スポーツ伝説

5月21日~25日の放送内容

【マラソン 設楽悠太選手】

 今年2月に行われた東京マラソンで、日本記録を5秒縮める2時間6分11秒でゴールイン。16年ぶりに日本新記録を樹立した設楽選手。優勝したケニアのディクソン・チュンバ選手に次ぐ2位という堂々たる成績で、2年後の東京オリンピック代表に名乗りを挙げました。
 レース中、日本記録を上回るペースで走っていると知った一部の観客から「1億円、とってこい!」との声援が上がりました。実は日本記録を更新して日本人トップになった選手には、1億円の報奨金が出ることになっていたのです。並の選手だったら、つい余計なことを考えてプレッシャーが掛かるところですが、設楽選手は「最後まで『1億円とってこい!』と声を掛けてくれる人がいたから、しっかり走りきることができた」とコメント。ハートの強さも、並ではありません。


   
【マラソン 関根花観選手】

 関根選手は今年3月11日に行われた名古屋ウィメンズマラソンで、フルマラソン初挑戦だったにもかかわらず、日本人トップの2時間23分07秒という好タイムで3位に入賞。2020年の東京オリンピックの代表選考レース「マラソングランドチャンピオンシップ」への出場権を獲得しました。名古屋ウィメンズマラソンの前身にあたる「名古屋国際女子マラソン」は、オリンピック金メダリストの高橋尚子選手・野口みずき選手が飛躍するきっかけになった大会。レース前、高橋尚子さんに「自分とタイプが似ている」と声を掛けられ、「手探りだったけど、自信が持てた」そうです。
 高校卒業後の14年、日本郵便に女子陸上部一期生として入社。実は陸上一本でやると決めた中学生の時から「実業団に入ったら、本格的にマラソンをやりたい」と考えており、その先には「東京オリンピックにマラソン代表で出場する」という大きな目標がありました。マラソンランナーとしての第一歩となった、名古屋ウィメンズマラソン。2年後へ向けて、関根選手の更なる成長に期待がかかります。

   

【テニス ラファエル・ナダル選手】

 昨年の全仏オープンテニスでは、スペインが生んだ至宝・ナダル選手が、通算10回目の全仏優勝を成し遂げるかどうかが大会前からの大きな注目点でした。テニスの4大大会すべてで優勝を飾るキャリア・グランドスラムを達成した史上7人目のプレーヤーであるナダル選手ですが、最初の優勝は、2005年の全仏オープン。そこから08年まで、当時大会最多タイとなる4連覇を達成。この頃から“クレーの王様”と呼ばれるようになります。翌年に連覇は一度途切れますが、10年大会で全仏王者の座を奪還。そこから14年まで、前人未到の大会5連覇を達成。全仏通算優勝回数は9回に達し「ナダルといえば全仏、全仏といえばナダル」とまで言われました。ところがナダル選手は15年以降、4大大会で勝てなくなってしまいます。それは得意の全仏も例外ではありませんでした。
 そんなナダル選手を変えたのは、叔父のトニー・ナダルコーチの言葉。「人生が変わっていくように、お前も変わらなくてはいけない。世界のテニスは年々スピードアップしている。そこで勝ちたいなら、全ての大会でもっと闘争心を燃やさなくてはいけない」この言葉を胸に、ナダル選手は改めて激しいトレーニングを積んだのです。そして迎えた、昨年の全仏オープン。ナダル選手はついに通算10回目の優勝を達成。“クレーの王様”の復活を見せつけました。
  
  
  
【テニス 大坂なおみ選手】
 
 大坂選手は、大阪市生まれの20歳。日本人の母親とハイチ系アメリカ人の父親を持ち、3歳の時にアメリカへ渡り、ニューヨークやフロリダといったテニスの盛んな都市で腕を磨きました。武器は身長180センチの大柄な体格を活かした強烈なサーブとフォア。2013年にプロデビューすると順調に成長を遂げ、16年には、4大大会の全豪・全仏・全米オープンでいずれも3回戦まで駒を進め、一躍世界が注目する存在になったのです。また、同じ年の9月東レ・パンパシフィック・オープンでは、日本勢として、伊達公子選手以来の決勝進出を果たし、世界ランキングも急上昇。女子プロテニスツアーの最優秀新人賞を受賞しました。
 昨年の全米オープンでは、前年王者のアンゲリク・ケルバー選手をストレートで破る大金星。ランキングトップ10の選手に対し、10回目の挑戦で初勝利を果たすと、昨年秋からのおよそ半年間で元世界女王たちを次々に撃破していきました。今や世界上位の選手に勝つことは金星ではなく、目指すべき目標となった大坂選手。ツアー初優勝を果たしてから、初めて迎える4大大会の全仏オープンでは、いったいどんな結果を見せてくれるのか楽しみです。


   
【サッカー ボビー・チャールトン選手】
 
 ヨーロッパのサッカークラブの頂点を決める戦い・UEFAチャンピオンズリーグ。この大会はもともと、1955年にヨーロピアンカップとしてスタートしました。そのヨーロピアンカップによって人生のどん底と頂点を味わった人物が、イングランド史上最高の選手とも呼ばれ、名門マンチェスター・ユナイテッドで活躍したチャールトン選手です。イングランド代表での通算49得点と、マンチェスター・ユナイテッドでの通算249点は、どちらもウェイン・ルーニー選手に抜かれるまで歴代1位を誇ったチャールトン選手。そんな伝説の選手に悲劇が襲ったのは、58年2月6日、ヨーロピアンカップ準々決勝、敵地ベオグラードでの試合に勝利し、準決勝進出を決めた直後のことでした。
 チャーター機でイングランドへと帰る途中、選手たちが乗っていた飛行機が離陸に失敗。乗客44人のうち、選手8名、チーム関係者3名を含む23名が死亡する大惨事となりました。チャールトン選手は大きな怪我こそありませんでしたが、精神的なショックが大きく、家に引きこもる生活が続きました。しかしなんとかピッチに返り咲いたチャールトン選手は、事故から7年後の65年に、ユナイテッドの中心選手として復活のリーグ優勝を果たします。翌66年にはイングランド代表として、自国開催のワールドカップで初優勝。その年のサッカー界MVPにあたる、バロンドール受賞も果たします。そして68年、ユナイテッドはようやく、10年越しの大舞台・ヨーロピアンカップ決勝戦に進出。この大一番でチャールトン選手は2得点を挙げる活躍を見せ、優勝に大きく貢献。キャプテンとして念願のトロフィーを掲げたのです。


   
来週のスポーツ伝説は……

  5月28日(月) テニス  マイケル・チャン選手
  5月29日(火) プロ野球 交流戦にまつわる伝説
  5月30日(水) サッカー W杯・代表メンバー発表
  5月31日(木) NBA  オスカー・ロバートソン選手
  6月 1日(金) NBA  ビル・ラッセル選手

                       お楽しみに!!
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