スポーツ伝説

3月7日~11日の放送内容

【プロ野球 藤川球児投手】

 今シーズンから阪神タイガースに復帰した藤川投手は、阪神の守護神として通算220セーブを挙げ、2012年のオフに海外FA権を行使。メジャー移籍の夢を叶え、シカゴ・カブスに入団しました。しかし移籍1年目の13年、右ヒジを故障。翌年もほとんど活躍できないまま2年で退団。渡米3年目の去年はテキサス・レンジャーズでプレーしましたが、わずか2試合に登板しただけで、5月に自由契約となりました。
 シーズン途中でフリーになった藤川投手に対し、さっそく古巣・阪神が再獲得のオファーを出しましたが、藤川投手は「故郷の高知で第2の野球人生をスタートさせたい」と、独立リーグ・四国アイランドリーグplus、高知ファイティングドックスへの入団を発表。契約は1試合ごとで、登板試合のチケット売り上げの10%を児童養護施設に寄付し、藤川投手は無報酬でプレーするという異例の内容でした。そんな中、阪神側が去年のオフに改めて入団をオファー。ファンの声や金本新監督の熱意もあり、ついにタイガース復帰を決断したのです。



【プロ野球 小谷野栄一選手】

 今年、移籍2年目を迎えるオリックスバファローズ・小谷野選手は、創価高校・大学を経て2002年のドラフトで日本ハムから5位指名を受け入団。07年からレギュラーに定着し主砲に成長すると、10年には打点王に輝きました。しかし14年は故障や若手の台頭などで出番が大きく減り、34歳にして、12年間在籍した日本ハムからFAでオリックスへの移籍を決めました。
 必ずしもポジションが確約されていたわけではありませんでしたが、「競争させてもらえるところを選んだ。横一線で見てくれるのがありがたい」と、小谷野選手。去年は度重なる故障でわずか56試合の出場にとどまり、チームも主力に故障が相次いで開幕直後からまさかの低迷。森脇浩司監督が休養に追い込まれるという、予想外の事態になりました。今シーズンは本来の勝負強さを発揮して、20年ぶりのリーグ優勝に貢献しようと燃えています。
 

 
【プロ野球 村田修一選手】
 
 読売ジャイアンツの村田選手は、東福岡高校ではピッチャーとして活躍。3年の春・夏に甲子園出場を果たしましたが、日本大学進学後は野手に転向。打撃センスを磨き、2002年のドラフト自由獲得枠で横浜ベイスターズに入団しました。1年目から25本のホームランを放ち長打力をアピールすると、13年連続で2ケタホームランを打ち続けています。07年・08年と2年連続でホームラン王に輝き、不動の「四番・サード」として活躍しましたが、11年のオフに9年間在籍した横浜を離れ、FAで巨人に移籍。移籍1年目の12年にさっそく優勝を経験し、以後もチームの3連覇に貢献。13年のオフには、生え抜き以外では初めてとなるジャイアンツの選手会長に就任しました。
 しかし去年は開幕から調子が上がらず、太ももとヒジを痛めて2度も戦線を離脱。出場も103試合にとどまり、巨人移籍後初めて、規定打席に到達できないという不本意なシーズンに。今年は、3年契約の最終年。もし不本意な成績に終われば、それこそ現役生活の危機になりますが、村田選手は「あと5年、40歳までやりたい」と宣言。30代後半のスタートになる今年は、高橋新監督を胴上げするためにも、例年以上の強い意気込みでシーズンに臨みます。

 

【バレーボール 全日本女子チーム】

 52年前、1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得。団体競技の中でも、現在まで語り継がれる伝説を作ったバレーボール全日本女子チーム。そのあまりに有名な“東洋の魔女”のニックネームは元々、61年のヨーロッパ遠征で22戦全勝という無敵の強さを見せた実業団チーム・日紡貝塚に対し、海外の記者たちが付けたものでした。当時、女子バレーボールはまだオリンピックの正式種目ではなく、最大の国際大会は世界選手権。62年、メンバーのほとんどを日紡貝塚の選手で臨んだ日本は、宿敵・ソ連を破って優勝。選手たちはこれを花道に引退するつもりでしたが、この年、女子バレーボールのオリンピック種目採用が決定します。選手たちは、悩んだ末に競技続行を決断。金メダルを目指す戦いが、このとき始まりました。
 当時、日紡貝塚で選手たちを指導、東京オリンピックで全日本の監督も務めたのは、大松博文監督。体格面でどうしても劣る日本がソ連に勝つためにはスピードで勝負するしかないと、大松監督が自ら体を投げ出し編み出したのが、回転レシーブ。大松監督は選手の腰や肩にタオルを巻かせ、柔道の受け身のような練習を繰り返しました。そして迎えた64年、東京オリンピック・女子バレーボール決勝。相手は宿命のライバル・ソ連でした。日本の先発6人は全員、日紡貝塚の選手。一進一退の攻防の末、宮本選手のサーブが見事に決まり、日本の金メダルが決定。この瞬間、テレビ中継の平均視聴率はなんと66.8%。これは半世紀以上経った今も、スポーツ中継史上ナンバーワンの数字となっています。
 


【ボクシング  桜井孝雄選手】

 4年前のロンドンオリンピックで、ボクシング・村田諒太選手がミドル級で金メダルを獲得。48年ぶり、ボクシング史上2人目の快挙と話題になりましたが、その日本ボクシング界最初の金メダルを獲得したのが、桜井選手でした。佐原第一高校1年生の時にボクシングと出逢った桜井選手は、高校総体を制覇。ボクシングの名門・中央大学に入学しました。特にディフェンス面に優れ、相手に打たせず、カウンターでポイントを稼ぐ桜井選手。そのテクニックはまさに天下一品だったといいます。
 23歳、大学4年生の時に東京オリンピック代表に選ばれ、バンタム級で出場した桜井選手は、初戦から順調に勝ち上がり、決勝で韓国の鄭選手と対戦。4度のダウンを奪ってレフェリーストップで圧勝、日本ボクシング界初の金メダルを獲得しました。オリンピックを終えた桜井選手は、翌65年にプロ転向を発表。68年には日本武道館で世界バンタム級王座に挑戦しますが、チャンピオンからダウンを奪いながらも僅差で判定負け。結局、世界チャンピオンになれないまま71年に現役を引退しました。2012年1月、ロンドンオリンピックの年に70歳で死去。残念ながら村田選手の金メダルを見届けることはできませんでしたが、桜井選手の偉業は48年ぶりに注目されることとなったのです。


 来週のスポーツ伝説は……

  3月14日 大相撲  琴奨菊和弘関
  3月15日 大相撲  正代直也関
  3月16日 大相撲  高安晃関
  3月17日 サッカー 小倉隆史ゼネラルマネージャー兼監督
  3月18日 サッカー 長谷川健太監督

                       以上の5名をご紹介します。



  
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