スポーツ伝説

11月18日~22日の放送内容

【プロ野球 館山昌平投手】

 1980年度生まれの“松坂世代”の1人、東京ヤクルトスワローズの館山投手は、神奈川県の日大藤沢高校時代、横浜高校の松坂大輔投手とたびたび投げ合いを演じました。日本大学を卒業後、2003年にドラフト3巡目でヤクルトに入団。サイドスローから繰り出す150キロ台のストレートと多彩な変化球を操り、09年には16勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得。プロ17年間で85勝を挙げ、右のエースとしてチームを牽引しました。
 そんな館山投手のラストゲームは、今年の9月21日。ホーム・神宮球場で行われた中日戦で、打者1人限定で先発のマウンドに上がると、中日の1番・大島選手に真っ向勝負を挑み、セカンドゴロに打ち取って現役最後のマウンドを降りました。引退後、さっそく東北楽天ゴールデンイーグルスの2軍投手コーチに就任した館山投手。これからは、野球界を担っていく後輩投手たちのため、自分の貴重な経験を伝えていきます。  


   
【プロ野球 ランディ・メッセンジャー投手】

 現役最後のマウンドは、打者1人を空振り三振締め。「タイガース、イチバンデス! メッチャ、アリガトウ!」と関西弁が混じった、日本語によるスピーチでファンとの別れを惜しんだのが、阪神タイガースのメッセンジャー投手です。日本のプロ野球で、同じ球団で長くプレーした外国人選手はいても、引退試合まで行われるのは極めて異例なこと。それだけメッセンジャー投手は、阪神にとって欠かせない存在だった証でもあります。
 阪神に在籍した10年間で、メッセンジャー投手が積み上げた勝利数は98勝。節目の100勝には、あと一歩届きませんでしたが、最後の試合は勝って送り出してあげたいというタイガースナインの思いが実りました。この引退試合を含め、阪神はシーズン最後に怒涛の6連勝。広島を上回って逆転3位となり、クライマックスシリーズ進出を決めたのです。チームのために投げ続けたメッセンジャー投手。人一倍タイガースを愛し、「フォア・ザ・チーム」の精神を教えてくれた、頼れるエースでした。



【プロ野球 田中賢介選手】

 日本とアメリカでプロ生活20年。ファンから絶大な支持を集めてきた北海道日本ハムファイターズの田中選手が、今シーズン限りでバットを置きました。引退を発表したのは、昨年12月の契約更改会見の場。この異例の引退表明には、今まで応援してくれたファンや支えてくれた人たちへ 1年間、感謝の気持ちを込めてプレーしたい、という思いがありました。田中選手がファイターズに入団したのは、まだ本拠地が東京ドームだった2000年のこと。高卒ルーキーながら、プロ1年目に一軍の舞台に立ちました。北海道移転後は、チームの中心として活躍。レギュラーをつかみ取った06年には、44年ぶりの日本一に大きく貢献し、ベストナインとゴールデングラブ賞をダブル受賞しました。これまでに通算5度のリーグ制覇と2度の日本一を経験した田中選手は、いつしかファイターズの精神的な支柱となったのです。
 13年からは2年間、アメリカ・メジャーリーグに挑戦。1年目は出場わずか15試合。2年目はメジャー昇格を果たせませんでしたが、「あえて苦しいところに挑戦していくことが、自分の人生にプラスになる」と、前向きな気持ちで日本球界に復帰します。すると、復帰2年目の16年に、またもチームの日本一に貢献。ファイターズが優勝するとき、いつもセカンドには田中選手の姿がありました。


 
【プロ野球 横田慎太郎選手】
 
 プロ野球は、実力の世界。若くしてユニフォームを脱ぐ選手も大勢います。24歳の若さで引退を表明した、阪神タイガース・横田選手もその一人です。横田選手は2013年のドラフト2位で、鹿児島実業高校から阪神に入団。プロ3年目の16年に「2番・センター」で、開幕スタメンで1軍デビューを果たし、38試合に出場。決して満足のいく成績ではありませんが、強肩・強打に俊足と三拍子揃った大型外野手になってくれるはず、とタイガースファンは大いに期待しました。
 しかし翌年、脳腫瘍と判明。22歳の若さで、選手生命どころか、自らの命と向き合わなければならなくなったのです。手術と闘病生活を経て、横田選手がチームに復帰したのは17年の秋のこと。18年からは育成契約を結び、支配下登録復帰を目指す日々が始まりましたが、脳腫瘍の後遺症から来る視力の低下でボールが二重に見えるように。これが決定打となって、横田選手は24歳での引退を決意したのです。1軍でプレーできたのは、たったの1年。それでもタイガースファンは、横田慎太郎選手の名前と生き様を忘れないでしょう。
 

 
【プロ野球 畠山和洋選手】
 
 パワフルな打撃でファンを魅了した東京ヤクルトスワローズ一筋・畠山選手が、今シーズン限りでバットを置きました。岩手県の専修大学北上高校時代は、甲子園に2度出場、高校通算62本塁打の長打力を買われて、2000年にドラフト5位で東京ヤクルトスワローズに入団しました。180㎝、96kgという恵まれた体格の和製大砲は、4番打者として大いに活躍。15年のリーグ優勝にも貢献します。
 しかし、近年は足のケガなどに泣かされ、今年に入って引退を決意。9月21日、神宮球場で行われたホーム最終戦の中日戦、6回に代打で登場すると、打球はライト前ヒットに。19年のプロ野球人生を締めくくる最後の打席で、みごと有終の美を飾りました。来シーズンからはヤクルトの二軍打撃コーチに就任し、自分の後継者となる大砲の育成に励みます。


        
来週のスポーツ伝説は……

11/25(月) プロ野球 千賀滉大投手 
11/26(火) プロ野球 大野雄大投手
11/27(水) サッカー 遠藤保仁選手  
11/28(木) ゴルフ  渋野日向子選手
11/29(金) テニス  望月慎太郎選手
                       
お楽しみに!!
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