スポーツ伝説

1月9日~13日の放送内容

【プロ野球 糸井嘉男選手】
 
 糸井選手は去年、4シーズン在籍したオリックス・バファローズを退団し、FAで阪神へ移籍しました。プロ入り以来、13年間ずっとパ・リーグでプレーしてきた糸井選手にとって、初めてのセ・リーグです。オリックスにいた去年は、35歳で全試合に出場。しかも、2013年に記録した自己最多の33盗塁を20も更新する53盗塁をマーク。西武の金子侑司選手と並び、初の盗塁王に輝きました。35歳2ヵ月での盗塁王獲得は、史上最年長記録です。
 そんな糸井選手の獲得に、いち早く名乗りを挙げたのが阪神でした。特に獲得を熱望したのが、金本知憲監督です。実は金本監督自身も、糸井選手と同じ30代半ばで、当時阪神の指揮官だった星野仙一監督から猛烈なアタックを受けて広島カープからFA移籍。1年目の03年、前年4位だった阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた過去がありました。今年、4位から12年ぶりの優勝を目指す金本監督は、同じ左打者の糸井選手にかつての自分を重ね合わせていたかもしれません。指揮官の期待はそれだけ高く、糸井選手に今季ぜひ「3割・30ホーマー・30盗塁」のトリプルスリーを達成して欲しいと望んでいます。糸井選手の去年の成績は「打率3割6厘、17ホーマー、53盗塁」。糸井選手が今年さらなる進化を見せた時、指揮官の体は宙に舞っているかもしれません。
  
 

【メジャーリーグ 岩隈久志投手】

 シアトル・マリナーズの岩隈投手は昨年5月、メジャー通算50勝を達成。日本人投手では野茂英雄投手・黒田博樹投手などに次いで史上5人目の快挙で、50勝到達時点での勝率6割3分3厘は歴代1位という抜群の安定感を誇っています。日本時代は近鉄と楽天、所属した両球団でそれぞれ最多勝に輝くなど、順風満帆にも見える野球人生でしたが、実際には逆風の連続でした。
 ドラフトは5位指名。あるコーチからかけられた「プロに入ってしまえば、スタートラインに差はない」という言葉を励みにトレーニングを積んだ結果、4年目に15勝。5年目の2004年にも15勝をあげ最多勝のタイトルに輝きますが、この年の球界再編騒動によって、近鉄球団がオリックスに吸収合併されてしまいます。岩隈選手は自らの意志で新興球団の楽天に移籍しますが、楽天では打線の援護に恵まれず、また06年には岩隈投手の代名詞だった“2段モーション”が禁止となり、フォーム改造を余儀なくされて成績も下落しました。加えて、肩やヒジ・背中などを何度も故障。それでも08年に21勝を挙げて復活し、最多勝・勝率・防御率のタイトルを獲得すると、チームは5位ながら、MVPと沢村賞に選出されたのです。12年にFA権を行使しマリナーズに移籍しますが、当初の出番はリリーフのみ。それでも7月になって先発を任されると、後半戦だけで8勝を挙げる活躍でローテーション投手の座を勝ち取り、15年8月には、日本人メジャーリーガーでは野茂投手以来2人目となるノーヒット・ノーランを達成しました。
 
   
       
【プロ野球 武田翔太投手】

 福岡ソフトバンクホークスの武田投手は甲子園への出場経験こそありませんが、“九州のダルビッシュ”と呼ばれ、2011年のドラフト1位でソフトバンクに入団。1年目の夏からローテーションに加わると、後半戦だけで8勝を挙げ、防御率1.07という好成績で圧巻のデビューを飾りました。武田投手は様々な変化球を操る器用なピッチャーとして知られていますが、その中で“魔球”と呼ばれているのがドロップカーブ。しかしバッターを翻弄するこの魔球は、武田投手にとって諸刃の剣でもありました。
 2年目と3年目はケガに泣かされ、2年間でわずか7勝。ドロップカーブを生んだ特殊な腕の振り方が、右肩に大きな負担を与えたのです。そこでトレーニングと食事改善に取り組み、3年目の14年シーズン終盤になってようやく復調。ソフトバンクの日本一に貢献すると、4年目の15年は1年間ローテーションを守り13勝。そして去年も14勝。2年連続で好成績を収め、エースとして誰もが認める存在となった武田投手。その右腕に、チームと日本代表の将来がかかっています。
 
  
   
【プロ野球 今永昇太投手】
 
 昨年、球団史上初めてクライマックスシリーズへの出場を果たした横浜DeNA。今年は更にステップアップし、優勝を目指すシーズンとなります。そんなDeNAにあって新エースとして期待がかかるのが、昨シーズン、ルーキーながら8勝をあげた今永投手です。今永投手は中学時代まで目立った成績を残すこともなく、高校も近くの公立進学校へ。しかしこつこつ努力を積み重ねた結果、高校3年の春に一気に才能が開花。一躍、プロからも注目される投手に成長しました。
 更なるステップアップを求めて進学した東都大学リーグの駒沢大学では、2年生からエースとして活躍し、3年秋にはMVP・最優秀投手・ベストナインの個人3冠を獲得。チームを26季振りの優勝に導きました。しかし4年の春季リーグ開幕前に左肩を故障。4年生の1年間はリーグ戦未勝利で、チームも2部へと降格してしましました。それでもドラフトでは3年生までの実績を買われ、DeNAの1位指名を受けた今永投手。デビュー6戦目でついにプロ初勝利を挙げると、そこから昨年のルーキーの中で最多勝となる8勝まで勝ち星を積み重ねたのです。すでにラミレス監督からの信頼は絶大。今季の開幕投手候補の一人として名指しされるほどの期待を集めています。
   
   
  
【プロ野球 高山俊選手】

 昨シーズン、セ・リーグ新人王を獲得した阪神タイガース・高山選手は、絵に描いたような“野球エリート”。野球を始めた小学校1年の時以来、常に陽の当たる舞台を歩き続けてきました。小学校時代には、プロ野球12球団が主催する「NPB12球団ジュニアトーナメント」に千葉ロッテジュニアの選手として出場し準優勝。高校は野球名門・日大三高で1年秋から外野のレギュラーを務め、甲子園に3度出場。3年夏の甲子園では大会通算打率が5割。決勝戦では先制3ランを放つ勝負強さも発揮し、日本一に貢献します。大学は東京六大学野球の明治大学に進学。1年春からレギュラーの座を勝ち取ると、大学4年間で、六大学野球の通算安打記録を48年ぶりに塗り替える131安打を記録。球史にその名を刻んだのです。
 高山選手の名が広く知れ渡ったのは、2015年のドラフト会議。この時、阪神とヤクルトが高山選手を競合指名。抽選の結果、ヤクルト・真中監督が 外れクジを当たりと勘違いしてガッツポーズしたのです。この後、阪神に入団した高山選手は、開幕スタメンの座を勝ち取り、球団史上初となる開幕4試合連続安打を達成。134試合に出場し、打率2割7分5厘・8本塁打・65打点をマーク。球団の新人最多安打記録となる136安打を放っただけでなく、1試合で3安打以上を打つ猛打賞を13回記録。新人での猛打賞達成回数としては、1958年の巨人・長嶋茂雄選手にあと1に迫る歴代2位の記録でした。こうして振り返ると順調すぎる野球人生のようにも思えますが、実は守備では昨年、セ・リーグの外野手で最も多い6失策を記録しています。今年はこの課題をどう克服してくれるのか。11年ぶりのリーグ優勝目指し、高山選手の昨年以上の活躍に期待が高まります。


   
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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