スポーツ伝説

1月16日~20日の放送内容

【卓球 石川佳純選手】
 
 昨年のリオデジャネイロ オリンピックで、男子団体で銀メダル、女子団体で銅メダルと、男女共にメダルに輝いた卓球日本代表チーム。特に女子は、ロンドン大会での銀メダルに続く2大会連続のメダル獲得となり、3年後の東京大会では、悲願の金メダル獲得に向けて更なる飛躍が期待されます。そんな日本の女子卓球界の新しいリーダーとして注目されているのが、石川選手です。石川選手は6歳で卓球を始めると、たった半年の練習で全国大会に出場。以降、年齢別の大会で次々と優勝、2011年には17歳の若さで全日本選手権を制し、ついに日本一の座に。高校生女王の誕生は、22大会ぶりの快挙でした。
 昨年11月には、オリンピック後初の国際大会となったワールドツアーのスウェーデンオープンに出場し、見事優勝。今年は卓球の世界最高峰リーグ・中国スーパーリーグへの参戦も計画しています。
   
 

【サッカー 岩渕真奈選手】

 去年、リオデジャネイロ オリンピックへの出場を逃した女子サッカー日本代表・なでしこジャパンは今、世代交代も含めた変革が求められています。その中にあって、ポスト澤穂希の最有力と長年言われ続けながらなかなか殻を破りきれずにいるのが、現在ドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘン所属の岩渕選手です。
 なでしこリーグでのデビューは07年、14歳の時。 翌08年には、17歳以下の女子ワールドカップで日本代表は準々決勝で敗れたにもかかわらず、岩渕選手が大会最優秀選手に選ばれました。10年になでしこジャパンに招集され、翌11年のワールドカップ・ドイツ大会では、局面を打開するスーパーサブとして日本の優勝にも貢献。ところがそれからは、度重なるケガに泣かされます。得意のドリブル。しかしそのあまりのスピードに、骨や靭帯の強度が追いつかないのです。それでも岩渕選手には「プレースタイルを変えたら自分ではない」という確固たる信念があります。理想のスタイルはドリブルで突破するだけでなく、そこから得点につなげること。その意識が形となって現れたのが、去年のオリンピックアジア最終予選。3得点を挙げ、チーム得点王になりました。24歳となる今年こそ、スーパーサブから一皮むけ、なでしこジャパン不動のレギュラーとしての活躍が期待されます。

   
       
【プロ野球 若林忠志投手】

 昨年1月18日にプレーヤー部門での野球殿堂入りを発表された、現在ソフトバンク監督の工藤公康投手。47歳まで現役で活躍したことでも知られ、40代になってから2年連続で二ケタ勝利を挙げたのは史上2人目。昨シーズン限りで引退した黒田博樹投手が史上3人目になったことで、また記録がクローズアップされました。この偉業を最初に打ち立てたピッチャーが、阪神タイガースや毎日オリオンズで活躍し、1964年に野球殿堂入りを果たした若林投手です。プロ野球の歴史が始まった1936年、大阪タイガースに入団。以降、戦争を挟んで49年までタイガースに在籍し、通算233勝を挙げました。この数字は今でも球団の投手最多勝記録です。そのタイガース時代の最後の2年、40歳と41歳のシーズンに17勝と15勝を挙げ、史上初めて、「40代での連続二ケタ勝利」を達成しました。
 若林投手は50年、セ・パ2リーグ制の採用に伴い、パ・リーグの毎日オリオンズに移籍。オリオンズはその年、ペナントを制し、若林投手は第1回日本シリーズの初戦に先発登板。42歳ながら161球の完投勝利を挙げ、日本シリーズの栄えある勝利投手第1号にもなっています。
   
 
  
   
【プロ野球 白石勝巳選手】
 
 内野守備において、グラブをはめた手と逆方向に飛んできたボールを体の横で処理するのが“逆シングル”。この逆シングルを芸術的プレーへと高め、認知させたのが、巨人と広島で活躍した名ショート・白石選手です。巨人軍が創設されて間もない1936年、藤本定義監督は選手を鍛えるため、群馬県で伝説になるほどの厳しい合宿を行いました。白石選手はこの合宿でひたすら打球を追っているうちに、自然と逆シングルの動きが身に付いたといいます。その後はファンを喜ばせるために逆シングルの練習を積み、観客を呼べるスター選手へと成長していきました。
 戦前は巨人軍黄金時代を支え、1949年の戦後初優勝にも貢献した白石選手。この年のオフ、セ・パ2リーグ制導入に伴い、生まれ故郷の広島に新球団・広島カープが誕生すると、巨人から移籍してチーム創設に参加。助監督兼ショートとして活躍しました。53年からは、現役のままカープの監督に就任。2度にわたり、通算11シーズン指揮を執り、68年から古巣・巨人に復帰。川上監督のもと、ヘッドコーチ・二軍監督としてV9に貢献し、85年に殿堂入りを果たしています。
  

  
【プロ野球 永田雅一氏】

 プロ野球チームのオーナーの中には、野球好きが高じて球団経営を始めた人物もいます。その代表が、映画会社・大映の元社長で“永田ラッパ”の異名を取った、永田氏です。1949年に大映スターズを率いたのがオーナー人生の始まりで、パ・リーグの初代総裁にも就任し、高橋ユニオンズ・毎日オリオンズを相次いで合併。58年には大毎オリオンズが誕生します。60年に、大毎はパ・リーグを制覇。オーナーとして初めて優勝の喜びを味わいました。しかし、大毎が圧倒的有利とみられていた日本シリーズでは、知将・三原脩監督率いる大洋ホエールズにまさかのストレート負けを喫し、念願の日本一はなりませんでした。
 その後、永田オーナーは30億円を投じて東京都荒川区に新球場を建設。東京スタジアムは62年に完成し、毎日が球団経営から手を引いたことから、64年に球団名を東京オリオンズに改めます。大映所属の映画スターを引き連れて、毎試合のように観戦に訪れる名物オーナーは、選手にもファンにも愛され、本人の死後、88年に殿堂入りを果たしています。


   
来週のスポーツ伝説は……

  1月23日(月) プロ野球 背番号15列伝
  1月24日(火) プロ野球 背番号11列伝
  1月25日(水) バレーボール 中田久美監督
  1月26日(木) プロ野球 辻発彦監督
  1月27日(金) プロ野球 森繁和監督
            
                       お楽しみに!!
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