を突破しました。こうして前・後期制とプレーオフは、パ・リーグの新たな名物として82年まで10年間続いたのです。

  
   
【プロ野球 1977年パ・リーグ プレーオフ】

 今から40年前、1977年のパ・リーグは、前期は阪急ブレーブスが、後期はロッテオリオンズが優勝。プレーオフは、74年以来3年ぶりに阪急とロッテの対決になりました。74年の対決は、金田正一監督率いるロッテが、上田利治監督率いる阪急を3連勝のストレートで下しましたが、阪急はその屈辱をバネに、翌75年・76年とリーグ連覇。 王者・阪急にとって、この77年のプレーオフは、3連覇と同時に、ロッテへのリベンジを懸けた戦いでもありました。
阪急・山田久志投手と、ロッテ・村田兆治投手のエース対決から始まったこの年のプレーオフは、最終戦までもつれ込んだ末、阪急がみごとリーグ3連覇。5試合で10万9500人もの観客を集め、過去3年間を大幅に上回る新記録も達成しました。阪急は日本シリーズでも、長嶋茂雄監督率いる巨人を下し、3年連続日本一に輝いています。   
 

   
【プロ野球 1981年パ・リーグ プレーオフ】

 1982年のパ・リーグは、前期を、この年就任した広岡達朗監督率いる西武ライオンズが制し、後期は、“大沢親分”こと、大沢啓二監督率いる日本ハムファイターズが制覇。西武は埼玉移転後初の優勝を、日本ハムはパ・リーグ2連覇を懸けたプレーオフとなりました。結果は、3勝1敗で西武が埼玉移転後初のリーグ優勝。西武黄金時代の幕開けとなりましたが、パ・リーグは翌83年から1シーズン制に戻り、プレーオフはこの年を最後に廃止となりました。
 

         
来週のスポーツ伝説は……

  10月16日(月) N B A ラッセル・ウェストブルック選手
  10月17日(火) N B A カワイ・レナード選手
  10月18日(水) プロ野球 菊地原毅投手
  10月19日(木) プロ野球 鹿取義隆投手
  10月20日(金) サッカー 籾木結花選手


            
                       お楽しみに!!
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