スポーツ伝説

11月12日~16日の放送内容

【日米野球 1992年】

 毎回、メジャーリーグを代表するスタープレーヤーが来日して盛り上がる日米野球。そんなスター軍団が、「全部勝つ」という並々ならぬ決意でやってきたのが1992年でした。実は90年の日米野球で、メジャー軍団は3勝4敗1分けと日本に初めて負け越していたのです。
 “野球の母国”のプライドをかけて選ばれたのは、打者では当時、3年連続でリーグ打点王に輝いていたセシル・フィルダー選手。のちにホームラン王に4度輝くケン・グリフィー・ジュニア選手、“オズの魔法使い”と呼ばれた守備職人、オジー・スミス選手など豪華な顔ぶれ。投手では、通算354勝、歴代3位の通算4672奪三振をマークすることになる右腕、ロジャー・クレメンス投手も来日しました。最強の布陣を敷いた全米オールスターズは、6勝1敗1引き分けと完勝。見事、負け越した2年前の雪辱を果たしました。


     
【日米野球 1996年】

 戦前のベーブ・ルースの時代から、いくつもの名勝負が繰り広げられてきた日米野球。その長い歴史の中でも特にエポックメイキングだったのが、1996年。この時、メジャーリーグ選抜の中に、95年にアメリカでデビューを飾った日本人メジャーリーガーのパイオニア、ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄投手が名前を連ねていたからです。体を大きくひねって投げる、独特の“トルネード投法”で、メジャー1年目に最多奪三振のタイトルと、新人王を獲得。2年目の96年も16勝をマークした上に、ノーヒットノーランも達成するなど、メジャー選抜にふさわしい実績を残しての凱旋登板でした。
 野茂投手は、まず第2戦に先発として登板。迎えた最初のバッターが、オリックス・ブルーウェーブ、イチロー選手でした。結果は、3球目をイチロー選手がとらえ、軍配はイチロー選手に上がりました。イチロー選手はこの後、野茂投手以外のピッチャーに対しても本領を発揮。この年の日米野球では、通算11打数7安打で打率はなんと6割3分6厘。盗塁も2つ決めて、足でもしっかりアピールしてみせました。そして2000年オフ、イチロー選手はシアトル・マリナーズと契約。念願のメジャー移籍を実現させ、02年の日米野球では、メジャーリーグ選抜を代表する選手として、みごと凱旋を果たしたのです。 
 

   
【プロ野球 村田修一選手】

 ベイスターズで9年、巨人で6年、球界を代表するスラッガーとして活躍した村田選手。昨シーズンに巨人を自由契約となり、今年は独立リーグ「BCリーグ」の栃木ゴールデンブレーブスに移籍。再びNPB球団への復帰を信じてプレーを続けていましたが、期限の7月31日までにオファーはなく、現役引退を決断しました。そんな村田選手に、古巣・巨人が粋な計らいをします。9月28日に東京ドームで行われた、村田選手のもう1つの古巣・横浜DeNAベイスターズとの試合で、引退セレモニーを開催したのです。
 試合前のセレモニーでは、それぞれの古巣で村田選手が背負っていた背番号「25」番を継承したDeNA・筒香嘉智選手、巨人・岡本和真選手から花束が贈られ、今やチームの主砲に成長した頼もしい後輩たちと固い握手を交わしました。試合後に再びグラウンドに姿を現した村田選手に、それぞれの応援団から現役時代の応援歌が贈られ、最後は両チームの選手が1つになり、村田選手が守り続けてきたサードで胴上げ。チームの垣根を超えた感動的な引退セレモニーとなりました。

    
  
【プロ野球 後藤武敏選手】
 
 横浜DeNAベイスターズにとって、本拠地・横浜スタジアムでの最終戦となった9月22日の中日ドラゴンズ戦は、今シーズン限りで現役を引退する後藤選手の引退試合となりました。大歓声の中、代打で立った現役最終打席を空振り三振で終えた後藤選手。試合後にセレモニーが行われ、16年間の現役生活にピリオドを打ちました。横浜高校時代、松坂投手らと共に1998年の甲子園で春夏連覇を達成。法政大学を経て02年西武ライオンズに入団。先に西武入りしていた松坂投手とプロでもチームメイトになりました。
 引退試合後のセレモニーで、後藤選手は「松坂世代の一員としていられたことに感謝し、きょう引退します」とファンにあいさつ。後藤選手が球場を一周する間、松坂投手は空になった中日ベンチで、ただ1人その様子を見守りました。その後行われた、DeNAの選手たちによる胴上げにも松坂投手は参加。“松坂世代”の絆の強さが感じられるセレモニーとなりました。

   
 
【ラグビー 田中史朗選手】
 
 2015年のワールドカップで、初めて1大会で3勝をあげる大躍進を遂げたラグビー日本代表。この大会で4試合すべてに先発してチームを牽引したのが、身長166㎝という小柄な体で、司令塔のポジション、スクラム・ハーフを務める“小さな巨人”田中選手です。田中選手は2007-2008シーズンからトップリーグでプレー。新人王とベスト15を受賞する華々しいデビューを飾ります。その後もチームの数々のタイトル獲得に貢献し、11年のワールドカップに初出場。しかし、この大会では1勝もできなかった日本。世界との差を痛感した田中選手が選んだのが、代表を辞退してでも海外でプレーすることでした。
 12年10月、田中選手は日本人で初めて、ラグビーの世界最高峰リーグ、スーパーラグビーに参戦。田中選手は全16試合中15試合でメンバー入りし、日本ラグビーの新たな歴史を切り開きました。代表の座を返上してでもスーパーラグビーに参戦したのは、自国開催となる19年のワールドカップのことが頭にあったからです。日本ラグビーを牽引してきたパイオニアが目指すのは、もちろん、初のワールドカップ決勝トーナメント進出。その快挙のために、田中選手の統率力に注目です。


   
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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