スポーツ伝説

9月5日~9日の放送内容

【野球 ロサンゼルスオリンピック】
 
 2020年の東京オリンピックで、野球・ソフトボールが追加競技として採用されることが正式に決まりました。オリンピックで正式種目として初めて野球が行われたのは、1984年のロサンゼルス大会です。野球の母国・アメリカで開催されるオリンピックとあって、実験的に実施される公開競技での採用が決定しました。しかしこの頃はまだ、プロ選手がオリンピックに出場できなかった時代。当時の国際大会に出場する日本代表チームは、社会人野球の選手だけで編成されていました。しかし、初めてのオリンピックには「国内最強メンバーで臨みたい」と、社会人と大学生による合同チームを編成。中でも注目を集めたのが、この年の秋のドラフトの目玉といわれた明治大学4年、後にヤクルトで主砲として活躍、巨人・阪神でもプレーした広澤克己選手でした。
 ところがその広澤選手が、大会前に絶不調に見舞われます。代表スタッフは急遽、打撃フォームを修正。これが功を奏して、復調した広澤選手は日本の予選リーグ1位通過に貢献しました。その後、台湾との準決勝を制した日本は、見事に決勝進出。決勝は開催国アメリカとの対決となりました。四番には、後のメジャーリーグ・ホームラン王、マーク・マグワイア選手が座るなど、将来のメジャーリーガーばかりの強敵が相手でしたが、先発の伊東昭光投手が奮闘。3回裏に、後に巨人でプレーするシェーン・マック選手に先制のホームランを許しますが、直後の4回表、日本は広澤選手のタイムリーヒットなどで2対1とすかさず逆転。8回には広澤選手のスリーランホームランも出て、日本は6対3で勝ち、オリンピック・野球競技の初代王者となったのです。



【野球 ソウルオリンピック】

 1988年のソウルオリンピックでも、野球は公開競技として採用されました。2大会連続の金メダルを狙っていた日本代表は、ロサンゼルス大会と同様に全員アマチュアでしたが、後にプロ野球でも活躍する逸材揃い。投手では、日本人メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄投手、西武黄金時代を支えた3人、渡辺智男投手・石井丈裕投手・潮崎哲也投手。野手では、プロで2000本安打を達成した野村謙二郎選手、古田敦也選手などがいました。このソウル大会で、毎試合のように登板してチームを支えたのが、チーム最年少、19歳の潮崎投手と20歳の野茂投手の同級生コンビ。予選リーグのハイライトは、台湾との延長13回に及ぶ死闘です。この試合を、野茂・潮崎・石井投手という継投策で勝利すると、3戦全勝の首位通過で準決勝に進出。準決勝の宿敵・韓国戦でも、野茂・潮崎・石井の3投手のリレーで制し、決勝進出を果たします。
 2大会連続で、日本対アメリカという組み合わせになった決勝戦。しかし結果は先発左腕、ジム・アボット投手が日本打線を抑え、初優勝を果たしました。優勝投手となったアボット投手は、生まれつき右手の手首から先がないというハンディキャップを持った選手として注目されていました。「僕よりも重いハンデを抱えた人たちに勇気を与えられたこと、そして日本に、ロサンゼルスの借りを返せたことが嬉しい」。そうコメントしたアボット投手にとっても、アメリカにとっても、悲願ともいえる金メダル獲得でした。

   
  
【野球 アテネオリンピック】

 ロサンゼルス、ソウル大会と公開競技で行われた野球は、1992年のバルセロナ大会から正式競技として採用。さらに、2000年のシドニー大会からプロ選手の出場が解禁され、初めて全員プロでチームが編成されたのが、04年のアテネオリンピックでした。金メダル獲得を目指し、プロ・アマ混合チームで臨んだシドニー大会は4位。メダル奪回が日本の野球界にとっての至上命題となり、アテネ大会に向け、初めてプロ野球選手だけの日本代表チームが編成されたのです。
 プロのスター選手だけのチームをまとめられるのはこの人しかいない、と白羽の矢が立ったのが、“ミスタープロ野球”長嶋茂雄監督でした。その指揮のもと、アジア予選を勝ち抜いてオリンピック出場権を獲得した「長嶋ジャパン」。ところが、大会前に長嶋監督が脳梗塞で倒れてしまったのです。懸命のリハビリも体調は戻らず、アテネ本番では急遽、中畑清ヘッドコーチが指揮をとることになりました。それでも、松坂大輔投手や上原浩治投手、城島健司捕手など、後にメジャーリーグでも活躍する選手を中心に、日本球界のトップが集結したチームは、なんとか銅メダルを獲得。この悔しさを経験した選手が中心となり、2年後の06年、初めて行われた野球の国別世界一決定戦、ワールド・ベースボール・クラシックでの優勝に繋がっていくのです。

    

【大相撲 貴ノ岩義司関】
 
 いよいよ今度の日曜日から、大相撲秋場所が幕を開けます。
 貴ノ岩関は、モンゴル生まれの26歳。小さい頃から衛星放送で流れていた日本の大相撲に興味を持ち、特に横綱・貴乃花関に憧れました。中学卒業後に海を渡り、相撲の名門・鳥取城北高校に相撲留学。国体や世界大会で活躍し、高校卒業と同時に憧れの貴乃花部屋へ入門します。修行に励んだ貴ノ岩関は、2009年初場所で初土俵を踏んでから着実に出世を重ね、12年夏場所後、ついに十両へ昇進。貴乃花部屋にとっても、初めての関取誕生となりました。
 新入幕からの2年間は幕内と十両を往復していましたが、今年に入ってからは幕内に定着している貴ノ岩関。東前頭10枚目で迎えた名古屋場所は、12勝3敗の好成績で初の三賞となる敢闘賞も受賞しました。番付が大きく上がった秋場所は、横綱・大関との対戦も予想され、真価が問われる場所になりそうです。
  

  
【大相撲 千代の富士貢関】

 名古屋場所が終わって間もない7月31日、かつて一時代を築いた、元横綱・千代の富士の先代・九重親方が亡くなりました。
 幕内優勝回数は、歴代3位の31回。“ウルフ”と呼ばれたその精悍な風貌と鍛え上げられた筋肉で、様々な伝説を作った千代の富士関。6つの場所すべてで優勝し、88年の秋場所は、名古屋場所に続いて2場所連続の全勝優勝を達成と、まさに無敵の強さを発揮しました。連勝は、続く九州場所の千秋楽で横綱・大乃国関に敗れるまで続き、歴代3位の53連勝を記録しています。翌89年の秋場所では、大潮関を抜く、通算勝利数の新記録を更新。そして2年連続、秋場所全勝優勝を果たし、場所後に相撲界初の国民栄誉賞が贈られました。しかし翌90年の秋場所は休場。91年の夏場所中に引退を発表しましたが、その偉大な足跡、そして土俵で見せた華麗な相撲は、これからもファンの間でずっと語り継がれていくに違いありません。

   

来週のスポーツ伝説は……

  9月12日(月) プロ野球 高橋慶彦選手
  9月13日(火) プロ野球 佐々岡真司投手
  9月14日(水) プロ野球 川口和久投手
  9月15日(木) プロ野球 達川光男選手
  9月16日(金) プロ野球 長嶋清幸選手
            
                       お楽しみに!!
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